誤解スピリチュアル・目覚めに優劣はないですよ?

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 京都も朝晩寒くなってきました。
昨日、スピリチュアル動画を見たんですけども、宇宙連合と繋がっているおばあちゃんのお話動画で、その方が霊的世界と地球と宇宙との関係性を語るシーンを見かけました。
 その方が言ってることが、おおまかに自分の把握している宇宙と近いものがあったので、ちょっと立ち止まって動画を視聴してたんですね。
 彼女はそれを理路整然と語っていて、宇宙存在と物質次元でもリアルタイムでもっとリアリティを持って交流しているようだったので、すごいなぁとか、ああ、そうだよね、と思いながらみてました。ダライ・ラマからも尊敬され、交流があるとおっしゃっていました。
 もしかしたら、私が世話になったインド聖者が多次元でつながっている存在とも同じなのかもしれないので、リンクするのかなぁと思いました。

 その方はイエスの娘を名乗るだけあって、皮肉が多く、歯に衣着せぬ言い方はイエス由来なのかなと感じる個性だったんですが、その方の地球人に対する見方においては、やっぱりちょっと自分の知っているものとは違う部分もあって、少々、違和感があったので、色々なひとが宇宙チャネリングする中で、ここんところはちょっと違う、聞いた人に誤解させるなぁ〜と思ったところを、一応はっきりさせておいた方が良いと思って、書くことにしました。

 まず論点の主題は、目覚めている人は目覚めていない人に比べて、劣っているのか、というところなんですよね。彼女は、知性も意識も低く怠惰な地球人がアセンションを遅らせているというスタンスでお話しします。
 自分も地球人の体の中にいるんだけど、彼女的には、自分は宇宙に所属している高度な知性社会を知っている、というプライドなのだと思うのです。

こんなに宇宙は高度なのに、まだ地球人はめざめてなくて、低いところでどんぱちやってるじゃない?みたいな感じ。
ある軸から見れば、そうなのかもしれないけども、本質的にはそうじゃない、と私は思うんです。

 目覚めた人と目覚めていない人という点において、実際、そんなに違いはない、っていうのが、自分の受け取っている宇宙知識なんですよ。
というのも、人間って、一つの肉体に縛られて存在しているわけではないです。輪廻をくりかえしますし、転生もします。

 全員が、色々な体験をするために、色々な星、色々な次元に降り立って、学びを重ねて宇宙中を流浪しているわけなんですよ。
 そして、肉体を得て生まれる時に、どの程度の精神度合いの濃さでうまれてくるかっていう調整もなされています。

本当は高度な精神性を持っていたとしても、地球の次元で学べる体験を計算すると、このあたりの精神性に落として、地球に生まれてこようかな、と自分で決めて生まれて低く設定している魂もいるわけなんですね。

元々は人間の魂は、高次元と繋がっています。
だからどの魂だって、本質的には非常に高い波動を発する、聖なる存在です。
大乗仏教では、だれもがもともと如来になれる、仏性を誰もが持っている、というような言い方をしました。
だれもが菩薩、如来を目指して修行している存在だ、と伝承してきました。
だから、すごい形相の不動明王だって、自分を目覚めさせるための厳しさを持った存在だったりしますし、教えのインパクトの強さや見かけからは、わからないものなんです。

そうやって、さまざまな事情を抱えて、人間に生まれてきた私たちですが、この時空間では特別なことがありました。
 今回の地球の転生において、いつもの輪廻や転生と環境的にちがっていたのは、「マトリックスの中に居ながらにして、自分の意識がマトリックスの中に閉じ込められているんだ、ということに気がつき、このカラクリや法則性をマスターして、新人類になるという体験ができるよ」という環境オプションでした。そして、その二者択一オプションは、それぞれが選んたんです。

その今世でそれを選ぶか、選ばないか、をスピリチュアルでうまい具合に言い分けたのが、「目覚めを選んだ人」「眠りを選んだ人」という言い方なんですよね。スピリチュアルでは、まるで目覚めを選んだひとが高尚のように語られるじゃないですか。特別感も得られます。

でも、果たしてそうなのか。
そもそも個人個人が、地球に生まれた目的というのが違います。

その目的を果たすのに、都合のよい環境を選んで生まれてきています。
それを設定して生まれてくる時に、「目覚める」オプションつけますか?つけないですか?という選択項目もあったんです。

その時に、別に目覚めを体験しなくても、今回地球に生まれる目的を達するのに十分条件があるから、いいです。ってオプションを選ばなかった人たちがいるわけです。

そして一方で、「え、そんな面白そうな体験ができるならば、やってみたい!挑戦してみたい」と思う魂のグループもあったんです。
普通、この世界のイリュージョンの仕組みに気が付くという体験は、一部の精神力の非常に強い人間にしか達成できません。その人間がある時空間の隙間を通して、高次元と繋がり、多次元世界と繋がった瞬間、いわゆる「覚り」が起こります。だから、ひたすら修行者は瞑想して、一生かかっても達成できるかできないかわからないけど、修行を通して達成を目指したんです。

でも、今回は、宇宙の気の配列がもっと深部からガラリと変わります。
だから、地球史上最大に目覚めやすい環境条件が整っている。
そのオプションをぜひ、利用したい!とおもって、生まれてきている魂グループもいる。そして、目覚めるということを通して、人類が滅亡ではなくて、高度な宇宙社会の仲間入りを果たす、新人類として宇宙文明を花開かす「祖」になるという役割を兼ねることにしたんです。

それがスターシードとか、ライトワーカーとか言われます。インディゴ・チルドレンだったり、クリスタル・チルドレンだったり、レインボー、だったりというのも、その地球の流れにのっかります、そこに貢献する役割をしてみたいです、と望んで生まれてきてます。

そこで、地球の上で、自分自身の人生を最大限開花させることによって、全体の調和のためのマテリアルに自分がなる、と決めてるので、自分らしい人生を生きようという願望が根底にあります。
 だからわりと「すいません、生まれる前に、何がしたいんだか、確かに決めたはずなんですけど、生まれたら、この世の環境刺激が強すぎて、つい、忘れちゃったんです。」ってひとが、実学算命学のプロファイリングを受けにきます。実際、宿命にはそのシナリオが色々書かれているので、プロファイリングではそれを解析して、本人の自我との一致を試みる、みたいなことをやってると思います。

でも、目覚めることをオプションとして使わなくても、目的を果たすことができるとふんだ魂は、分かった上で「眠り」を選んでるわけなんで、それはそれで全然いいことなんです。目覚めることが優れたことでもないし、眠りを選択している人たちが怠惰で未熟で下にみるような存在だってことを言ってるわけじゃないんです。

だから、例え、宇宙連合と繋がる彼女が、仕方のない、未熟な地球人たちよ、と思っていたとしても、私はそうは思わないんですよね。
今見えている、肉体に宿るその人が、その人の全てではないからなんです。

これはインドの聖者が教えてくれたことでもあります。
インドの聖者は、多次元世界と繋がる「その人」の本質の方をみているので、どの人をみても輝かしく愛しい人間に見えるのだそうです。
例え、目の前の人が、我欲にまみれて、人生がうまくいっていないとか、執着が強くて、オーラが汚れていたとしても、聖者は多次元の目線から、なぜそのひとがそうなっているのか、前世レベルから理由がわかるし、その内側にある光である、そのひとを見るようにしているから、なんですよね。

人の本質は、高い波動を持つ光の存在。でもそこに、汚れのように、本来の自分ではない低い波動がくっつき、自分の見える意識世界に、本来は存在しない影絵を見せている。それと格闘して生きることが、これまでの地球人の生き方そのものだったわけなので、聖者はそこをジャッジしないでその人を愛するんですよね。

人間なんで、私も好き嫌いありますが、人間は体をまとう自分だけがその人ではないんだ、ということ、そしてこの世の常識では測れないレベルの理由があって、その人がそういうキャラで生きているんだ、ということを忘れてはいけないということを教わりました。
複合的にしがらみがある。それを普通の人たちは、読み取ることができない。
だから、誰もひとはひとを裁くことはできないんだ、と。

宇宙所属の彼女は、地球人としてひとくくりにするけれども、地球人の中身は本当に色々なんです。そして、地球人としている間はとても短くて、どの人も仮住まいなんです。だから、目覚めない地球人は宇宙文明にとてもついていけない、という優劣で見るのは、高度な宇宙存在だとしても、ちょっと違うと、私は思うんですよね。

地球人は、みんな、いろんな事情がある。
地球人は裏を返せば、全員元宇宙人で、宇宙からきていて、地球から発生したのではなくて、宇宙の源から発生した存在なんですよ。
(ベースとなる人類の肉体は宇宙人が作ったのかもしれませんが)

そして宇宙存在が、地球にやってきて、仮の時間を地球人として、地球のルールに合意してやってきたわけなので、地球人は未熟、という観点からものを見るのは、的を得ない表現だと思うんです。

 目覚めることを今世の目的の一つとして決めている地球人に入っているソウルたちは、目覚める。そして、地球の光の柱の中心的な役割を担う。
でも目覚めない人たちが、悪いわけでも、劣っているわけでもない。
目覚めないまま、地球での物質次元の体験をするという目的を持っているひとたちもいるわけだから。

ただ、目覚める、と決めた人たちの中でも、今、自分を自分で幸せにする力が弱い人たちがいるんですね。まだおもりを背負って、辛い体験のほうを選んでいる人たちがいるんですね。そうなると、本来のポテンシャルは高い波動に共振していく器があるのに、それを全うすることができないわけじゃないですか。地球の常識にからめとられちゃって、本当はしたくもないことを未だやらなければ生きていかれないと信じ込まされちゃっていたり、そんなんで食っていけるわけないだろう、そんないい加減な生き方、とか言われちゃったりして、自分感覚と外野の言ってくることとの間で迷っていて、意図がしっかり定められなかったりとかね。

そうなると、波動の基準点を作る「目覚め」を決めた人たちが発する波動が弱すぎて、他の存在に意識波動の影響を与えていく役割が果たせていないことになります。だから、問題になっているんです。

そのことが、彼女の言葉からはうまく伝わってない、またそれを一生懸命つたえる役割の別な彼の言葉も拙い。

ジョン・レノンの残したメッセージを思い出してください。
大事なのは、イマジンですよ。
望む世界を、イメージする力。
自分がどう生きたいのか、どうなりたいのか、ビジョンをイメージする力が目覚めを選んだ魂の中で、今弱っているんです。

具現化の第一歩はイメージです。
イメージを強化するのが、アクション・行動です。
そして、ライオンが歩き出すように、堂々と王者のように、雄々しく進みなさい、あなた方はそういう存在として、生まれてきたんだから。

これがインド聖者が光の柱たちに教えの最終段階で述べた言葉です。
その辺りの視点軸が、スピリチュアル界隈で抜けてるなぁと思ったので、ちょっと書かせてもらいました。

上視点で、下を見下すのは、ピラミッド時代の古い視点です。
算命学と関わりの深い仏教世界の視点で、大事とされたのは、広い視野を持てる人がそうではない人のために、良い道を示し、さりげなく整えてあげることです。

人(衆生)を助けることが大乗仏教における修行条件だったのは、上が下を助けてあげることが大事なのではなくて、自分が目にする人すべてが、すなわち自分の意識世界の投影であり、その人を通して、自分の意識の全てを愛せるように、理解できるようになるためです。
だから、仏教における人助けは、人のためでなくて、自分のためなんです。
 いま、どんなに幸せで裕福でも、もしこの先、輪廻転生したら、自分がそのひとと同じ立場に生まれるかもしれません。

 相手の価値と自分の価値が分離してないんです。
そして、日本っていうのは、その仏教の社会奉仕や手助けの精神、見かけや持ち物、国籍にとらわれず、自分と同じように相手を愛する精神を尊いとして、価値軸に据えていた国なんですよ。

 日本に生まれたということは、そういう土壌から、そういう波動を発揮しやすいということでもあると思うので、小さな範囲でも良いと思います。自分と一緒に発展していけるような人たちとの繋がりがある、そんな世界を作れたらいいですよね。



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