3次元世界での子育てとは、神経の発達を促すこと

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もうすぐ、親にとっては恐怖の夏休みがやってきます。
子供が一日中、家にいるのです!!!
朝ごはん食べさせたら、すぐにお昼ご飯、そしてまたすぐに夕食。時間がなくなります。暑いため家の中を暴れまくるエネルギー身強の子供たちの後片付けに追われていたら、なにもできやしません。w
ピカチュウパートナーと顔を見合わせて、今から夏休みが憂鬱です。

龍高星を持つ上の娘は、暇があると「面白いことをおもいついて」なにかやらかします。龍高星はとくに東にあると、子供の時はいたずらがひどいです。後先考えない破壊行動(本人曰く、探求行動)につながるので、親としては正直、家に置いておきたくありません。(自分の持っているもので高級品は、ほとんどがこの人に壊されました。最近は愛用していたお気に入りのドリンクボトルを学校の私用に使われて、ボトル表面のガンダムの印字が消えてしまい、涙。)

だから、毎年、このひとのあくなき好奇心と移動性と冒険心(天恍星)を満たすため、この人のやりたいことである習い事でスケジュールをいっぱいにし、一日中体力と知力エネルギーを外に向けて使わせることによって、子供の天将星を陰転させずにすむよう、夏休みは、親が送り迎えも含めて頑張らなくてはいけない期間なのです.....w 

ほおっておけばいいじゃない?って知らない人は言いますよ。
でも、そのアドバイスだって、子供によるんですよね。w

じつは子供の身強の星が陰転されると、家庭がしっちゃかめっちゃかになり、ストレスの溜まった両親が揉めるということにもつながりやすいんです。
 表面的には夫婦喧嘩なのでそうは見えませんが、実は無意識世界では子供を通して親が揉める火種が投入されるのです。ですので、両親が離婚寸前、もめている、ということでお子さんの宿命を見ると、やっぱり....天将星だったりします。家族はエネルギーを共有しますからね。
 両親が原因なのではなく、このお子さんが原因ですよ....ってこともあるということです。
 天将星は、自分のエネルギーを使いきれない平和の環境じゃダメだ、と無意識が踏んだら、自分にとって困難な家庭環境を引き寄せてきます。
それで、親二人が子供が引き寄せてくる意識によって、なんだか揉めていく....

そうなってきたら、天将星の鍛え足りなさが原因ですので、子供をもっと過酷な環境にいれてやるか、より大きな目標へエネルギー転換させていかなくてはなりません。自分が得意なことで、日本一になれ、世界へ羽ばたけ、トップを取れ!と天将星の子どもには、叱咤激励する必要があるってことですね。
 苦労を知って力の弱いものの心を知り、天将星はその後の人生でボスとして輝きます。天将星の子を鍛えるのは、親の人生の平和のためでもあるし、親にとっての社会貢献です。(貯金はすべてこの子に使い切られてますが)

 うちの子供も、毎日習い事があります。それでもピンピン元気です。水泳にバレエにピアノ、体操教室ふたつ、そろばん....天将星はどんだけの体力があるのか底が見えずわかりません。お腹が筋肉で割れていました。しかしこれまで彼女からは「毎日楽しいからもっと増やして」という言葉は聞いたことがあっても「疲れた」という言葉を聞いたことがありません。
自分がもし実学算命学のプロファイラーでなかったら、この子が生まれてもふつーに育てて何もしなかったと思います。

算命学の世界では、親側に宿命中殺がかかっている、など、いろんな理由で子供のことがわからない宿命だったり、親の天冲殺で生まれた子供であったり、子供を理解できないという環境要因があります。

「自分が子供とご縁が薄いんだったら、どうやって育てたらいいんですか?!
子供の実像が見えないなら、どうしたらいいんでしょうか?」

よくあるご質問です。
はい。それについて今日はお答えします。

これは教育関係者からは、「そんな即物的な考え方でいいの!?」って怒られることかもしれません。
「教育とは、高い人間性を備え、知識や技術を蓄え、仲間と協力し、社会のために.....そのために精神的に大切なことをふれあいを通して教えて導く.....(延々と続く)」ということを強調された教育論だと、子育てが中殺で難しい人たちは余計に迷っていきますから、そもそも実学算命学は実学ですんで、実際使える学問としてお答えしましょう。w

子育てとは、根っこ育てだと考えて欲しいです。
農業をやってますと、植物って、人間を逆さにしたものだってことに気がつきません?植物は逆立ちした人間なんですよ。
まず、生殖器官が花です。体幹が茎・葉です。脳が根っこにあたります。

植物は脳である根っこに重要なもの全てがあるんです。
植物をそだてたかったら、根っこを育てる。これは農業の常識です。
根っこを育てたかったら土を育てる。

脳は、複雑に神経ネットワークが絡み合います。
神経ネットワークが複雑であるほど、脳の機能は高いと言われます。
植物も根っこがどれだけ複雑に深く地中に伸びているかがその作物の強靭さや作物の栄養価を高めます。

そう、地上をよくしようとすれば、見えない地下が大事なんです。例えば、温室育ちで育った水性栽培のルッコラはすぐに枯れますが、自然栽培で育てたルッコラは、しばらく乾燥させておいても、水に生けるとすぐに復活します。生命力が違うんです。
根っこの太さ、長さが市販のものとは全然違い、香りも辛味も違う。
そして根っこがしっかりした植物は、元の持ち味が個性として強く出てくる。

食文化を大事にするフランス人はそういう食材を好みます。
料理した時に、持ち味の主張が強い方が、調和した時のハーモニーが素晴らしいからです。
人間も同じです。規格通り無難でクレームが来ないように育てるひとづくりでは、のっぺらぼうで魅力が薄れるし、それを調和させても、相乗効果が何も生まれてこない。日本の昭和の規格にそった教育でできあがった人間は、そんな感じなんです。質問を投げかけても、だれもが周りをみて無難な一般論か同じ答えを出してくる。

今後は漂白化される社会になると岡田斗司夫さんは言っていましたが、そんな感じですね。変な意味での協調性です。
でもそれでは、これからの環境変化には対応できない、と思います。

だから、本来の子育ての本質にたちかえれば、その根っこを育てる土が非常に重要です。土が、生き物を育てる。土とは、自分で移動ができない植物にとっての環境です。
子供ならば、子供を取り巻く環境です。
これが非常に大事。

栄養が豊か過ぎれば、根っこを甘やかすことになります。土の地温も重要です。土に栄養素を増やすため、微生物が活動すると地温が上がりますので、凍るような寒い冬でも良い土壌というのは手で触ると周りの地温よりも暖かく、微生物がしっかりと活動している土地なのです。
ですから、地温が高い土に植えられた植物の生育は良い。
転じて、暖かい親・環境のなかで育った子供の生育はよく、その根っこは強いですよ。

結局のところ、子育てって何をしているかというと、「さまざまな働きかけを通して、子供の脳と体の神経ネットワークをちゃんと作ること」なんです。
。肉体をちゃんと動かすための、神経ネットワークを作ってあげるということが、子育ての本質になります。


魂は、自分の肉体がちゃんと使えなければ、自分の目的も果たせません。虐待を受けて育った子供は、脳内のネットワークの発達ができてない部分があったりしますので、大人になって特定の音が聞こえないとか、脳内ホルモンが不安定になったりだとかします。発達障害もそうです。
そうなると、職業選択に制限ができたり、本来の人生を生きにくくする要因になります。

 しかし体が健康であれば、心の問題だって乗り越えやすくなります。傷つけたくない、と子供に過度に気を使いながら育てる必要はないです。
それより「自分がちゃんとした子育てをするには」と迷う前に、この子の体と脳の発達にとって、これはいいんだろうか、どうなんだろうか?という視点で自分の子育てを検証したら良いと思うのです。

そもそも宿命中殺や天中子が我が子であったりすると、自分のなかでの美しい理屈はどんなものであっても何一つ通用しません。通用しない子供が自分の元にきているからです。子育て論・倫理観、美学、哲学がいかに素晴らしいものであったとしても、現実の子育てではかえってそれが邪魔になったりするようなことが起きます。(ですので、本田健さんの子育ての結果は心配しております。)

 しかし脳の発達だけに特化したら、いろんな親側のこだわりがなくなります。例えば、子供自身がやりたいことをやるときが、脳内ホルモンは活性化し、脳内の神経が非常につながりやすくなります。だから、嫌なことではなく、やりたい活動を応援してあげる。
そして、脳内ネットワークが張り巡らされていない箇所が検査でわかれば、それを補うような活動を足してやればいい。脳の機能検査や知能検査は成長中、定期的に受ける。自分の感覚ではなく、科学的な外部の指標を使う。これは本人が嫌がってもやらせてあげねばならないですね。


怒りや恐怖や嫌悪の感情の中では、細胞の動きはストップしますから、脳内のネットワークをつくるにはよくないから、特別な理由がない限りはできるだけやらない。しかし、本人の危険行動や命に関わるようなことであれば、殴っても止めるほうが大事です。そんなときは虐待などの倫理の問題を議論している場合ではありません。

芸術活動や音楽活動は、多岐にわたって脳に刺激をあたえますし、ネットワークが複雑で豊かになるので、経験を増やしてあげるなど応援してあげる。
そうすると、将来なにを習わせるべきか、とか何を早期教育させるかとか、食っていくためのノウハウとか暗記など目先の結果を出すやり方にばかり目移りする子育てから、はなれられますよね。
 たとえ外部教育機関を利用するにしても、なんのためにそれをやるのかがはっきりする。この子の脳のネットワークを増やすには何が必要なのか、という科学的な冷静な視点が生まれます。

子育てが苦手な宿命の人たちは、一時的な感情の高まりやノリによる宗教的な子育てではなくて、科学的な発想で冷静な視点を持ちながら子育てをするほうが向いているということです。

そもそも一昔前の精神論や、芸術・哲学的な要素で美しく着飾った「教育セオリー」を売った時代が昭和の教育トレンドでしたよね。昭和には教育という宗教がありました。子育て経験が少なく不安の多い母親に教育の理想を語る教育者という宗教指導者がいました。
私立一貫校、お受験ブームってそんなでしたね。
 そしてそうした教育を受けた結果、偏差値の高いところに何人進学したか、で学校の価値が図られる。勝ち組・負け組が生まれる。
教育のおかげで、我が子が理想の人間像に育ったと思える安心感もあります。
でもそれって、風の時代、どうなんでしょうか。
そもそも一つの教育法で万人が同じように育つわけないじゃないですか。
だれかにとってはいいけれども、誰かにとっては逆な場合もある。
社会貢献が好きな子供もいれば、自分のことだけ考えて突っ走った方がいい子供だっている。

世の中でいう教育法っていうのは、その子にとっての幸福はなにか、ということが、カスタマイズされていないからなんです。カスタマイズできる経験値の高い教育者もそうそういない。そこで掲げた人間の理想が、果たして自分の子と一致するのかどうか。w

そうしたら子育ての正解っていうのは、育ちあがってみないと誰にもわからない世界になります。だから誰かの言う「ただしい教育法」にすがるのは、自分が子育て苦手だとわかった時点でやめてください、と宿命中殺の親や宿命上、子供と縁の薄い親には、そう言ってあげたいですね。

子供を育てにくい宿命の親にとって子育ては、いろんな価値観や良し悪し損得は、子供自身に考えてもらうことにして、親としての自分は子供の発達をできるだけ助けるだけに徹する、ということが良い子育てになります。

畑で植物にちゃんと水をやって、肥料を足してやったりするように、毎日の子供の世話をする。子供がひまわりならばひまわりのように育ててやって、はなからトウモロコシになれ、とは言わないことです。
植物というのは、だいたいサイズも形も色も決まってますので、どんなにやったって、ひまわりは10メートルになりませんし、ひまわりは青くなりません。

中殺が邪魔して子育てがうまくいかない人たちに、算命学が「達観した子育てをしなさい」とアドバイスするのは、そういう意味なんです。

決められたサイズ、決められた器、決められた色がもう生まれた時点で決まってるんですから、親がどうこうすることで結果はそんなに大きくは変わらないんです。やれることがあるとしたら、子供自身が困ってるときに必要なことだけをして、また子供が伸びたいとおもったときには役立つ環境に近づけてやること、そして最も大事なのは「自分の思いを入れて子供の人生計画の邪魔をしない」ということです。むしろ手を出さない方がうまく育つケースが多いです。

子育てとは、脳細胞や神経ネットワークを育てていると言うことなんだ、と思えば、下手に教育倫理に悩んだり、教育集団にお金を払う必要がなくなります。教師に自分の人間性を怒られても気にしないで済みます。
 植物を育ててるんだな、と思えば、子育てがもともと苦手な宿命の人はシンプルに子育てをやれるじゃないですか。w
畑を脇に見ながら自分の人生を生き、植物の成長を目の端に置くような感覚がちょうどいいってことです。

そのバランスをとるためにも、親自身も自分の人生をちゃんと生きるということが大事になりますから、自分の人生も同時進行でやってくださいね。w

長くなりましたが、算命学の子育てについて、のお話でした。
















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