これは、ある女性が私のもとへ相談に来たときの話です。
一見、明るく穏やかな日常を送っているように見えた彼女。
けれど、その胸の奥には、長いあいだ誰にも話せなかった想いが静かに眠っていました。
「今さら、こんな話…って思われるかもしれないけど」
少し照れくさそうに、でもどこか切実な表情で、彼女は静かに語り始めた──。
1枚の写真から始まった朝
朝、目を覚ますとスマホに通知が残っていた。
差出人は、昔の会社で同期だった友人。送られてきたのは1枚の写真と、たった一言のメッセージだった。
「この人、知ってる?」
寝ぼけたまま、その写真を開いたのは翌朝だった。
その瞬間、胸の奥が一気に熱くなる──そこに映っていたのは、12年前に心から愛した人だった。
画面越しの彼は、ハンサムな顔立ちはそのままに、年を重ねた優しい目尻のシワが印象的だった。
洗練された装いと、柔らかい笑顔。たった一瞬で、心の奥にしまい込んでいた“時間”がふっと動き出した気がした。
写真を送ってきた友人は驚いていた。
「なんかこの人、あなたたちのこと、すごくよく知ってたよ!」
──そりゃそうだ。私があの頃、彼の話ばかりしていたから。
彼は、人生で初めて一目惚れし、心の底から好きになった特別な人だった。
忘れようとする日々と、頭の中のメロディ
その日から、私は自分の心と静かに戦う日々を送った。
写真を見た夜から、あの頃2人でよく聴いていた曲が、何度も何度も頭の中を流れ続けた。
料理をしているとき、子どもを寝かしつけるとき、ふとした瞬間にメロディが蘇る。
胸の奥がきゅっと締めつけられ、気づけば涙が滲んでいた。
「もう昔のこと」「忘れたはず」──そう自分に言い聞かせながら、気持ちを押し込めるようにして、必死に日常を続けた。
心のどこかで、彼の存在を思い出してしまったことへの罪悪感に似たざわめきもあった。
──なぜなら、彼はあの頃も既に結婚していた。
独身だった私にとって、彼との時間は甘くて苦しく、どこか後ろめたさを抱えた記憶でもあった。
だからこそ、再び彼を思い出した瞬間に、あのとき押し殺した感情と罪悪感が、いっきに押し寄せてきたのだ。
そして私は思った。
この感情だけは、もう二度と曖昧にしてはいけない。
とにかく、振り切らなければならない──。
時間をかけて、少しずつ、心の引き出しを閉じるようにして、私はようやく“今”にたどり着いた。
その過程は決して楽ではなかったけれど、振り切ったからこそ、今の幸せを真っすぐに見つめられている。
半年後、また同じ同期から届いた“偶然”
半年後、また同じ同期から写真が届いた。
「彼が酔っ払って大変で…」というメッセージとともに。
少し顔を赤らめた、あの頃と変わらない彼がそこにいた。
その写真をきっかけに、友達はしばらく迷った末、私に連絡をしてきたという。
彼女とは25年来の付き合い。私の恋愛の癖も、心の弱さも、そして「好きになった人に対しては一途になる」性格も、誰よりもよく知っている。
彼と私の関係は“不倫”と呼ばれるもので、もちろん彼女もそれを理解していた。
「不倫に純愛なんてない」──そう分かっていながらも、彼女は当時の私と彼の関係に、どこか純粋な想いの深さを感じてしまっていたという。
そして、私が彼との関係を自ら強い決意で断ち切ったこと、心の中で長くせめぎ合ってきたことを知っていた彼女は、彼から現状を聞いて複雑な気持ちになったらしい。
彼は、私と別れて程なくして奥さんが癌になったことを打ち明けていた。
それを「自分の行いのせいだ」と責め続け、苦しみながらも、私のことを忘れられなかったという。
そんな彼を見て、彼女の心にもざわめきが生まれた。
──「このまま、何も言わずに終わっていいのだろうか」
彼がいつどうなるか分からない状況の中で、友達自身も迷いながら、
「二人が一度、ケジメをつける必要があるんじゃないか」
そう感じ、連絡をくれたのだった。
その後、彼の本音が友人経由で伝わってきた。
──「忘れられなかった」「本当に結婚も考えた」「苦しかった」
あの頃、彼もまた同じ想いでいたことを知り、心が大きく揺れた。
懐かしさと戸惑い、過去と現在の狭間で、感情が静かに渦を巻いた。
再会の夜──香りと視線と、胸のざわめき
私は思い切って、友達に頼み、彼と会える場を作ってもらった。
「深い意味があるわけじゃない。ただ、ずっと心の奥に残っていた想いを整理したい」──そう思ったからだ。
当日は、私と友達、彼と共通の知人という4人で会った。彼の姿を目にした瞬間、息が止まるようだった。あの頃と同じ空気、少し低めの声、さりげない仕草。すべてが胸の奥に焼き付いていた。近くに座った彼の香りがふと鼻先をかすめた瞬間、記憶が一気に蘇る。肩がほんの少し触れただけで顔が熱くなり、心臓がドクドクと速くなる。目が合うと、まるで時間が止まったように見とれてしまい、言葉が出なかった。空気が少し張り詰めるような、静かな緊張とざわめきが場を包んでいた。──また、生死さえ分からないような月日が経たないと、もう再会できないかもしれない。だから私は、彼の姿・表情・声・香り、そのすべてを目に焼き付けようとしている自分に気づいた。
夜はまだ完全には更けきっていなかった。街の灯りが柔らかくにじみ、風が頬を撫でる──そんな時間帯。空気には名残惜しさが混じっていたけれど、時計の針は淡々と進んでいく。テーブルのグラスの水滴が乾き始めたころ、友達が静かに「そろそろ行こうか」と言った。胸の奥がきゅっと締めつけられた。もっと話していたかった。けれど、深く踏み込まない“今の関係”のまま終える時間が、自然と訪れたのだと思った。私も彼も、その空気を察していた。どちらからともなく席を立ち、並んで駅へ向かう。ほんの数分の距離が、妙に長く、そして愛おしかった。夜風と街の明かりの中、心の奥だけが静かにざわめいていた。
駅に着いて別れ際、友達がふと、何かを悟ったようにこちらを見て言った。
「連絡先の交換はダメだからね」
その一言に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
実は、その頃、彼の連絡先はすでに消していた。彼との関係に自分なりのけじめをつけるため、数年前にすべての連絡先を削除していたのだ。そして、友達もそのことを知っていた。だからこそ、彼女は“これ以上は進まない”という約束のもとで、今回の場をセッティングしてくれたのだった。私と彼、そして友達の間に、暗黙の了解のような空気が流れていた。
それなのに、ある日突然、携帯が故障してしまい、新しい端末に連絡用アプリを入れて連絡先を整理していると──そこに、思いがけず彼の名前が再び現れた。まるで、忘れたはずの記憶が不意に扉を開けたような瞬間だった。
そこから、私の中で再び葛藤が始まった。
あの夜以来、私は2ヶ月もの間、連絡をするかどうかで揺れ続けた。スマホを開いては閉じ、文章を打っては消し、ただ連絡先を見つめているだけの日々。心の奥では、彼の気持ちが知りたいという思いと、これ以上踏み込んではいけないという理性がぶつかり合っていた。夜、子どもを寝かしつけたあと、ひとりリビングでスマホを握りしめる時間──画面の小さな文字が、まるで心の迷いを映し出す鏡のように見えた。
もう一度、彼に会いに行った日
悩みに悩んだ末、私は思い切って連絡をした。そして彼と再び会うことになった。
あの日は、子どもを連れて行くことにした。自分でも、どこかで距離を置こうとしていたのかもしれない。
彼は優しく子どもに話しかけ、昔のようにたくさん笑った。笑いのツボもあの頃と同じで、自然に笑い合える時間が心地よかった。彼が子どもを優しい目で見つめる姿を見て、胸の奥が切なくなった。──でもこれは、叶わないことだと、出会った頃から知っていた。彼は子どもを持てない身体であることを、私は昔から知っていた。その事実を口に出さなくても、互いの間に淡い影のように漂っていた。
その再会のあと、私は一人で何度も自問自答した。「この気持ちをどうするのか」「これ以上進んで、誰かを傷つけていいのか」。生活も子どもも大切だし、今の幸せを壊したくはない。けれど、心の奥ではあの日の空気と香りが何度も蘇る。彼の目の奥に映る優しさも、昔と変わらない笑い方も、すべてが心に焼き付いて離れなかった。それでも私は、もう会わないと決めた。その決意は、激しい感情ではなく、静かで深い葛藤の末に生まれたものだった。
あのときは、彼とも、共通の仲間たちとも「またみんなで集まろうね」と、まるで次があることが当たり前のように話していた。けれど、あれから彼から連絡が来ることはなかった。私も連絡はしなかった。彼は私の生活を思って身を引いたのだろうか。子どもに悪いと感じたのかもしれない。それとも、私が変わってしまって、もう好きではなくなったのか。彼なりのけじめだったのか。あるいは、彼自身も時間を経て変わり、あの頃のようには“しっくり”来なかったのか。考えれば考えるほど、答えのない想いが胸の奥で絡まり合う。自分の決意を信じながらも、ふとした瞬間に「もっと上手に、違う形で向き合えなかったのだろうか」と、後悔にも似た感情が静かに顔を出す。そんな複雑な気持ちを抱えたまま、季節はめぐっていった。
あれから2年。時間は確かに流れ、生活は目まぐるしく動いていった。けれど、心の奥の“あの日”は、まるで透明な小瓶に封じ込められたように、鮮明なままそこに残っている。ふと街中で、当時2人でよく聴いていた曲が流れると、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。そして、夏が来ると──最後に彼と会ったあの夏の夜が、鮮やかに蘇る。セミの声、夜風、街の灯り。一つひとつの記憶が、静かに心の奥を揺らしていく。「もう会わない」と決めたのは私自身。でも、その決意の先にあるのは、きれいさっぱり忘れることではなく、切なさと共に生きていく時間だった。
そんな自分に気づいたとき、私は思った。──この気持ちから、少しでも抜け出したい。この静かで苦しい想いを、きちんと自分の中で整理したい、と。そして、私は占いに頼ってみることにした。過去と現在が交錯するこの想いを、少し違う角度から見つめてみたくなったのだ。
ここまでお話ししてきたのは、私のもとに相談に訪れた一人の女性の物語です。
彼女の語りには、時を超えてもなお消えることのない切なさと、心の奥に刻まれた“特別な夏”がありました。
私も思わず聞き入ってしまいました。
彼女は言葉を選びながら、大切な思い出をひとつひとつ丁寧に話してくれました。
それは、ただ懐かしいというだけではなく、本当に苦しんでいるからこそ口にできた言葉でした。不倫は決して許されるものではない──彼女自身、それを深く理解しているからこそ、心の中の葛藤はより一層大きなものになっていたのです。
そんな思いを話してくれた彼女は、「こういう気持ちを抱えているお母さんは、きっと私だけじゃないと思う。もしこの話が、誰かの心を少しでも軽くすることにつながるなら…ブログにしてもいいよ」と静かに話してくれました。
次回は、彼女が「人生で一番大好きだった」と語る、20代の出会いへと時間を戻します。
なぜ彼がそこまで特別な存在になったのか──その物語の“始まり”へ。