シャーマンな先生

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5年前、インドの聖者から個人的なアドバイスをもらったんだけど、それが「ボイストレーニングを受けなさい」ということだったんだよね。

ボイストレーニング....
(いまさら、歌手になるわけでもあるまいし、なぜだ。)

聖者からは呼吸器に問題があることが見えていたのかもしれないけど、実際、昨年呼吸器関係の手術を受けることになった。術後、むっちゃ苦しかったわ。
 ボイストレーニングは、呼吸関係の筋力のリハビリにもなっているので、今や自分の大事なトレーニングにもなっている。
そういうわけで紆余曲折あり、現在は専門のボイトレの学校に通っています。

で、前の先生が予約がなかなか取れなくなったので、この間そのかわりに新しい先生に切り替えたら、そのボイトレの先生がまた、すごかった。w

 ご本人もミュージシャンでいらっしゃるけど、民族音楽に関心があって、コロナ前は、ヨーロッパをまわり、ケルト音楽を勉強しに行く計画でいたのだそう。
 先生のトレーニングは普通のボイトレとは違うオリジナルのやり方。ただ何も考えずについていくだけで、持病のせいでうまく開かない声帯を無理なく開いていってくれる。これまでの先生たちとは、全く違う、とすぐにわかった。
 まるで、体のなかにエネルギーを通すためのボイトレで、
ボイトレなのに瞬間、瞑想状態にはいるんだよね。

で、先生は、どこをどうみても、フルに調舒星の先生なの。w
むっちゃ、喋る、喋る。w(自分も喋るけど)
 そして精神世界とか多次元世界の話とか、声とサトルボディの関係性をわかりやすくふつーに語ってくれるわけ。それだけですごく面白いんだけども、
 ある時、先生のトレーニングを受けていたとき、ボキっと頚椎が動いて首の可動域があがって楽になったこともあったんだ。
 結果的に整体みたいな効果まであってエネルギーの世界の影響に驚いた。

先生のトレーニングは、声のエネルギーの法則をボイストレーニングの既存のノウハウに落とし込んで、命を吹き込み直している感じなんだよね。

 あ、なんか自分とやってることが非常に似てるな、と思ったの。

そして、先生のトレーニングを受けると、実際、非常に体が楽になるという実感は確実に毎回あって、とにかくなにより精神が穏やかになる。
やっぱりこの人、相当エネルギーと体の関係の深いところがわかっているな。
多次元的な意識を持って、仕事をしてるな。
魔女っ子のような先生だ。

とどんどん、疑いようがなくなってきて、
ふつーに続いている見えないエネルギーの授業も、実はこれって世の中的には本当はフツーではないんじゃないかっていう状態なのに、まるでいきなり地球の次元がシフトしたかのように私と先生との間ではフツーに続いていくので、w この世界を客観的に意識してるのはわたしだけなのか、確かめるため、思い切ってこの間、先生に聞いてみた。

「あの....(汗)先生って....チャネラーさんですよね??」

「あ、はい。そうです〜。え、わかった?!フフフ・・・」

よくよく聞けば、この先生、代々そういう家系に生まれて、親子代々そういう能力がもともとあったのだそう。だけども、これが仕事に関わるとは全く思っていなかったそう。普通に音楽を専門的に学んでいただけだったという。

「ふつーの生徒さんにはこっちの地を出さないんですけど、Jemmyさんなら、おんなじ世界の人だから、全然問題ないと思って、ふつーに出してます〜!w」
って、先生ムッチャあっけらかんと、ペラペラお話される。

それがまた、気持ちいいんだわ。w
先生曰く、声というのは、それ自体が波動であり、エネルギーだと。
誰一人として同じ声を持つ人はいない。
声紋みたいなもの。その人自身にしかないもの。

太古の昔から声がエネルギーであり、高い波長の音が場を浄化するということは知られていて、目覚めのゲートが閉まったあたりで先生は自然とこれからは自分のシャーマニックな能力を使って仕事をしていった方がいいんじゃないかという思いが湧いてきたのだそう。

そこで、自分の中の閉じていたエンパスや家系の能力を開いて、高い波動の声を発することができるように生徒をトレーニングし始めたのだそう。
地球が今、風の時代を迎えて波動を高めていくなかで、地球上にある低い波動は、災害や戦争・民族問題などの形をとって、どんどんあぶり出されては徐々に消えつつある。そのなかで人の自然淘汰もある。

 それで先生には、激動の地球の現実を安定させながら波動上昇を助けるために、人間の持つ声の世界で地球に貢献していくんだ、というハイヤーセルフとの対話があったのだそう。

一般的に売れている歌手さんのように、歌が上手いということは、トレーニングによって技巧的に体をうまく使える人、その声はテクニカルなもの。
しかし、高い波動を持つ声は、場を浄化し、人を癒す。
技巧的にうまい売れる声ではなく、その高い波動を持つ声を出せる人たちをたくさん増やすのが、自分のボイストレーナーとしての仕事なんだ、と気がついていったのだそう。

場を浄化していく高い波動の声は、聞いていて心地よい。安らかになる。そういう声を出せる生徒をたくさん作り上げたら、そのひとたちが一生に渡り、歌ったり話したりするわけだから、その人たちが周りに発する高いエネルギーが社会貢献し始める。
その空間にある闇がその人の声の光に溶かされていくようになる。

私一人では、影響力は少ないけれども、そういう生徒さんをたくさん作って世の中に送り出すことで、世界のあちこちでその人たちが地球を浄化し始めたらすごく良い世界が出来上がると思ってて、だから私はここから始めるんだって思った、と先生はいっていた。

そういう先生のカミングアウトな話をきいて、こっちはむっちゃ鳥肌がたっちゃって。
ああ、目覚めのゲートを越えて、ライトワーカーが次々と目覚め始めている!

って思ったんだよね。
自分もそう。
いや、自分だけじゃない。
日本中で、人が目覚めて、自分のしごとを果たし始めているのかもしれない。

映画「マトリックス」の三作目の最後を思い出して欲しいんだよね。
トリニティとネオは、マトリックスにとらわれた人間たちを見えない目で見る。そして世界は、光でいっぱいだって言っている。
あれはこの世の現実のことなんだ。

この3次元の幻想社会の中に意識が囚われた人間たちの本質は、あの映画のラストが示しているように、まばゆい光そのもの。高次波動の束が集まって、光を発している存在が、人間の本質なんだ。
自分の意識が何かにとらわれたために、自分自身によって制限されている人間。
でも、エネルギーの視点で多次元世界から人間をみたら、人間は光の群れなんだよ。

先生は、声という媒体を使って、人が本質的に光であると目覚めさせようとしている。わたしは、むちゃくちゃ理屈っぽい世界である算命学を使って、人の意識の世界の交通整理をしている。結果、すっきりした人がもとの光を取り戻し、自分の人生で輝けば、それが社会にもたらす力は大きいと思ってる。

これまでの世界って、歴史をはじめとする学問や音楽・芸術や精神・哲学を非常に軽んじてきた。西洋的拝金主義で、金を生み出さないものは全て無価値である、とでもいうかのように、子供たちの学校の科目から、これらのものがどんどん削られていった。その代わりに、英語やプログラミングが追加され、実利的な人間作りがなされていった。

でも子供たちに今、本当に必要なのは、むしろ右脳的な世界なんじゃないかなって思うんだよね。右脳的な世界は感性を磨く世界。
つまり、多次元的なエネルギーを感じ取る感性を磨く世界なんだ。
そして見える世界だけではないことがわかれば、人間の思考とこころが自由になる。

でも、闇はそれじゃあ、困るんだよね。きっと。
自由な心を持ち、自由に思考をしてもらったら困る。
だから其れ相応の理屈をつけて、それを育む要素を小さい頃から抜き取るんだろうな。

ピカチュウは、仕事人間でいつも心がカサカサしてイライラしてたけど、コロナでピアノを習い、弾くようになってからピアノでストレスが消えることに気がついて、人生が楽しくなったといっていた。ピアノを習いたかったけれども、習えなかった子供時代があって、大人になってから始めたピアノ。
「自分がやりたいことをやったらいいよ。ピカチュウ。」と、干渉はしない。

 日本て、すごく変で、まぁ、そもそも私たちが明治に刷り込まれた勤勉の象徴・二宮金次郎みたいなのが理想の子ども像として小学校に建てられていること自体、おかしいんだよね。
自分の人生よりも人の人生を優先させる人が良いとされる。
だから全体主義になっていく。形式主義になっていく。
自分のニーズをおろそかにすることを教えていく教育だよね。
 子供達が自分を楽しませようとするたびに、それを怠惰とみなした親に怒られたり、罰や制限を加えられたりする経験を通して、日本人は大人になってからはいつのまにか、自分で自分に制限をかけるようになっていく。

でも、本当は自分のこころは、みんな自由なんだよ。
本当は自分の素行を見張っている存在なんかいない。自分が自分を見張っているだけなの。だから、自分がどうしたら自分自身に「いいよ」って許可を出していけるか。結局はそれが悩み解決の全てなんだよね。w

舞台があるとする、その舞台に自分も入っていくと、あまりに各キャラとのやりとりが近すぎて、自分の立ち位置がわからなくなる。でも舞台から離れて、観客席でそれをみたらいろんな事情やいろんな人の立場が見えてくる。
訳も分からず翻弄されている現実から、そういう脚本の中に置かれている自分がみえてきたら、自分の役割を意識的に生きられるようになるでしょ。
算命学ってそのためのものなんだよね。
「あ、自分ってこういう脚本を渡されてたんだ」ってまじまじと見る。

そしてそのストーリーを生きる覚悟ができた時、人は「人生って、楽しい」って思えるんだと思うんだよね。
でも理由がわからず、人生に疲れてくると、ひとというのはパターンが決まっていて、「あ〜自分ってダメだ」「無能な人間」「無価値な人間」って思うことに決めている。
自分の存在価値と周りの現象を結びつけて、自分で自分を殴るようになる。

これはもう、それこそ闇の惑わし、思う壺、だよね。w
だから、もう人類はそこに、はまっちゃダメ。
毎回、同じ手口に引っかかっていては、芸がない。

世の中はまだまだわからないことがたくさんある。
それをまだ知らないだけなの。
自分の知らない世界がたくさんある。
悩んだら、学ぼう。自分から知りに行こう。
壁にぶち当たった時にやることは、自分を責めることじゃなく、他人を責めることでもなく、積極的に自分の知らなかったことを学びにいくこと、ただそれだけなんだよ〜!w

そして、一回で諦めたらダメだね。何年でも答えを見つけようと、執念を燃やさなきゃ。w そもそも中国大陸の人の考え方というのは戦略を練って実行するスパンが長い。100年の計でいくわけ。何事も長期戦略なんだよ。
そのくらい、したたかじゃないとダメなんだとおもうわ。w

実はわたしもインド聖者にボイトレ行けと言われてから、すでに5年たってんの。いわれてすぐに、声楽に行ったけど、半年くらい行ってもイマイチだったことと、子供の幼稚園ですぐに行けなくなった。
でも、聖者がいった言葉は、頭の中にずっとあったから、それで終わりにはしなかったんだよ。だから、少しゆとりができ始めた時点で、今度は専門のボイトレの学校にいってみた次第。

ちょっとづつ、今の自分に必要な先生との出会いがあって、そして、今の先生も自分に本当に必要なことを教えてくれる先生で、もし半年声楽通って効果がないや、と思って、そこで簡単に辞めてしまっていたら、今はないと思うんだよね。w

真理を探究する執念深さっていうのは、非常に大事だよ。

天印星中殺や天貴星中殺のように、物事の最初がいつもつまづく宿命の人もいる。でもだからといって一度やってだめでもそこで終わりにしないで、挑戦し続けてみてね。昔と違って、いろいろなことがやりやすくなってきてる。
普通だったら会えない人や、得られないチャンスを掴みやすくもなっている。

ボイトレの先生に会った時、やっぱり、おんなじ世界の人だという実感があったし、向こうにもあったみたいで、正直とても勇気付けられた。
「会えてよかった、このご縁に感謝する!」
って、ボイトレの先生と同時に叫んでた。w

こうやってこれから、個人で活動しているライトワーカーとライトワーカーが出会っていくのが、風の時代なんだろうな、ってふと思ったよ。

今は、自分の役割や立ち位置にみんなが気がついて、戻っていこうとしている時代。それまでの常識がどんどん通用しなくなる時代は、他によって振り回される生き方をやめて、自分の中の満足やニーズを優先させる時代。
 そうして初めて、自分てものがわかってくる。自分の個性も見えてくる。

自分にあった適性をちゃんと生かして、その中で輝いていくことは、自分だけの幸せじゃなくて、世界への貢献なんだっていう価値観が日本であたりまえになっていけばいいなって思うよ。
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