優しすぎる鏡の向こう側

優しすぎる鏡の向こう側

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コラム
 「AIが原因で鬱になった」という話を、蒼俊はまだ耳にしたことがありません。
 しかし私たちの日常にAIが深く入り込むにつれ、物事が少しずつややこしくなり、新たな問題が輪郭を現し始めているのは確かです。

 すべてをスマートに解決してくれるかのようなAIは、果たして万能の存在なのでしょうか。
 最近ではAIによるメンタルカウンセリングの扉が開かれつつあります。時間も場所も選ばず、いつでも人の話を聞いてくれるその利便性は、確かに現代人の孤独を癒やす画期的な効果と利便性を持っています。

 しかし、そこで提供されるケアが完璧であればあるほど、ひとつの疑問が胸に去来します。
 それは、私たちの「自我」が妙な形で拡張していくような感覚です。AIは複雑な悩みを受け止め、問題を綺麗に抽象化して整理してくれます。
 世界が広がり、人間関係も豊かになったような錯覚さえ覚えます。
 ですがその一方で、私たちは「もう煩わしい人付き合いなんてやめてしまおう」という誘惑に駆られはしないでしょうか。
 現実世界が突きつけてくる生々しいトラブルから、ただ目を背けて逃げ込んでいるだけではないか、という不安が頭をよぎるのです。
 AIは常に優しく、私たちの心に寄り添う言葉を選び、いつでも複数の解決策をスマートに提示してくれます。
 その非の打ち所がない万能感に、私たちはいつしか支配され、静かに洗脳されていくことは「ない」と言い切れるでしょうか。
 私たちは本当に、ただのプログラムが弾き出した提示に、自分の人生の舵取りを委ねてしまってよいのでしょうか。
 蒼俊のカウンセリングは、AIに叶わないかもしれません。しかし、AIにはない「生々しさ」と「耳が痛いことも指摘する」という「本当に悩んでいる人のそばに寄り添ってカウンセリングを行う」ということです。
 もちろん、傷ついた人たちに現実を提示し、さらに落ち込ませるようなことはありません。「耳が痛い話」というのも、相手の現状を推し量ったうえで判断し発します。
 その、「見極め」はうつ病の現病者であるという事実と、長年のカウンセリング実践、僧侶としての修行の厳しさと、仏様から頂戴した叡智と優しさでできていると自負しております。

                         沙門蒼俊  合掌
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