最近は、休日、昼寝のお供に落語をかけるのが好きなんですよ。うふふ。
最初の頃は、志ん朝さんの演目をよく聞いておりました。小さんさんとかもよく聞いてましたねー。
色々聞き比べていると、その人の雰囲気や特徴で、同じ話なのに、雰囲気がガラッと変わって来たりするもんで、面白いですねぇ。
小さんさんは、囲碁のやつ、面白かったなぁ。「笠碁」。
人間って可愛いな、面白いなと。小さんさんのお茶目な表情がとってもよいよい。お互い意地はって素直になれなくて、うじうじしてるおじいちゃんの姿がもう可愛くて!
志ん朝さんのは、やっぱりべらんべえ調のが、すかっとしていいですね。
オールマイティーの落語家さん、という印象です。
最近のお気に入りは、歌丸さんの「ねずみ」。
これは、大好き。ほんと好き。皆さんにぜひおすすめしたいです。
あらすじをちょっとごくごく簡単に説明させてくださいね。
すごい彫り物師がですね、旅の途中で「ねずみや」という安宿に泊まるんです。
物置のような安宿なんですけど、腰の悪いおとっつぁんと、年端も行かない子供しかいない。
女中の一人もおいてないので、事情を聞きますと
聞いてくだされ、旅の方・・・と切ない話が始まります。
実は、その親子、向かいの大きな宿屋「とらや」の主人とその息子だったんです。
だけど、奥さん、つまり子供の母親がなくなってしまい、後妻を取ったんですが・・・この後妻がですね、子供をいじめるんです。
色々その後あってですね、主人は腰を悪くするしで、向かいの離れを人に貸してもらって父子で引き移るんです。
後妻と番頭さんが悪くてですね、お宿の権利書などなどまるっと盗られてしまったからなんです。
後妻と番頭に店から何から取られて、息子と二人、生きていくために物置のようなところでお宿をやっているというわけでした。
不憫に思って客として来たその彫り物師は、ねずみの置物を彫ってあげるんですね。
それを店の前に置いておきますと、なんと、そのねずみがちょろちょろ動きまわるんです。それが評判になって、「ねずみや」は大繁盛。
面白くないのは「とらや」のイジワル後妻と番頭。
対抗して、どこからか別の彫り物師を呼び寄せて、そのねずみを睨みつけるような角度で大きな虎を彫らせるんです。
そうすると、ねずみはピクリとも動かなくなってしまったのです・・・
何年か後になって、ねずみを彫った彫り物師がまたその宿を訪れます。
大きくなった宿屋の息子に「ねずみが動かなくなった」と聞いて見てみると・・・
向かいの「とらや」の虎が睨みつけている。どうやらそれにビビって動けなくなったようだ。
彫り物師は、ねずみに言うんです。
「私は、お前を無心で彫ったんだ。だから、あんな虎なんかに負けるお前じゃないはずなんだよ」と。
このセリフを聞くとき、私は泣きそうになるんです。
歌丸さんの凛とした厳しさの中にも芯の通った優しさがある声が響いてですね、ぐっとくるんですよ。
こんな風に誰かから信頼されたことってあるかな。
こんな風に自分を信頼したことあるかな。
こんなことでヘコたれるあなたじゃないでしょ!
尻尾巻いて逃げるようなあなたじゃないでしょ!
自分がやった仕事なんだからミスがあるわけないじゃない!
こんなに一生懸命やったのだから、うまくいかないわけがないじゃない!
こんな風に思えるまで、私、無心で仕事したことあるかな・・・?
その後、ねずみが返す言葉もいいんですよね。まぁ、これがオチなんですけども。
「あれは、虎ですかい。私はてっきり猫かと思ってたんです」
きっとねずみは、虎だって怖かったはずなんです。だけど、自分の創造主があんな風に自信をもって、疑いなく、自分を信じてくれて、「お前ならやれる」と背中を押してくれたから、はっと気づいたんです。だと思います。
自分がどんな風に作られたのか。誰にも負けない真心で作られたこと。
あんな意地悪い根性の悪いのに負けるわけには行かないと奮い立たせたんですよ・・・きっと。
このお話がどのくらい古いものなのか知らないんですけど・・・
江戸時代の人も、明治時代の人も、大正時代の人も、昭和の人も、戦争で傷ついた人たち、心に傷を負った人たち、様々なことで敗北の苦渋を舐めさせられた人、裏切られて、みじめで、悲しくて、そんな弱い自分が許せなくて・・・
つまり、今まで生きてきた人みんな、この話を聞いて、どんなにか勇気をもらったことでしょうねぇ。
日の光、月や星と同様に、昔の人も見ていたもの、聞いていたもの、すべてに癒しのパワーが宿っているのです。
そういうものしか残ってないんです。そういうものが残るようにできているのです。
落語聞いたことのない方、ぜひ聞いてみてね!