平成の怪物 引退試合

記事
エンタメ・趣味
ご覧いただき、ありがとうございます☆
shin☆と申します。

先日は、斎藤選手引退について投稿しましたが
今日は、「平成の怪物」松坂選手引退について投稿します。

今日は、メットライフドームにて
西武ライオンズVS日本ハムファイターズの23回戦が行われました。
この試合は、松坂選手の引退試合にもなりました。

松坂選手は、「平成の怪物」と言われ
数々の伝説を残してきました。

その中でも、特に印象に残っているのが
横浜高校で甲子園春夏連覇の偉業
高卒プロ1年目が印象に残っています。

横浜高校時代は特に夏の甲子園
準々決勝から決勝戦までの流れは
マンガで描いても、やりすぎだろって
思われる程、劇的な優勝でした。

準々決勝のPL学園との延長17回の死闘は
夏の甲子園103回大会の歴史の中でも
ベストゲームと言う方は多いのではないかと思います。

私も、過去の夏の甲子園の歴史の中でも
ベストゲームだと思っています。

この試合の内容だけで、ブログ1つかけるぐらいなので
割愛します。笑

その後、準決勝の明徳義塾戦では大逆転のサヨナラ勝ち。
決勝の京都成章戦ではノーヒットノーランとまさに伝説でした。

鳴り物入りで西武ライオンズに入団しても
その勢いは衰えず、デビュー戦では衝撃の155kmの速球で
片岡選手から空振りの三振を奪う。

当時日本最強の打者として君臨していた
イチロー選手との初対決では、三打席連続三振を奪い

「自信が確信に変わった」という名言が生まれました。

高卒1年目から3年目まで連続で最多勝を獲得するなど
まさに「平成の怪物」という成績でした。

松坂選手以降、ダルビッシュ選手、田中将大選手、藤浪選手、大谷選手、佐々木朗希選手など、超高校級の選手はいますが、それでも松坂選手がナンバー1だと思います。

そんな剛速球が魅力だった松坂選手ですが
近年は怪我の影響もあり、満足な投球はできず
昨年には、頚椎の手術を行い
今では、指の感覚がマヒしているとのことでした。

今日の引退試合は、打者1人のみの投球で
投球数も5球でしたが、その5球全てが120km以下の球速でした。

本当に満身創痍だったことがわかりました。

本人曰く

「本当は投げたくなかった。それでも最後の最後
全部さらけだして見てもらおうと思った」

とおっしゃっていました。

満身創痍でも、最後の投球を見られたのは
西武ライオンズファンの方はもちろん、野球ファンとしても
嬉しかったと思います。

数々の伝説を残し
23年間、本当にお疲れ様でした。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す