算命学の鑑定士に向いた宿命

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わたしはわりと酒飲みである。だれにも気を使わなくて良い時間をつくり、一人酒を飲み、頭の中の整理整頓をするのが好きなおっさん(おばさん)である。週末、届いたワインを飲みすぎてそのまま事務所で眠りこけてしまい、冷房かけながら寝冷え→夏風邪となり、昨日は喉が痛くて流石にやばかった。

 そんなことをうっかり話そうものなら、車騎星のピカチュウパートナーに叱咤されるので、「いやぁ、最近、ちょっと無理をしすぎたかなぁ〜アハハ...」と嘘をつく。取締りの厳しいピカチュウに酒を禁止される前に回復を図り、生活を修正せねばならない。w

 そういえば、算命学の鑑定学校で初代校長先生が入学式の時に言ったのは、算命学は人格を磨く人間学である、というお話だった。
 (そうなのか〜!算命学をやるとどれくらい人格がよくなるんだろうか?)
と授業が終わるとお茶しながら、クラスの生徒たちが毎度話し合い、1番極めているはずの教師や校長など、トップの人格を日々よく観察するようになったのは言うまでもない。

算命学を人格を磨く学問かなにかのように言う方は、自分が算命学によって人格できているって言っているのと同じなので、その自信がすごいなぁ〜と思う。私は口が裂けても、絶対そんなことは言えない。
ただの町のおばさんである。人の悩みや私生活を知る機会が多いという意味では、市原悦子の「家政婦は見た!」みたいな生き方だろうか。
(今日の写真もそんな気分で選んでみた。)

 正直、これまで算命学をやっているという人で、超人格者というのに出会ったことがない。人格者というよりは、宗教的な人間にはたくさんあった。
実際は、どっちかというとみんな(私を含めて)その逆!!w
という感想だ。実態は「人格者」というより、人格者になった気分の実際は超エゴまみれの人間臭いひとのほうが多いんじゃないだろうか。w

 なので算命学の先生に、算命学が人格を上げるための学問だ、と言われたのなら、生徒は決して真に受けてはいけない。w 
 ぶっちゃけいっちゃうと職業柄「できた人間風」に振舞っているだけの話であって、みんな本当は大した人間ではないからだ。w

 わかりやすくいうと中学高校の先生を思い出して見て欲しい。自分の専門の教科を教える時は、なかなか使えるレベルの基礎を教えてくれるのだが、人間としてどうかというと、人格者っていうには「.....あれ?」と子供心に疑いをもったはずだ。w

算命学の先生というのは、まぁ、あんな感じ。w

なので、自分はまったくこの職業に憧れることもなく、鑑定士さんになりたいとはつゆほども思わなかった。
自分は正直、なんかの組織に入ってサラリーマンになるのがかっこいいと思ってたんだよね。

でも自分をよく知る周り全員にこう言われた。
「お前はサラリーマンは絶対にやれない。」

「みんな、ひどいこと言うよなぁ、やる気になれば自分だってやれるさ!」
とピカチュウにこぼしたら、
「いや、俺も、やれないと思う。絶対に無理だ。」
と結局とどめを刺されてしまった。

 良い算命学の鑑定士さんというのは、塾の先生のように「教え方が上手い人」「専門知識をしっかりもっているひと」の二つの要素が必要である。
自分はたまたまそこにこたえられるものがあったため、まわりの人にいつのまにか頼まれるようになっただけである。w 
 なので実学算命学を学校としてやるかというと、正直、自分では無理だと思う。自分は一代運でもあり、教師としての忍耐はない。
 だから本気でやりたい方は、本流の鑑定学校へ行って欲しい。w

車の運転を習うなら、みんな教習所に行くでしょ。
そこらのおばちゃんに習わないでしょ。
わたしはせいぜい免許取った後のひとに、法定速度40キロで常に走る必要はないんだよ、って教えるような実学の立場である。

そして、実学算命学にご依頼いただく方の3割くらいが
「自分も鑑定士になりたいのですが、どうしたらいいのか教えてください」という質問が含まれていることが多いのだけども、う〜ん、と考え込んでしまうことがある。

別にライバルを増やしたくないとかそんな理由ではなく、
たいていが算命学鑑定士に向いていない宿命の場合が多いからだ。
でも向いているかどうかは別として、算命学に惹かれやすい宿命の傾向はしっかりでていて、それは顕著だ。
だから、う〜ん。なのだ。

宿命中、龍高星2つ、3つあるひとは、算命学にどハマりする。w
それか、宿命中、鳳閣星・調舒星の伝達の星が2つ、3つある人は算命学鑑定士をやりたがる。w

これはねぇ〜本当に十年前から、気がついていた傾向。
でもね、この宿命の人たちは、算命学を学ぶこと自体はいいんですけど、鑑定士さんには正直向いてないんですよね。
だから、いっつも困っちゃうの。

同じ星が2つあれば、もう結構な偏り。
同じ星が3つあったら、もうそれは超・超専門的な世界を極めて、特殊な世界でニッチはってやっていくような宿命。

あ、あと算命学の学校は、玉堂星もたまにはくるけど、玉堂星そのものはあんまりこない。玉堂星に中殺がかかっているひとはくる。玉堂星はそもそも王道の学問に信頼を置く星なのでこないが、宿命が陰転すると玉堂星の多い人が来ることもある。しかし、圧倒的にどハマりするのは、やっぱり龍高星過多の方なんですよねぇ。

ただ、このように習得本能に偏るということは、過去の事象やデータから学ぼうとする人だから過去教わった事実だけは語れるけど、算命学鑑定師を目指すとなると、未来を生きる人への活用ということでは、良いアドバイスができないんだわ。
 習得本能に偏る人は、人に伝えるということが下手で、相手が知りたい本質的なことや大事なことを依頼者に伝え忘れるので、あまり相談者からはありがたがられない傾向もある。
 そして習得本能が多すぎる人は、何を考えているのかが周りに全くわからないと言われていて、感情面でも誤解される。
 極端に習得本能だけでできている命式の人になるとまず、自分の考えや感じ方を相手に伝えることもない。
(全く考えが読めずに相手を不安にさせるので、そういう依頼者は鑑定士に嫌われる人になるw、と冗談交じりに学校では教わったこともあるよ。w)

そして逆に、伝達本能3つ以上とかで、伝達に偏るということは本人も、何でもかんでも人にアドバイスしたい人なんで、実際伝えることは(陰占に火性があれば)上手いんですけども、その土台にある算命学の基礎知識や学問的な経緯、本質をおろそかにしている人がやたら多いんですよ。だからすっ飛ばして結果を欲しいと考え、独学者が多い。w
このパターンは、本当に多いです。だから理論や根拠があいまいなままわかった気になって、ノリで相手にアドバイスするんです。
 このひとたちは、師についてじっくりとその知恵を学ぶ、という経験が大事なんですけど、すぐに見切りをつけるのでそれができにくい。
 そして最大の問題は、そのひとがよほど人間できていない限り、自分が追い込まれたとき相手に言葉の暴力を振るいやすいってことなんです.....
 そして伝達本能が多いということは、わりと直感だけで動く人だから、「これがいける!」ってなるとすぐに動くけど、それが自分の宿命に合わない環境だったときや、夢中になってある程度ほとぼりが冷めると、これは楽ではないと踏んだ時にはすぐに仕事を辞めやすい。w

そういう人たちっていうのは、算命学を自分のために学ぶことはいいんだよね。自分に活用しようっていうのならば。
そして活用できているのならば、おそらく自分をよく知っているので、「自分の宿命では鑑定士はできないな。」と納得して学んでいる。

宿命は環境なので、生まれつきのもの。
外側のマーケティングの問題でどうにかなる話でもないわけですよ。

 要するにね、習得本能の星と伝達本能の星、両方適度にバランスよく持っていなければ、算命学鑑定師にはむかないんだよね。w
そもそも星が偏る人というのは、一人で働くのは向いてないの。

ある能力がとんがっているっていうことは、極端に凹んでいる場所がどこかにあるっていうことなので。基本的に自営業っていうのは全てを自分で賄う世界なので総合バランスが良くないとできない業務形態なんですよ。
 (もしも自営業で命式が偏っているならば、どこかからの専門分野での外注請負が営業利益のメインであった方がいい。)
 むしろそういう人たちは大きな組織に入って、自分がパーツの一つとなって、自分のとんがってる能力の世界の専門の「社員」として働くほうが、安定してストレスなく稼げるんです。
組織の中には他のことが得意な専業の人に自分が助けてもらえる仕組みがあるからね。

ひとはね、自分がかっこいいと思う憧れのやりたい仕事と、本当に自分が居場所を感じて長く続けられる仕事の場所っていうのが違う場合がある。
 でも人間ってこだわりがあるでしょう。

どんなにサラリーマン向いてないよって言われても、自分はその能力がなくても、企業のサラリーマンやりたいなぁ〜看護師さんとかお医者さんとかやりたいなぁ、って思う憧れは消せない。w
 あなたは、算命学で食っていくんです、ってそんな私が鑑定士に言われたとする。でも私は納得がいかない。
「あんなの嫌です。カッコ悪くてできません。確かに能力があるのはわかります。でも、困ってる人がいれば、力を貸すくらいのことはするけど、自分は休みと給料が保証されて、なんか人に堂々と名刺を出せるような、もっとイケてるやつがいいんです。」って。
......だからそうなると、周りはなにも言えないよねぇ。
好みの帳尻合わせは、本人の中でやってください、としか。w

そう、そんなわけで、私は長らく自分の職業を迷いまくったわけですよ......

だからねぇ...なんていうのかなぁ。
もし鑑定で「ええ?こんな分野やったことないし!無理、無理。」って思う業界を提案されたとしてもね、ある一定期間そういう業界にプチ修行に行ってきてほしいんだよね。そうするとやっぱりこの業界やれないなっておもったとしても、結果として「要素」ってものをつかむことができる。
ああ、自分ってこういう「要素」に結構快感を感じるんだ、っていうのがそうういう場所にたくさんあるはずなのね。

でね、自分の日常の中で自分に向いてることは、無意識に人に言われなくてもやっちゃってることなんだよね。私も本当に小さい頃から、大人の相談をよく聞く立場に置かれることが多かったんだよね。今思うと。
 おとなたちが悶える姿を見て、人生の非条理を感じ、「ひとはなぜ幸せな人と不幸な人がいるのだろう?」と思いながら人を観察して育ってきた。
だから、案外、この仕事がやれている。

 日常生活ですでにやっているのが自分の適職、というのは、ひとは変な刷り込みや負荷がかからない限り、自分の宿命にあったことしかやってないからなんだよね。同じ延長線上に必ず仕事がある。
 だけど、あまりに当たり前すぎて、それが特別なことだとは思っていないことがおおいの。それで自分の「要素」に気がつかないまま、何年も意識化できないで終わる。

......でね、ちなみに自分の仕事が忌神のひともいるの。
そういう人って、仕事が楽じゃないの。仕事をやることで嫌なこといっぱいあるの。苦労するんだよね。そうすると、人間って、もっと楽にできる仕事があるんじゃないかなって当然迷うよね。

だけど、そういうひとっていうのは、苦労しながらもその仕事を続けていくことができる能力があるんだ。そして、その苦労する仕事を続ける中で、自分の人生の他の部分が楽に変わっていくことになるんだよね。

例えば、もともとコミュニケーションが苦手な人がいても、営業の仕事で苦労した中でいつの間にかコミュニケーション能力が人並みについていて、本来は女の子に自己アピールなんて絶対できないタイプであっても、営業経験の延長で口説けました!意中の人と結婚できました!
....ってこともあるわけじゃない?

そしたら、仕事で苦労しといてよかったわけよ。
「おめぇは、お客様になんてこと言うんだ!あほたれ!」って上司に絞られて、仕事辞めたくなっても、そこで学んだことが身について人生の他の場所で強みになるわけよ。
 で、ある日デートの時に無意識に仕事で学んだ態度がでて、「あなたの気遣いって、素敵だなぁと思って。優しい人だと思ったから付き合いたいって思えた。」って、大事な時に意中の人に言われるかも知れないんだよね。

仕事が忌神だった場合はね、やっぱりありがたく苦労を受け取る仕事として受け入れるといいんだよね。その苦労からどうしていこう、って考えさせられることが、そもそも1番自分のためになってるからね。
そして楽しみたいなら、人生は忌神じゃないところで楽しんだらいい。

そしてね、必要な苦労を自分の糧にする自分育ての才能が根底にないと、たとえそれが適職だったとしても、最終的にはどんな仕事もできないんだよね。
そして、自分育てがうまくできる人は、自分の延長線上で、人育てだってちゃんとできるようになる。
生徒が自分よりできない先生に教わっても、生徒は伸びない。これ当たり前。

そしてね、自分の魂を育てる時って、自分の気をつぎ足すようなものなので、気で言えば比和の関係の気がいる。それは陽占では、貫索星・石門星が出てくる。

自分が自分のまま伸びていこうとする気は、貫索星・石門星の意識になるの。それはね自分のこと、仲間のことを大事に思う心として育つ。
算命学を学ぶのに必要な、過去(習得)と未来(伝達)の二つだけでは、性質があまりに違いすぎて水火の激突を起こすから、苦しいんだ。
つまり、葛藤してすぐにキレやすい。

でも、間に、貫索星・石門星(守備)(仁徳)が入れば、この水火の激突は、
水生木、木生火で、うまく流れるようになる。つまり、落とし所が見つけやすくなる。

算命学という過去の知恵を、人の手助けや未来のために使うということは、非常に葛藤を起こしやすい職業なわけだけども、そこに自分自身も仲間も育てていこうという仁の心が備われば、上手に知恵を使って人を手助けできるようになるってことなんだよね。

だからね、鑑定士さんになりたい人は、自分の中にその3つの要素がバランスよくあるのかどうかを、自分でチェックしてみてね。
で、ちがうな〜と思ったら、学ぶだけにとどめて、自分自身にその知識を使うか、自分の仕事の中で応用するか、する方がいいと思うんだよね。

鑑定学校に入るとね、入学金とだいたい月2万円前後を四年は払い続ける。総額いくらだと思う?そこにかける時間は?交通費は?
結構なコストを払うと思うんだよね。
そして、ついていこうと思った先生が自分の学びたい流派の先生ではなかったと気がついた場合は、途中やめて、別な学校に一から入り直すことにもなる。
先生に嫌われたり、喧嘩するときもそうなる。
だから嫌な奴でもその先生に我慢して、多少パワハラ受けたとしても顔色を伺いながら四年以上、通わなくてはならない。それまでが無駄になっちゃうからだ。さらに宿命が鑑定士に向いていなかったら、その仕事では食っていけないので、自己投資の回収もできない。

でも学校側は、生徒に永続的にお金をはらってもらえれば、それだけで自分のビジネスは安泰なわけじゃん。生徒が学んだ先にどうなるかなんてことまでは、学校は考えていないわけ。だから、学ぶといいよ、学校へおいで、って誘うかもしれない。そしてこの餌食になりやすいのが、とくに知識意欲が高く、不思議な叡智に惹かれやすい龍高星。
龍高星は、なにかがここにある、と思って、ぐいぐい引き込まれていく。
でも終わりはないんだよねぇ。ずっと学校に学費を上納し続ける人生として所属することになる。
 で、株とおなじことになるわけ。
もうちょっと続けたら、この株は上がるかも知れない、もうちょっと維持したらもっといい時期がくるかもしれない、って売り逃すの。w
同じように、もうちょっと学んだら、もっと先に何かがあるかもしれない、って思うわけよ。そこで、ずっとだらだらついていくことになる。
学校からすると美味しい客だよねぇ。

だから、算命学をどのくらい、なんのためにそれを学ぶのか、っていう目的を明確にすることが学校に通う前には必要だよ。そして通う中でまよったら、当初の目的を思い出せばいい。そこに今の自分、かなってるのかな?って。

ただ、なんとなくで、算命学に近づいて行ったら、学校の金蔵にされるんだってことを、一方で考えておいたほうがいいと思うわ。
だったら、信頼できそうな有能な鑑定士さんを何人かマークしておいて、困った時にそのひとに何万か払って、単発で相談した方が、全然いいよね。

算命学は技術職だからさ、普通の感覚を持った方がいいと思うの。
法律のことを詳しくなっておいたほうが自分のビジネスに得だからって、フツー弁護士資格を一からとろうとしたりしないよね。
そんなことをしているよりも、必要な時に弁護士さんに相談し、あとは自分のビジネスに注力した方がよほど利益は上がるわけ。w

まぁ、何を決めるかっていうのはその人の自由な選択だけど、
この3次元で体験できる時間というのは有限なので、その決まった枠組みの中で、自分に本当に向いた役割、仕事を早く見つけて、そこで有意義な経験をする時間にした方が、迷い続ける人生をストップして、死ぬ時に後悔しない人生になるとわたしは思うんだよね。
手段が目的化していくと、永久に迷い続ける。

それが算命学に関する、わたしの直球の回答だなぁ。
こんなこと書いたら業界的にはいけないのかも知れないけど、別にいまのところ業界に利害関係者もいない上に、いつもたくさんのひとに同じ質問をされるので、未来の鑑定士を目指している人のために言えることとして、私、個人の回答としてここにかいておくわ。w

だれも自分の同業を増やしたくないから、普通、鑑定士さんに聞いても教えてくれないだろうし〜。w
だから鑑定士になる方法って、鑑定士に聞いたらダメですよw、場合によっちゃ、怒り出すかも知れないから。

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