フランスよりドギツイ?!京都

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今朝は寒かったんですが、良い天気で、北野天満宮の紅葉苑を散歩してきました。七五三シーズンですので着物姿の家族連れがきてましたね。

さて、今日のテーマは、ドギツイ、と書きましたが、最初に断っておくと悪い意味ではないですからねw。京都が、自国の伝統愛に溢れるフランスと比べてどうなのかというところで、京都のほうがドギツイ、というのは....
今日はそんなお話しです。

 先月、家族でちょいちょい行ってた西陣散歩コースの中にあるコーヒーショップが移転したのですが、ちょっと遠くなったため、疎遠になってたんで、今朝の散歩はついでに、天満宮の近くのそのカフェの支店に行ったんですよ。
 そこは、京都でもラテ部門で日本チャンピオンをとった職人気質の方のお店。うちは奥さんとは顔見知りで親しく会話する仲なのですが、支店の方にいるというチャンピオン本人のご主人には会ったことがない。
こんど奥さんの店に行った時、話の種にもなるなぁと思った気軽さもあったんですよ。

 ところが、奥さんのお相手としてぴったりな親しみやすい人を想像してラテ店に入って行ったら、えええっ!この人!?w
と、見事に予測を裏切った渋い系のマスターが切り盛りしていました。

可愛くてフレンドリーな奥様とは対照的な京都風コワモテのマスターだったんですよ。
怒ってるのかな?と心配になりつつ、黙ってコーヒー飲んでました。
気まずいなぁ〜パソコン使ってたら、怒られるかな?と思ってたら、

すっと、店に馴染みの客らしき男性が入ってきたんです。マスターの強面にもムード負けしなくて、すごく会話がこなれているなぁと顔を上げてみたら、外国人で。おお?

めっちゃ流暢な日本語、空気感を読んだ会話だなぁ...

どういうひとなんだろうと思って話しかけてみたら、その方、フランスの消防士さんだったんですね。
 日本にスポーツトレーニングの技術を学ぶため、上七軒に長く住んでいたのですが、コロナのときに帰国したのだそう。今、円が安くて来やすいので、久しぶりに愛すべき京都に来たって言ってました。

 フランスには実際行ったことはないんですが、フランスから帰って来た人、フランスの文化や風土や人というのを外側から見ていて、私は兼ねてから「京都はフランス」説を主張していました。実際の京都人に聞くと、「ああ、そうやな、まさにフランスは、近いなぁ」という返答をもらっていたものの、当のフランス人は京都をどう感じているのかという証言を直接もらったことがなかったので、話の流れの中で率直に聞いてみました。

「はい、よく似てます。」って回答がきて、ああ、やっぱり。とおもいました。そんな彼の話です。

「フランス人は京都に来ると、ここが何を大切にしているのか、大事に思っているのかというのをすぐに心で察知しますよ。自分たちが自分たちであるために、決して譲ってはいけない部分とか、京都のひとたちが一緒だってことに気づきます。そして、ああ、私たちと同じ価値観目線で世界をとらえているって、なんとなく感じ取るんです。だから、フランス人は、京都がわかってくると、ああ、ここ、ホームだなぁって感じるひとが多いはずですよ。」

ビンゴ!!

...だよね! 
 京都に来てから、食、言語の大事さ含め、フランス人がなににこだわろうとしているのか、私もより深く理解できるようになった話をしました。

今、率直に言って、世界はナショナリズム的なものがぽんぽん上がって来てるじゃないですか。たとえば、アメリカにおけるトランプのアメリカ人のためのアメリカの利益を考えた政治。ロシアにおけるプーチン。ロシア人がユダヤ金融・軍事複合体支配から脱却し、ロシアを守るための政治。
 実際に、日本だって、少しづつ、歴史的な日本らしさ、日本ならではの神秘性などに回帰して行ってる傾向があります。
 モンゴルやチベットなども、中国という脅威に、文化ごとかき消されそうになりながら、それを刺激に自分の国というものを強く意識しています。
フランスもそうだと思います。そのほか、ニュージーランドのマオリも、今族長が女王に代替わりしたのですが、その方はマオリの歴史や概念、文化風習を誰よりも深く知り尽くした方で、マオリと英語圏の入植者たちとの間にたち、マオリのナショナリズムを体現しているそうです。

しかし、なぜだかメディアは、自分の国の古くからある土着の価値観に繋がって生きようとする土着の人々(ネイティブ)たちを変な形で報道するムードがありませんか。
 グローバル化を推し進めるマスコミに抗うように、ネイティブであることの大切さを主張する人たちも浮き上がって来ているというのがみて取れるんです。

マスコミは言います。ヒトラーのような独裁者、国粋主義者、行き場のない不幸な移民を排除しようとするネイティブとか、自国のことしか考えないジャイアン的な発想で国を支配する人のように、何百年も、何千年もその土地に住まい作り上げて来た流れを大事にしようとする人たちを、「公平ではない」「平等ではない」「自由ではない」とばかりに、政治的な実態からはかけ離れた宣伝が意図的にたくさんなされているように感じられるのです。

 とくに、フランスに関しては、頭の軽いフランス人が観光客に対しての態度が差別的であるとか、鼻っ柱が強いとか、移民差別がすごいとか屁理屈がすごいとか、たいしたことないのに保守的だとか、自国の言語にこだわりすぎて、移民を排他的に取り扱おうとしているとか、そんな感じのびっくりエピソードや言説だけが飛び交っているように思うんです。逆に、フランス人の内側からフランスの良識層や教養層が何をみているのかについて考察した記事っていうのは、非常に少ないように思います。
 このような情報の偏りは、受け取る側の判断材料のバラエティが少なすぎて、自然に誤解と分断を起こしますよね。このように、今の時代は、ネットを介して、本当だか嘘だかわからない一方見の情報が溢れて、あちこちで、分断を起こすための操作がなされているように感じるんですよね。

 そういう意味で生の情報は大事ですから、当のフランス人ネイティブはどう思ってるんだろう、と思ったんですね。
 彼の話を聞けば聞くほど、高飛車なフランス人先入観のイメージは消え去り「なんだ、伝統を重んじる日本とおんなじなんだ」とわかってきて、「そうだよね、大切なことは、確かにそこだよね。日本人と同じだ。」と感じられ、フランスネイティブ目線に強い共感と親近感を覚えました。

 現在、フランス政府のやっていることと、ネイティブのフランス人たちが望んでいることは、あまりにかけ離れていて、納得いかないとかいう話にしても、日本でも同じことが起きていることを感じる。おそらく、コロナ禍ではイタリアでも同じことがおきていたんじゃないかと思います。

 一斉に、世界中で、なにかおかしなことが動き出した。
 違和感を覚える教育や政策に、フランスのネイティブたちは、それはさすがにおかしいんじゃないかと思う当たり前のことを抗議するけれども、これは政府命令なんだということで、どんどん推し進められていく実態。学校の第一言語がアラブ語にされるとかね。
 日本でも、移民の異常優遇や、重税がそうですよね。

 フランスの移民にも色々いて全員を拒絶的にみているわけではないと彼は言います。とくに、普通にアジアの知識層が移民してくる時などはそうで、彼らは自分のルーツに関わる文化や言語と一緒に、ちゃんとフランスの歴史や言語、文化に対してリスペクトを持って子供たちに教えてくれるから、そういう移民をフランスネイティブたちは、むしろ歓迎してくれているんだそうです。
 しかし、アフリカ系の移民はそもそもフランスの社会の中に馴染もうとする気が全くなく、フランスの社会の中に自分たちの国を作ってしまうという困ったことが多発しているのだそうです。
 その国の言葉を学ばない、フランスのやり方を学ばない、価値観を尊重しない。自分が元いた国のルールを押し通し、自分たちにだけ良い生活を強引に続けていく。これが対立を生んだりしているのだそう。
 移民を使って、国を破壊工作しているんじゃないかと思うような動きさえある。

 フランスでもまさに、日本の川口市のクルド人問題のようなことが起こっているようなんです。ネイティブの社会を破壊する。移民で血を薄める。もとからあった文化や価値観の良識の基準をずらす。そういう手法、アメリカでも日本でもフランスでも起こっていることと一致します。
 ただ日本と違って、フランスは、子供が多い。少子化対策を早くしたため、フランスの文化や歴史や独自性を引き継いでくれる人口が維持されている点で、現状、日本ほどの危機感はないそう。
でも、ここ、京都は本当に危ない。東京はもはや日本アイデンティティがないに等しいので、京都が倒れたら日本の独自の精神の柱が消えるかもしれない。彼も心配していました。

 実際に、京都独自の文化や言葉、価値観の継承を無意識に行う、実際に営む京都人が生活苦により京都から流出することによって、京都が守っていた日本の精神性につながるものが維持できなくなって来ているんです。京都弁が話せる人がめっきり減ってます。そして、町内のつながりも、前に比べると薄くなっていると思います。
そして、それは、外から人を入れればなんとかなる問題ではないんです。
その土地に根付いて、ネイティブとして育ち、大人になっていくものだけが継承できるエネルギー(気)なんですよね。同じ日本人として、京都に住んで、それを強く感じます。

だからそういう意味では、私たちはどう勉強したところで、京都ネイティブにはなれません。東京移民者です。日本人であっても、よそ者からネイティブになるためには最低3代経由しないと、京都の作法やあうんの呼吸を身につけるようなネイティブにはなれないでしょう。
 4代でもまだ新参者扱いかもしれません。(悪い意味ではなく、京都が重んじているものを、言わなくても呼吸のようにわかる人間になるには、という意味です。京都には、天皇から数えて50代目とか普通にいるんで。w)
 そういう人たちが、脈々と引き継いできた価値観や視点は、もう京都ネイティブだけがDNAレベルでマスターしているものだと思います。
そして、奈良、大阪、滋賀、そういう濃い流れがちゃんと続いているからこそ、そこから他府県に波及していき、日本は日本を保っている。そう感じられるんです。ここは日本の心臓部です。

 フランスにも同じようなものがあり、フランス人もそのような伝統的につないできた、独自性、ネイティブの意識を大切に守って来ています。逆に、これがフランスだ、と言えるものがあるから、移民を受け入れる懐もある。
 だから、そういう京都に来た時、自分たちのアイデンティティの琴線にも触れるんだ、と言っていました。
しかし、京都は、フランスと同じレベルではない。と彼は続けます。
京都が、この国を愛する気持ち、伝統や良識を重んじる気持ち、敬意を払う心は、フランスのそれ以上だ、と言ってるんですね。

京都に比べたら、フランス人のそれは、可愛いものだって思えるって。ここまで、隅々まで行き届く、美意識、礼の心、調和の精神、即物的じゃない豊かさを知る感性、プライド、全てにおいてフランスを凌いでいると感じる。
彼はそう言ったんですね。
(だから、タイトルが、ドギツイってつけたんですわ。w つまり、そういう意味よ。)

それを聞いて、私もああ、同じ視点でこの良さをわかる外国人もいるんだ、とすごく感銘を受けたんです。自分と同じものをみている人がいると感じられる時って、まさに次元を超えたつながりを意識しますよね。

また、日本人同士で同じ話をする時でさえ、かなり高度な話題なのでそもそもついていくのが大変な、多岐にわたる文化教養の話を、フランス人の消防士さんが自分の見解や体験を交えながら、理路整然と日本人とお話ししできること、(しかも流暢な日本語で!)どんな分野の話題にも深い見識を持っていることにも、本当に驚きました。

 実際、私は分類的にはオタクなので、私の友人でいられる人もやっぱり、何かしらの分野のエキスパートになります。w 
 この間、やっと子供の小学校で、普通に話せる同じ年のママ友が見つかったと喜んでいたら、なんと開けてびっくり、京大医学部の先生でした。
あ、またオタク仲間か!

 外国語といってもせいぜい英語で、使う言語が違うため、ここまで深い話をする機会はなかったので知りませんでしたが、フランス人はこのような深い教養を人と話すことにも抵抗がなく、互いの知見を深め合うスタイルが板についているのだなぁと感心してしまいました。
 日本人はテレビのギャグをかますことができたり、芸能人に詳しかったり、スポーツ新聞に詳しかったり、大衆ウケする方が世渡り上手みたいに見るところがあると思いますが、実際は、それは世界の中では幼稚な態度なのかもしれません。

 そして、京都の食育に関しての理解も素晴らしかったですね。フランス人は食文化を非常に大切にします。そして、そういうことがわかる舌をちゃんと育てられています。だから彼は京都に来た時、この地域が何が違うのか、が豆腐を食べて、すぐにわかったと言います。
 業務的な豆腐はほとんど大豆の味がない。しかし、京都の豆腐専門店の職人さんの豆腐を食べた時、目が覚めるような思いがしたそうです。
 素材がしっかり味わえる、そして舌触りから、絶妙な水分配分からなにから、全てが理解され、追及されている。
 ここは、食の豊かさ、深さ、食材への敬意があるところだ、とおもって感動したのだそうです。

 私たちから見ると、みんなおなじ西洋人にしか見えませんが、四条河原町で食べ歩きする新世界の英語圏の人たちとフランスは明らかに違うみたいだなぁと笑ってしまいました。
 同じにされては困るとおもったのか、京都が観光客の民度を測って接客するように、フランスも観光客の苦笑いエピソードがあるんだよね、って話してくれました。

 フランスの一流のレストランに来て、シェフが腕をふるおうとすると、アメリカ人とか、金持ちの観光客は、これを抜いてくれ、あれを抜いてくれ、これにはアレルギーがあると料理からどんどん嫌いな野菜や素材をはずすように注文してくるのだそうです。そして、ほとんど食べるところがなくなったディッシュの上に、どこでも売っているソースを持って来ていて、それをなんにでもかけて、食べる。
 なんのために、ここに来たのかと、それを目撃するフランス人たちがドン引きするのだそうです。


フランス人の舌はテロワールもわかる。野菜の味はどこも同じじゃない。土と気候と人の技術が総合で創り上げている、天からの恩恵・芸術品なんだって、フランス人は理解して食を受け取る土台があります。

だから、いくらお金を持っているといっても、そんな人物に出会うことがつづくと、さすがに観光客が嫌になる。またか、と。やっぱり、味のわからないものに、ちゃんと出しても、馬鹿馬鹿しくなるわけですよね。
 その辺りも、100年ものの苔を踏みつけにする中国人観光客や鹿を虐待する中国人観光客に言葉もない、という神主さんたちとその辺の気持ちは一緒なんです。観光客が、京都人をいけずと揶揄するのと、フランス人を意地悪で差別すると揶揄する状況はこういう目線の違いからおきてたりもするんです。
 食に関しては、京都も板前さんの心はフランスのシェフたちと大事にする精神はおんなじです。まぁ、どんな人が来ても京都の場合は手を抜くようなことはしませんけども、フランスも京都も、大事なものを踏み荒らされる体験を通して、どこの国の人がどうか、とか観光客の人間の質をちゃんとみて、態度を調整するようになったんですよね。傷つかないようにあらかじめ、こころで覚悟して、成金を取り扱う。

 「東京の良識基準は日本の良識ではなく、もはやアメリカの植民地と言ってもいい。来るなら京都、大阪で正解だよ。」
と私がいうと、彼も苦笑いして、
「実はフランスに住んでる日本人の友達の多くが大阪人なんだけど、みんな日本に行くといったら、東に行くことを止めるんだよね。」
「東にはろくなものがない、行くなら西、関西から西だよ!日本に来て、ああ、と。その意味がわかった。」といってました。

大阪人らしい!w
私は東京人ですが、もう、その通りすぎて、苦笑するしかなかったですね。
 東京人のステレオタイプ代表といったら、ひろゆきとかホリエモンとかそういう即物的な価値観だとおもいます。実績を出したもん勝ち、で大きい顔をします。しかし、彼らは本質的には日本人じゃなくて、非常にアメリカくさい価値観の人たちだと、東京出身の自分も、個人的には思ってます。
 西の人たちは、ひろゆきやホリエモンのような生き方や価値観を生理的に気持ち悪い、という人たちが多いんで、悪くて語らないだけで、内心の東京嫌いがいかほどかわかると思います。w
 教養ある良識的なフランス人の目から見ても、結局、そうだったんだろうなぁと思いました。

これを読んで、あ、そうなんだ、と、何がおかしいのかを気がついた東京人は、今からでも、流行りのプログラミングや英語とかよりもむしろ、文化芸術学術教養世界から自分の感性を磨いていく方へへ舵を切って欲しいところです。世界のなかで勝てる日本の強みや良さはそっちですから!w

 そして同時に、そんな彼が日本の京都とフランスの大事にしている路線が似てると感じながらも、違うなぁと思う点はどこなのかもこの際、聞いてみました。彼の答えは、
「京都(西日本も)は非常にバランスがいいんだ」との答えでした。

 京都は精神と物質の世界のバランス点がわかっている。他人との関わりの中でも、理屈と感情を調和させたコミュニケーションが取れるところもすごいなと思うそうで、

「フランスの場合、自分の感じたことおもったことをなんでもばーっと相手に言ってしまう。それはある意味で正直で、裏のない姿ではあるけれど、それを毎日やられたら、やっぱり人間ってすごく疲れるんだよね。
感情的に動きが大きすぎて、自分のこころが落ち着けない。」

「日本人のコミュニケーションの中には、礼と、相手との境界線をふみこえないようにする心遣いが感じられるんだ。人間は表に出さなくていい部分もあることを教えてくれる。だから日本に来ると、すごく心が休まるんだよね。」

フランスに帰国しても、日本に帰りたくなる理由はそこで、彼はアジア圏のそういう気遣いの世界が性に合ってるから、フランスに帰ると、お前日本ナイズドされちゃったな、とからかわれるそうなんですが、それでも、昔、自分は日本人だったんじゃないかと思うほど、日本が好きなんだそうです。
なんだか嬉しいですよね。

そして、他者の良さに気がつけること、違うものを冷静に観察する目もそうだし、日本文化の中にある、結界文化を肌身で感じて言語化できるこのフランス男性も本当にすごいなぁと思いました。

 私にしても日本人に話しても、ついてこれない内容の話題が、普通に外国人に通じたことが嬉しく、お互いに非常に有意義な1日となりました。

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今日の京都です。洛中も紅葉が綺麗ですよ。

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