※悪いことは言わない。シラーの「歓喜の歌」シリーズは、最初の「シラーの歓喜の歌は暗号」、そしてシラーの「歓喜の歌」①と、順に読んでください。
Chor
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahndest du den Schöpfer, Welt?
Such ihn überm Sternenzelt,
Über Sternen muß er wohnen.
人々よ、お前たちは堕落しているのか?
世界よ、創造主に復讐するか?
探せ、あいつは星のテントの向こうだ。
星々の向こうに奴は住んでいるはずだ。
この部分のコーラスには、またSchöpfer、創造主、「神」らしきものが登場。
人々よ、お前らは下に落ちているのか?→堕落している存在なのか?
「第九 歓喜の歌」の時には「畏れを持って頭を垂れているか、人々よ」というような感じで解釈していますが、この文脈からすると違ってきますね・・・
nieder・・・下に
stürzen・・・落ちる、崩れる
カチンと辞書通りに意味を取ろうとすると、「下に落ちる」。
「ひざまずく」という解釈の方が拡大解釈じゃないだろうか?という気がしてきました。
人々よ、お前たちは下に落ちてるのか?堕落した存在なのか?と。。。地上に落とされた罪の子なのか?違うだろ?そんな意味ではないだろうか。
お前たちは堕落するのか?
世界よ、お前は創造主に復讐するか?
または、世界よ、お前は、創造主(の正体)を知っているか?
ahndenという動詞には二つの意味があり、一つは「気づく」そしてもう一つが「復讐する」です。
通常、「世界よ、創造主に気付いているか」「創造主を予感しているか」と訳されます。
「復讐する」などと訳してあるものは、多分存在しないでしょう、boだけです、こんな神にケンカ売るような訳文出しているのは。
もし、誰か、この部分を私と同様、「世界よ、お前は神に復讐するか?」と訳している人がいるなら・・・私は、その人に伝えたい。
私はあなたと同じものを見ています、同じものを感じています、と。
そして、できればこの喜びをその人と分かち合いたいです。
ベートーヴェンの第九では、ahnenという単語が用いられています。この動詞にはスペルにdが入ってない。意味は、ほぼ同じで「気づく」「予感する」です。この場合、「復讐する」という意味はないです。
それで、たいていの第九の歌詞では「世界よ、お前は創造主を感じているか」「予感しているか」という訳があてられている。
だけど、それじゃ、なんか意味が分からない。ぴしっと決まらないというか、ぼやっとしちゃうんですよね。
シラーのオリジナルの詩の方には、ahndenが使われている。
「d」が入っている。
誰がこのオリジナルのテキストのahndenから「d」を抜いたんでしょうか。
どうせ「気づく」「予感する」という意味なんだから、dない方でいいじゃん。そっちの方がメロディーにも乗りやすいし!
と、誰かが考えたとしたら、そいつは大バカ者です。
もう一つの可能性がある以上、それをつぶすような変更を加えてはいけない。言葉にはしなくても、シラーが別の何かを意図していた可能性をお前の勝手な判断でつぶしてはいけない。お前には見えていないものがある、という視点を忘れてはいけない。
このドイツ語関係のブログで何度も書いているように、たった一つの単語が違うだけで世界観がガラッと変わってしまうこともあるからです。
ベートーヴェンが勝手にahnenに変更したとしたら・・・。
何かしらの特別な意図があるか、何も考えてなかったかどっちかでしょう!!
今、私の中でベートーヴェンの評価が爆下がりなんすけど・・・。
だって、「d」抜いたの、絶対ベートーヴェン本人でしょ?
他に誰がこんなことするの?というか、できるの?
「d」一つでグダグダ言うなよ、意味なんてほとんど変わらないんだしさぁ!と言うならば、ベートーヴェンよ、お前の作曲したものが、音符一つ落とされて演奏されていたらどう思うよ?
※ただの印刷ミス、誰かのタイプミスだったら、ゴメン。ここまでボコボコに言うことなかったとその時反省するから。
創造主に気付いているか?・・・と「気づく」「予感する」という意味を採用するならば、
世界よ、創造主の正体に気づいているか。
世界よ、創造主の正体に感づいているか。
と、「正体」という単語をあえて含ませたいですね。
神の正体・・・後でフリーメーソンについてちらっと書くので、そこの意味と照らし合わせると、「創造主の正体」とする意図が分かるはずです。
さらにいつまで続くか分かりませんが、最後までお読みいただければ、この神にケンカ売るようなシラーの詩、そしてその訳文になってしまう理由が分かるでしょう。
ここの部分は、「復讐する」という意味であっても決して間違いではないのではないか?と思えるのです。
世界よ、創造主に復讐をするか?
こんな意味に取ったとしても、流れ的には違和感はない。
全体の雰囲気を壊すどころか、言葉を武器に戦うシラーという詩人の魂がはみ出ているのではないかとすら感じます。
世界よ、人を「堕落した存在」として落とした神に復讐するか?
創造主を探せ。
星のテントの向こうにあいつは住んでいる。
循環して調和している神々の世界、ガイア的世界とキリスト教的世界観、前回の「死で試された友」やケルビムとの対比、善と悪、生と死など対比させています。
この部分の「創造主」はキリスト教的唯一神です。「星のテントの向こう」ですから。
そして、調和する神と対比されていると考えると、調和を乱す原因を作っているのはこの神ということになります・・・。不穏な雰囲気を感じ取ってくださいね。
コーラス部分でも、失楽園的な、上と下、神の世界と人間の世界とのはっきりした区切れをイメージすることができるかもしれません。
ここからイメージを膨らませると、「星のテントの向こう側の創造主を探せ」という言葉が、飛んでもない方向に発展してしまうんです。
神を探せ、そして復讐せよ・・・
神を探せ、世界よ、お前は神の正体に気づいているだろ?
神を探せ、あいつは星のテントの向こう、星の向こうに神はいる。
・・・・なーんてね!クスクス
さぁ、これは一体どうなってしまうんでしょうか?!