今日は、子供達の夢である、バレリーナ・歌手・ダンサーの憧れの聖地、新国立劇場へ行ってきました。バレエは散々見せてきたのですが言葉のある劇は、子供達にとっては、生まれて初めて。
たまたまこちらの劇に下の子の親友のお姉さんが出演するということで、家族で気合い入れておしゃれして、プレゼント持って応援しに行きました。
ダンス、歌、演技、年の近いこどもたちが繰り広げる舞台に、子供達は身じろぎもせずに観劇してました。
禄存星にとまる下の子にとっては、新しい職業選択の機会です。
衣装も素敵だし、ものすごい数の子供達の出演だったんですが、子供劇団とはいえ、プロの俳優さんたちも混じっていて、とても見ごたえがありました。
この物語は、ネタバレになっちゃうんですけど、
ある伯爵の孫ミレーヌちゃんという子が嵐にあって難破船で両親とともに死んだと思われてたんですね。それで、家族を失った残された唯一の赤ちゃんである妹が祖父の伯爵に引き取られたんです。体が弱く、残された目の見えない8歳違いのその妹グレースは、目が見えないことを気がつかれないほどの努力で、伯爵家の次期当主として頑張る毎日だったんです。
グレースは、ある日、療養先の村に滞在中、久しぶりに回ってきた旅芸人のショーを楽しみます。しかし、それは仮の姿。その晩、旅芸人に姿を変えた盗賊たちが、伯爵家の別荘に押し入ろうと計画していました。
なんとその一団には、死んだはずの姉がいました。
荒れた海から引き上げられたものの、記憶喪失になったミレーヌは、育ちがよさそうなので親を見つけたら礼金をもらえるだろうと、強欲な盗賊の頭領によって、名前を変えられて旅一座に加えられていたのです。
しかし、見つからないので、業を煮やした頭領は、ミレーヌに強盗の下見という初仕事を命令します。幼馴染で仲間のスキットくんは、これを黙って見ていられず、こんなお先真っ暗な犯罪集団からお前だけは早く逃げ出せ、とミレーヌを逃すのです。
その計画の最中、手筈通り屋敷内に潜り込んだミレーヌは、グレースと鉢合わせします。この盗賊こそが、姉ミレーヌだとグレースは気づき、ミレーヌは見事記憶を取り戻し、姉妹は抱き合う。めでたし、めでたし。
という感動ストーリーです。
なんかアナ雪のコンセプトと似てる感じもするんだけどもw
でも楽しかったですよ〜。涙するところではポロポロ泣けましたよ〜。
ただね、変人親子なんで、私と上の娘は互いに、ちょっと違うところを鑑賞していたことがあとで判明しました。
私は、この目の見えないグレースが今にも死にそうな伯爵のおじいちゃんがいなくなった後、一人で伯爵家を切り盛りできるのかどうか、そればかりが心配で、ずっとハラハラしどうしでした。
結婚しても目が見えないのをいいことに、財産目当てのやつとか寄ってきたりしたらどうするんだろうとかね。また彼女にちゃんと目下の人たちがついていきたいと思い続けるだけの求心力がちゃんとあるのだろうか、とか、色々複雑な現実を考えて、重い気持ちになってたんで、最後に生き別れの姉が後見人のように戻ってきたことで、心底ホッとした〜という感じでした。
これで伯爵が死んでも安泰だよ、って。
たかがお話なのに、ついつい、現実的な心配に関心がいつもむく、これは一種の職業病だなぁ〜と自分で思いましたよ。w
で、一方ですね。
勉強の意味があって子供達を連れて行ったのですが、ハッピーエンドだったにも関わらず、上の子、なんか思ったよりもうかない顔をしていて、全く嬉しそうじゃないんですよね。ええ〜どうしてよ?
せっかく喜ばせようと思ったのに、まったく可愛げないな〜と思いながら、
今回の作品どうだった?って聞いたんですよ。
「スキットが一番カッコよくて、私はスキットが一番好き。」と彼女はパンフレットを指していうんですよね。
「この人、この人だけ、かっこいい。あとは普通。」って。
ええ〜(^^;
....あんた、この歳でイケメン探してたのか!マセガキなんじゃ?!
って、瞬間しらっとなったんですけど、
彼女の拙い日本語をつなげて、後々よく聞くと、彼女の言い分は大人の語彙に直すとこういういうことだった。
「この物語は、正直、このスキットという男の子がミレーヌのために唯一の記憶であったミレーヌ自作の子守唄を覚えてくれていた、ということと、悪に手を染めないで済むようにミレーヌを逃した、ということが、物語を幸せにするキーになっているのに、その1番の功労者であったスキットくんは、その後お祝いの場所にも出てこないし、みんなからむちゃくちゃ感謝されるべきひとなのに、だれも彼の愛や努力や勇気に対して、ありがとうって言ってない。だから私は彼を無視して進むこの物語に、正直、問題を感じている。
みんな再会の喜びだけしか祝ってないけど、私だけは、スキットがこの話の中で一番いい人だったってことを彼にちゃんと伝えたいから、私はスキットが一番かっこいい男だとおもう。」
という感想でした・・。
まさかの感想で、目が点でした。
小学2年生で、そこまで複雑に考えていたのか、おそるべし。(@〜@;
自分の予測を超えた子供の感想の意味を知って、わたしはむっちゃ低次意識の親ですよ...ってことを再認識させられたのであった....(汗)
自分の体験を振り返ってもそうなんですけど、親を超えてる器の子って、感度が違いすぎるので、親に対して残念な気持ちを常に抱えやすいですよね。
(親としては、どこかで抱えさせてるという負い目はあります。)
でもダメな親からすると、高い位置に子供がいきすぎて、自分の器限界以上頑張っても、うまくいかなくて、もう助けて〜投げ出したいよ〜だれか他の人、親を変わってくれ〜っていう気持ちなんですよね。
そして、どんなに頑張っても子供にとって十分な親になれない自分に腹ただしさすら感じたりして、だんだん子供と過ごすのが苦痛になったりする。
親子問題って、本当に根っこは同じ。
要するに、親子の間の感度の違いが生む葛藤なんだと思うんだよ。
だからねぇ、器の小さい親を「まぁいいか」と最終的に納得してあげられるのは、器の大きい子供の方の仕事になっちゃうんですよね。
1978年から(先遣隊はそれより前に来てたけど)本格的にインディゴチルドレンの一団は次々と降りてきていて、その後もどんどん波動が高い子供が生まれている今、もう、普通の親は、「親」やれないですよね。
親子逆転がそこら中に起きている。
親を包み込むほどの愛を持つということが子供にとっていかに大変なことかって、実体験からもそれは本当に理解できるけど、もうこれから先の未来は、子供の愛の大きさの力も貸してもらわないと、一族・家系のカルマってのは解消しきらないよ。
だから、どの親も無理しなくていいよって、個人的にわたしは思ってる。
だって、自分の次元を超えた子供を越えようとしたって、どうやったって無理じゃない?w 逆に、教えてもらうしかないっていうかね。
それか自分以外に子供を導ける高次の人と子供と接点を作るしか方法はないよね。自分の家系の人間や自分だけで育てようとして頑張りすぎないこともすごく大事かなと思うよ。
だから、生まれてきてくれた子供に感謝しつつ、今の親ってのは、謙虚になること、誠実になること、謝ること、そしてそれでも親でいつづける責任は放棄しないで頑張ること、を誓わなくちゃいけないような気がするわ。
もう、それで十分なんじゃないか、と。
みんなできないとこ、足りないとこある。
向き不向きだってある。
でも深い心の中で、お互いが大事だ、大切だって思い合えるような関係性を親子の間で作れたら良いよね。将来何になるとかは、最終的には本当に本人次第の話であって、結果ではなくプロセスに価値がある。毎日をどんだけいい日にするか。親子になった意味というのをどこにみつけるか、なんだろうね〜。
6月のエネルギーシフトの前に、色々とまた浮上する課題。
自分の中のいらないものとの葛藤はまだつづく・・。ハァ〜(ため息)
プロファイリングのスキルはあるけど、だからって別に特別人格が高いわけでもなんでもないからね。スキルとしてはお伝えするけど、人間的に上だと思って伝えてるわけじゃないからね?
自分も向上中ですよ〜w