なぜ「普通」じゃないとダメなんだろう
カウンセリングルームのドアが開き、30代前半に見える女性が入ってきた。落ち着いた服装だが、どこか緊張した様子が伝わってくる。
ダイキ「はじめまして。ダイキです。今日はお越しいただきありがとうございます」
クライエント「あ、はい......よろしくお願いします」
彼女は椅子に座ると、バッグをぎゅっと握りしめた。しばらく沈黙が続く。
ダイキ「今日は、どんなことをお話ししたいと思って来られましたか?」
クライエント「えっと......なんていうか、自分が普通じゃないような気がして」
小さな声だった。
クライエント「周りを見ると、みんな普通に仕事をして、普通に結婚して、普通に生きてるんです。でも私は......なんかずっとずれてる感じがして」
ダイキ「ずれてる、というのは?」
クライエント「たとえば......」
彼女は少し考えてから話し始めた。
クライエント「会社で、みんなが当たり前にできることが、私にはすごく難しく感じるんです。飲み会とか、雑談とか。みんな楽しそうにしてるのに、私だけ何を話していいかわからなくて」
ダイキ「具体的には、どんな場面でそう感じますか?」
クライエント「ランチの時間とか......みんなはテレビの話とか芸能人の話で盛り上がってるんですけど、私、そういうの全然わからなくて。テレビもあまり見ないし、流行りのものにも興味が持てないんです」
クライエント「だから、会話に入れなくて......いつも黙って聞いてるだけになっちゃうんです」
「普通」を目指して生きてきた
ダイキ「そういう場面で、クライエントさんはどんな気持ちになりますか?」
クライエント「......情けないです。なんで私だけこんななんだろうって」
彼女の目が少し潤んでいた。
クライエント「小さい頃から、ずっとそうでした。クラスの女の子たちがアイドルの話で盛り上がってる時も、私だけついていけなくて」
クライエント「母に『もっとみんなと仲良くしなさい』って言われて......でも、どうやって仲良くすればいいのかわからなかったんです」
ダイキ「お母さんは、どんな風に言ってたんですか?」
クライエント「『あなたは変わってる』って......よく言われました」
彼女の声が震えた。
クライエント「『普通の女の子はもっと明るいのに』『そんなんじゃ友達できないよ』って。だから、私は普通になろうって、ずっと頑張ってきたんです」
ダイキ「普通になるために、どんなことをしてきたんですか?」
クライエント「まず、みんなが見てるドラマを無理して見るようにしました。でも......全然面白いと思えなくて。ただ、次の日の会話のために内容だけ覚えてたんです」
クライエント「それから、みんなが行くお店に行ったり、みんなが聞いてる音楽を聞いたり......」
彼女は言葉を切った。
クライエント「でも結局、全部表面だけで。本当は全然楽しくなかったんです」
「普通」でいることの代償
ダイキ「そうやって『普通』であろうとすることで、どんなことが起きましたか?」
クライエント「......疲れました。すごく」
彼女は深いため息をついた。
クライエント「仕事でも同じです。上司に『もっと周りを見て動いて』って言われるんですけど、私、周りが何を求めてるのかがわからないんです」
クライエント「だから、マニュアルを作って、こういう時はこうするって決めて......でも、それも『臨機応変にできない』って言われて」
ダイキ「それは、しんどかったですね」
クライエント「はい......。で、最近、ふと思ったんです。私、8年間会社にいるのに、全然楽しくないなって」
彼女は顔を上げた。
クライエント「同期はみんな昇進したり、結婚したり、充実してるように見えるんです。でも私は......何も変わってなくて」
クライエント「このまま、ずっとこうなのかなって思ったら......怖くなっちゃって」
ダイキ「怖い、というのは?」
クライエント「普通になれないまま、一人で年を取っていくのが......怖いんです」
涙が一筋、頬を伝った。
本当は何が好きなのか
しばらく沈黙が続いた。クライエントはハンカチで涙を拭いながら、小さく息を吐いた。
ダイキ「一つ、聞いてもいいですか」
クライエント「......はい」
ダイキ「クライエントさんが、本当に好きなこと、楽しいと思えることって、何ですか?」
クライエント「え......?」
彼女は戸惑ったように顔を上げた。
ダイキ「『普通』じゃなくてもいい。クライエントさん自身が、心から楽しいと思えることです」
クライエント「......考えたことなかったかもしれません」
彼女はしばらく黙っていた。
クライエント「あ、でも......古い建物を見るのは好きです」
ダイキ「古い建物?」
クライエント「はい。休みの日に、一人で古い洋館とか、昔の商店街とか......そういうところを歩くのが好きで」
彼女の表情が、少し柔らかくなった。
クライエント「なんていうか、昔の人がどんな生活をしてたんだろうとか、この建物を建てた人はどんな思いだったんだろうとか......想像するのが楽しいんです」
ダイキ「それは、どのくらい続けてるんですか?」
クライエント「大学生の頃からです。当時、建築史の授業があって......それがすごく面白くて」
クライエント「でも、周りの友達は『地味だね』って言うし、母にも『そんな趣味、結婚に役立たないわよ』って言われて......だから、あまり人には言わないようにしてたんです」
ダイキ「今も、続けてるんですね」
クライエント「はい......。でも、これって普通じゃないですよね」
「普通」のコストを計算する
ダイキ「ちょっと、一緒に考えてみたいことがあるんですが」
クライエント「何ですか?」
ダイキ「クライエントさんが『普通』でいるために、これまでどんなことを我慢してきたか、数えてみませんか」
クライエント「......我慢してきたこと、ですか」
ダイキ「はい。たとえば、さっきの建築の話。それを『普通じゃない』と思って隠してきたことも、一つの我慢ですよね」
クライエント「あ......そうですね」
クライエント「他にも......本当は読書が好きなんですけど、みんなが見てる動画を見るために、読書の時間を減らしました」
クライエント「それから、本当は一人の時間が必要なんですけど、『協調性がない』って思われたくなくて、無理に飲み会に参加したり......」
クライエント「あと......休日も、本当は静かに過ごしたいのに、『若いんだから遊ばなきゃ』って思って、疲れてるのに出かけたり」
彼女は次々と口にしていった。
クライエント「......結構、ありますね」
ダイキ「そうですね。では、それらを我慢して『普通』でいることで、クライエントさんは何を得ましたか?」
クライエント「......」
彼女は黙り込んだ。
クライエント「......何も得てないかもしれません」
小さな声だった。
クライエント「普通になろうとしたけど、結局普通にはなれなくて。それどころか、自分が何が好きなのかも、わからなくなっちゃって」
涙が再び溢れてきた。
クライエント「こんなに頑張ったのに......何も変わってないんです」
手持ちの資源
ダイキ「では、少し視点を変えてみましょうか」
クライエント「......はい」
ダイキ「さっき、クライエントさんは『古い建物を見るのが好き』って話してくれましたよね。他にも、クライエントさんが持ってるもの、できることって、どんなことがありますか?」
クライエント「......持ってるもの?」
ダイキ「たとえば、知識とか、経験とか、スキルとか」
クライエント「うーん......建築史の本はたくさん読みました。あと、週末に建物を見に行ってるので、各地の古い建築物についてはそれなりに詳しいかもしれません」
クライエント「あ、あと写真も撮ります。建物の細部とか、構造とか......気になったところを記録してて」
ダイキ「それはすごいですね。何年くらい続けてるんですか?」
クライエント「10年以上......ですね。もう習慣みたいになってます」
ダイキ「10年以上。それって、クライエントさんにとっての大きな資源ですよね」
クライエント「資源......? でも、これって仕事にも何にも役立たないですよ」
ダイキ「本当にそうでしょうか」
クライエント「え......?」
ダイキ「クライエントさんは、10年以上かけて、建築についての知識を蓄えてきた。各地の建物を実際に見て、写真も撮ってきた。それって、誰にでもできることじゃないですよね」
クライエント「......そう言われると、確かに」
ダイキ「では、その知識や経験を、何か形にしたことはありますか?」
クライエント「形に......? いえ、自分一人で楽しんでただけです」
ダイキ「もし、それを誰かと共有したら、どうなると思いますか?」
クライエント「......想像したことなかったです」
彼女は少し考え込んだ。
クライエント「でも、こんなマニアックなこと、誰が興味持つんですかね」
「異常」は資産になる
ダイキ「『マニアック』って、悪いことですか?」
クライエント「え......」
ダイキ「世の中には、みんなと同じことをする人はたくさんいます。でも、クライエントさんみたいに、一つのことを10年以上続けて、深く知っている人は少ないですよね」
クライエント「......そうかもしれません」
ダイキ「『みんなと違う』というのは、視点を変えれば『他の人にはないものを持っている』ということでもあるんです」
クライエント「他の人にはないもの......」
彼女の表情が、少しずつ変わっていった。
ダイキ「クライエントさんが『普通じゃない』と思っていたものは、実は誰も持っていない、クライエントさんだけの資源なんじゃないでしょうか」
クライエント「......」
しばらく沈黙が続いた。
クライエント「私......ずっと、この趣味を恥ずかしいと思ってました」
クライエント「『こんなの何の役にも立たない』『時間の無駄』って、自分でも思ってたんです」
ダイキ「今は、どう思いますか?」
クライエント「......わからないです。でも」
彼女は顔を上げた。
クライエント「もしかしたら、これって......私にしかできないことなのかもしれないって、少し思いました」
ダイキ「そうですね」
クライエント「普通になろうとして、こんなに苦しかったのに......」
彼女の目に、また涙が浮かんだ。でも、今度は悲しみではなく、何か別の感情のようだった。
クライエント「普通じゃない自分を、ずっと責めてたんです」
新しい可能性
それから数ヶ月後、彼女は再びカウンセリングルームを訪れた。
クライエント「ダイキさん、報告があるんです」
彼女の表情は、以前とは明らかに違っていた。
ダイキ「どうされましたか?」
クライエント「SNSで、建築探訪の写真を投稿し始めたんです」
クライエント「最初は怖かったんですけど......建物の歴史とか、構造の面白いところとか、自分が感じたことを書いて投稿したら」
彼女は嬉しそうに話した。
クライエント「『こんな視点で見たことなかった』『詳しく知れて面白い』って、コメントをもらえて」
クライエント「中には『ガイドしてほしい』って言ってくれる人もいて......」
ダイキ「それはすごいですね」
クライエント「はい。それで、思い切って小さな建築ツアーを企画してみたんです。週末に、3人だけでしたけど」
クライエント「自分の知ってることを話したら、みんなすごく喜んでくれて......」
彼女の目が輝いていた。
クライエント「初めて、『私にしかできないこと』をしてるって実感できたんです」
ダイキ「会社のことは、どうですか?」
クライエント「実は......転職を考えてます」
クライエント「建築関係の仕事がしたいわけじゃないんですけど、もっと自分らしく働ける場所を探してみようって」
クライエント「もう、『普通』を目指すのはやめようと思って」
コストと資産
ダイキ「『普通』を目指すのをやめて、どうですか?」
クライエント「......楽になりました」
彼女は穏やかな表情で答えた。
クライエント「これまで、『普通じゃない自分』を否定することに、すごくエネルギーを使ってたんだなって気づいたんです」
クライエント「みんなと同じドラマを見て、みんなと同じ話題についていって......でも全然楽しくなくて、疲れるだけで」
ダイキ「そのエネルギーを、今は何に使ってますか?」
クライエント「自分の好きなことに使ってます。建築の本を読んだり、新しい場所を探したり、投稿の文章を考えたり」
クライエント「同じように忙しいんですけど......全然違うんです。疲れるけど、楽しい疲れで」
ダイキ「それは大きな変化ですね」
クライエント「あと......気づいたことがあるんです」
クライエント「『普通』って、実はすごくコストがかかるんだなって」
ダイキ「コスト?」
クライエント「はい。私、『普通』でいるために、自分の時間も、興味も、エネルギーも、全部犠牲にしてたんです」
クライエント「でも、得られたものは......何もなかった」
彼女は少し笑った。
クライエント「逆に、『普通じゃない』自分を認めたら......それが資産になったんです。お金もかからないし、誰にも奪われない、私だけの資産」
ダイキ「いい言葉ですね」
クライエント「ダイキさんに『手持ちの資源』って聞かれた時、最初は何もないと思ったんです」
クライエント「でも、実はちゃんとあったんですよね。ずっと、そこにあったのに、私が『これは価値がない』って決めつけてただけで」
これからのこと
ダイキ「これから、どうしていきたいですか?」
クライエント「まずは、建築ツアーをもっとやってみたいです。いろんな人に、建物の面白さを伝えたい」
クライエント「それから......いつか、建築探訪のガイドブックみたいなものを作れたらいいなって」
クライエント「あ、でも、まだ全然わからないことだらけなんですけど」
彼女は少し照れくさそうに笑った。
ダイキ「わからないことがあっても大丈夫ですよね」
クライエント「はい。今は、『やってみたらどうなるか』を楽しめるようになった気がします」
クライエント「失敗しても、それはそれで学びだし......」
クライエント「『普通』を目指してた時は、失敗が怖くて何もできなかったんですけど」
ダイキ「大きな変化ですね」
クライエント「ダイキさん、一つ聞いてもいいですか」
ダイキ「どうぞ」
クライエント「私みたいに、『普通』を目指して苦しんでる人って、他にもいるんでしょうか」
ダイキ「......たくさんいると思いますよ」
クライエント「そうですよね......」
彼女は少し考え込んだ。
クライエント「もし、そういう人に出会ったら、伝えたいです」
クライエント「『普通』でいることのコストと、『普通じゃない』自分が持ってる資産のこと」
クライエント「私は、それに気づくのに30年以上かかっちゃったけど......」
彼女は微笑んだ。
クライエント「でも、気づけてよかったです」