毎週末の電話
カウンセリングルームに入ってきたアヤコさんは、少し疲れた表情をしていた。
ダイキ「今日はどんなことをお話ししますか?」
アヤコ「あの...また母から電話があったんです。『いつになったら就職活動するの』って」
小さく息を吐きながら、アヤコさんは続けた。
アヤコ「毎週末、必ず電話がかかってくるんです。最初は『元気?』って聞くんですけど、5分もしないうちに『ちゃんとした会社に入らないと将来困るよ』って...」
ダイキ「毎週末、ですか」
アヤコ「はい。姉からも連絡が来ます。『お母さん心配してるよ』『私も心配』って。先週は父からも電話がありました。父はあまり何も言わない人なのに」
アヤコさんは、スマホを見る仕草をした。まるで今にも着信が来そうで怖いと言うように。
ダイキ「その電話を受けると、どんな感じがしますか?」
アヤコ「...重いです。電話が鳴るだけで、心臓がドキドキして。話している間は、ずっと謝っているような気持ちになって。切った後は、ぐったりします」
フリーランスという選択
ダイキ「アヤコさんは今、フリーランスのデザイナーとして働いていらっしゃるんですよね」
アヤコ「はい。でも、両親は『フリーランスなんて不安定』『いつまで続けるの』って...。姉も『正社員の方が安心でしょ』って」
少し間があった。
アヤコ「確かに、収入は安定してないです。先月は少なかったし。でも、やりたい仕事ができてるし、会社員時代みたいに毎日残業で疲れ果てることもなくて...」
そう言いながらも、アヤコさんの声には確信が感じられなかった。
ダイキ「『でも』って言葉が続きますね」
アヤコ「...そうですね」
アヤコさんは少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
アヤコ「自分では、この選択は間違ってないって思ってたんです。会社を辞めたときは。でも、家族がみんな反対して...最近は、私が間違ってるのかなって思えてきて」
「あなたのためを思って」
ダイキ「ご家族は、どんな風に反対されるんですか?」
アヤコ「怒ってるわけじゃないんです。むしろ、心配してくれてるんだと思います。母は『あなたのためを思って言ってるのよ』って必ず言います」
ダイキ「『あなたのため』...」
アヤコ「はい。でも...正直に言うと、『あなたのため』って言葉を聞くたびに、苦しくなるんです」
アヤコさんの目に、少し涙が浮かんでいた。
アヤコ「親は私のことを心配してくれてる。それは分かってます。でも、なんで私の選択を信じてくれないんだろうって...」
ダイキ「信じてもらえない、と感じるんですね」
アヤコ「...はい。姉は結婚して、子どももいて、正社員で働いてます。いつも『お姉ちゃんを見習いなさい』って言われます。でも、私は姉じゃない。私は私なのに」
そう言って、アヤコさんは少し声を震わせた。
親戚の集まり
ダイキ「他にも、何か辛いと感じることはありますか?」
アヤコ「...親戚の集まりです。お盆とお正月、実家に帰ると親戚が集まるんですけど...」
アヤコさんは、また小さく息を吐いた。
アヤコ「叔父が『今どこで働いてるの?』って聞いてくるんです。『フリーランスです』って答えると、『へぇ...大変だね』って。その『大変だね』の言い方が...なんていうか、見下されてる感じがして」
ダイキ「その場にいると、どんな気持ちになりますか?」
アヤコ「惨めです。みんなの前で、自分がダメな人間みたいに思えて。早く帰りたくて、でも帰ったら親に『もう少しいなさい』って言われて...」
少しの沈黙があった。
アヤコ「去年のお正月は、従兄弟が昇進したって話で盛り上がってました。私は隅っこで黙ってました。誰も私のことは聞いてこなかったです」
「普通」という呪縛
ダイキ「アヤコさん、ご家族や親戚の方々は、よく『普通』という言葉を使いますか?」
アヤコ「あ...はい。『普通に就職しなさい』『普通はそうするものよ』って。母がよく言います」
ダイキ「その『普通』って、どんなイメージですか?」
アヤコさんは少し考えた。
アヤコ「正社員で、できれば大きい会社で、結婚して、子どもを産んで...そういうことだと思います」
ダイキ「それは、アヤコさんにとっての『普通』ですか?」
その質問に、アヤコさんは言葉に詰まった。
アヤコ「...分からないです。でも、それが『普通』だって、ずっと言われ続けてきたから...」
ダイキ「ずっと、ですか」
アヤコ「はい。小さい頃から。『いい学校に入って、いい会社に入りなさい』って。姉はそれができたけど、私は...」
アヤコさんの声が小さくなった。
アヤコ「私、ダメな子なんですかね...」
価値観の違い
ダイキ「アヤコさん、少し違う角度から考えてみましょうか。ご家族とアヤコさんで、何が『大切なこと』なのか、違っているのかもしれませんね」
アヤコ「大切なこと...ですか?」
ダイキ「はい。例えば、ご両親にとって『安定』はとても大切なものかもしれません。でも、アヤコさんにとっては...?」
アヤコさんは少し考えた。
アヤコ「...自分らしく生きること、ですかね。やりたいことをやること」
ダイキ「それは、ご両親が大切にしている『安定』とは、少し違いますね」
アヤコ「あ...そうか」
何かに気づいたように、アヤコさんの表情が少し変わった。
アヤコ「親は『安定』が大事で、私は『自分らしさ』が大事...だから、話が合わないんですね」
ダイキ「どちらが正しいとか、間違っているとかではなくて、大切にしているものが違うんですね」
アヤコ「でも...親の言うことも分かるんです。安定は大事だって。私も不安になるときあるし...」
両方の感情
ダイキ「不安になるときもあるんですね」
アヤコ「はい。来月の仕事がどうなるか分からないときとか、貯金が減っていくのを見ると、『このままでいいのかな』って...」
アヤコさんは、自分の手を見つめた。
アヤコ「でも、だからって会社員に戻りたいかって言われると...それも違うんです」
ダイキ「会社員に戻りたくはない」
アヤコ「はい。あの毎日は、もう戻りたくないです。朝から晩まで働いて、土日は疲れて寝てるだけで...あのときは、自分が何のために生きてるのか分からなくなってました」
ダイキ「今は、どうですか?」
アヤコ「今は...大変だけど、生きてる感じがします。自分で決めて、自分で動いて。それが嬉しいんです」
そう言ったアヤコさんの顔には、少し明るさが戻っていた。
家族の背景
ダイキ「ご両親は、どんな人生を歩んでこられたんですか?」
アヤコ「父は、ずっと同じ会社で働いてます。40年以上。母は、結婚するまでは働いてましたけど、結婚してからは専業主婦です」
ダイキ「お父さんは、一つの会社で40年以上...」
アヤコ「はい。『会社に恩があるから』って、定年まで働くつもりみたいです。父にとっては、それが『普通』なんだと思います」
ダイキ「その『普通』の中で生きてこられたご両親にとって、アヤコさんの選択は...」
アヤコ「...理解できないんでしょうね」
アヤコさんは、少し寂しそうに笑った。
アヤコ「親の時代は、それでよかったんだと思います。でも、今は違う。私の世代は、もっと働き方が自由で...でも、親には分からないんですよね」
罪悪感
ダイキ「アヤコさん、ご家族に対して、どんな感情を持っていますか?」
少しの沈黙があった。
アヤコ「...罪悪感、です」
ダイキ「罪悪感」
アヤコ「はい。親を心配させてる。期待に応えられてない。姉と比べられて、親を残念な気持ちにさせてる...」
アヤコさんの声が、また小さくなった。
アヤコ「親は、私が幸せになってほしいって思ってくれてる。それは分かってるんです。でも、親が思う『幸せ』と、私が思う『幸せ』が違うんです」
ダイキ「違う『幸せ』を選んでいることに、罪悪感を感じているんですね」
アヤコ「はい...親不孝だなって」
涙が、アヤコさんの頬を伝った。
アヤコ「でも、親の言う通りに生きたら、私、多分...壊れちゃうと思うんです」
自分を守ること
ダイキ「『壊れちゃう』...それは、どういうことですか?」
アヤコ「会社員時代、本当にしんどかったんです。毎朝、会社に行くのが嫌で。夜も眠れなくて。休みの日も、月曜日のことを考えると不安で...」
アヤコさんは、その時のことを思い出すように、少し体を縮めた。
アヤコ「ある日、気づいたんです。『このまま続けたら、私、死んじゃうかもしれない』って」
ダイキ「...そんなに辛かったんですね」
アヤコ「はい。だから、辞めたんです。親には反対されたけど。でも、自分の命を守るためには、辞めるしかなかったんです」
ダイキ「自分を守るために、選んだんですね」
アヤコ「...そうです。自分を守るために」
その言葉を口にした瞬間、アヤコさんの表情が少し変わった。
気づきの瞬間
アヤコ「あ...」
ダイキ「何か、気づかれましたか?」
アヤコ「私...自分を守るために、会社を辞めたんですよね」
ダイキ「はい」
アヤコ「それって...悪いことじゃないですよね?」
ダイキ「どう思いますか?」
アヤコさんは、少し考えた。
アヤコ「悪くない、と思います。自分を守ることは、悪いことじゃない」
ダイキ「そうですね。自分を守ることは、とても大切なことです」
アヤコ「でも、なんで私、ずっと罪悪感を感じてたんだろう...」
ダイキ「それは、どうしてだと思いますか?」
アヤコ「...親の期待に応えられてないから、ですかね。でも...」
アヤコさんは、少し声を強くした。
アヤコ「でも、親の期待に応えることと、自分を守ること、どっちが大事かって言ったら...自分を守ることですよね?」
ダイキ「アヤコさんは、そう思われるんですね」
アヤコ「はい。親の期待に応えようとして、自分が壊れたら...それこそ、親を悲しませることになりますよね」
境界線を引く
ダイキ「アヤコさん、これから家族とどう接していきたいですか?」
アヤコ「...難しいですね。親を傷つけたくないけど、自分も守りたい」
ダイキ「両方、大切なんですね」
アヤコ「はい。でも...どうしたらいいか分からないです」
ダイキ「例えば、毎週末の電話について、何か変えられることはありそうですか?」
アヤコさんは少し考えた。
アヤコ「電話に出ないのは、逆に心配かけそうだし...」
ダイキ「出ないのではなく、別の方法は?」
アヤコ「別の方法...あ、時間を決めるとか?『日曜日の夜は忙しいから、土曜日の昼にかけて』って伝えるとか」
ダイキ「それはいいアイデアですね。他には?」
アヤコ「話す内容も...『仕事の話はしたくない』って、正直に伝えてみるとか...」
アヤコさんは、少し不安そうに言った。
アヤコ「でも、そんなこと言ったら、親は悲しむかも...」
ダイキ「悲しむかもしれませんね。でも、アヤコさんが毎週末、電話を恐怖に感じながら生きていくことと、どちらがいいでしょうか」
アヤコ「...」
アヤコさんは、深く息を吐いた。
アヤコ「そうですよね。このまま我慢し続けても、いつか限界が来る。それより、ちゃんと伝えた方がいいですよね」
小さな一歩
ダイキ「では、まず何から始めますか?」
アヤコ「まず...電話の時間を決める、ですかね。『土曜日の昼にかけてほしい』って、母に伝えてみます」
ダイキ「それだけで、少し楽になりそうですか?」
アヤコ「はい。毎週末、いつ電話が来るか分からないのが、一番しんどかったので」
ダイキ「それから?」
アヤコ「それから...仕事の話になったら、『今は自分のやり方で頑張ってるから、見守ってほしい』って言ってみます」
そう言いながら、アヤコさんは少し不安そうだった。
ダイキ「不安ですか?」
アヤコ「はい。でも...このままじゃ、親との関係も悪くなる一方だし。ちゃんと伝えないと、お互いに辛いだけですよね」
親戚への対応
ダイキ「親戚の集まりについては、どうしますか?」
アヤコ「あ...それも考えないと」
アヤコさんは、少し困った顔をした。
アヤコ「お盆とお正月は、実家に帰らないわけにはいかないし...」
ダイキ「帰らないといけない、と思うんですね」
アヤコ「...あれ? 帰らないといけない、って誰が決めたんだろう」
ダイキ「どう思いますか?」
アヤコ「私が、勝手にそう思ってただけかも...」
アヤコさんは、少し考えた。
アヤコ「毎回は無理だけど、たまには休んでもいいのかもしれないですね。『仕事が忙しい』って言えば...」
ダイキ「それで、アヤコさんは楽になりますか?」
アヤコ「はい。毎回あの場にいるのは、正直しんどいので」
自分の人生
ダイキ「アヤコさん、今日のお話を振り返って、どんなことを感じていますか?」
アヤコさんは、少し考えてから答えた。
アヤコ「私...ずっと親の期待に応えようとして、自分を責めてたんだなって」
ダイキ「そうですね」
アヤコ「でも、親の期待に応えることと、自分を大切にすること、両方は無理なんですよね。だったら、自分を大切にする方を選んでもいいのかなって」
ダイキ「それは、自分勝手なことでしょうか?」
アヤコ「...いいえ。自分を守ることは、自分勝手じゃないと思います」
アヤコさんの声には、少し確信が戻っていた。
アヤコ「親には申し訳ないけど...私の人生は、私のものだから」
ダイキ「『私の人生は、私のもの』...」
アヤコ「はい。親の人生じゃなくて、私の人生。親が決めるんじゃなくて、私が決める」
そう言ったアヤコさんの顔には、涙の跡が残っていたが、表情は穏やかだった。
終わりに
カウンセリングが終わる頃、アヤコさんは少し笑顔を見せた。
アヤコ「今日、話してよかったです。ずっとモヤモヤしてたことが、少し整理できた気がします」
ダイキ「よかったです。これからも、大変なこともあると思いますが」
アヤコ「はい。でも、今までみたいに、全部我慢するんじゃなくて...少しずつ、自分の気持ちを伝えていこうと思います」
ダイキ「応援しています」
アヤコ「ありがとうございます」
アヤコさんは、深く頭を下げてから、カウンセリングルームを出ていった。
その後ろ姿は、来たときよりも、少し軽やかに見えた。