宮廷楽団の演奏と貴族たちの談笑が混じり合い、巨大なホールは心地よいざわめきで満ちている。純粋に談笑する者もいればこの場でも抜け目なく相手の腹を探る者もおり、過ごし方は実に様々。とにかく今宵王城に招かれた客は全員、思い思いの方法で主役の登場を大人しく待っていた。
「ミハイル王太子殿下のおなり!」
しかしその主役である王太子ミハイルが現れた途端、会場は驚きと困惑で満ちた。王族の御前のため大声で騒ぐような者はいなかったが、数百人が一斉にどういうことかと呟けばそれなりの大きさの音の渦になる。ざわつく人々の前をミハイルは一人で堂々と歩いていった。金の御髪や空色の瞳が眩く非常に立派な姿だ。だが、当然一緒だと思われていた婚約者リリアンの姿は見当たらない。
今宵の宴は王太子ミハイルの成人を祝いグランバルト公爵令嬢リリアンとの婚礼について正式に発表する場のはずだ。だから王太子入場の折、誰もがミハイルとリリアンが共に入場すると信じて疑わなかった。それが王太子一人だけ現れるなんて、何かよほどのことがあったとしか思えない。招待客たちが戸惑う中一段高い王太子の座までたどり着いたミハイルは、眼下の人々をぐるりと見回し口を開いた。
「静粛に! ……皆が戸惑うのはもっともだ。何故婚約者のリリアンがいないのか、と。残念ながらこの場で僕とリリアンが並ぶことはない。彼女は、光の乙女カティアを虐げ排除しようと目論んだのだ!」
衝撃的な発言により会場は一層ざわついた。リリアン嬢の知性や品性の評判は五十年に一人の才女と謳われるほど高く、にわかには信じがたい告発である。それは国王も同じだったらしく、騒ぎを破る重々しい声で息子に問いかけた。
「ミハイル。国中の貴族が集う公の場でかような告発をするからには、誰の目にも明らかかつ揺るぎない証拠があるのだろうな?」
もしなければただでは済まさぬと言外に滲ませた厳しい言葉にも怯まず、ミハイルは大きく頷いてみせる。
「もちろんです父上。まずリリアンは、カティアの私物を取り上げたりわざと壊したりしました。『元孤児の持ちこんだ物なんて不潔だ』などと言いながら……これがその品です!」
次々に紹介される『罪』とその『証拠』が別室の大きな鏡に映し出される。それを見ながらジルダは嘆息した。
「……なるほど。殿下は光の乙女を懸想なさっているのね」
数十年に一度現れ、神より賜りし光の力で国を照らして人々を助ける聖なる者。それが光の乙女である。数年前ある町の孤児院でそれと見出されたカティアは、当時ミハイルやリリアンが在学していた国の最高学府に編入してきた。そこで立派な聖人になれるよう教育を受けていたはずだが……。
「彼女が時折見せた不安げな表情の数々。今にして思えば、あれはリリアンに投げつけられたいわれのない非難や中傷のせいだったんだな……これについては本人に証言してもらおう。カティア、こちらに」
「まあ目ざといこと。誘いを突っぱねられたお姉様の寂しそうなお顔にはお気づきにならなかったのに」
思わず毒を吐いたジルダに、同じく鏡の中の光景を見守る婚約者のリチャードは苦笑する。だが止めはしなかった。
「カティア様もどうやらお変わりないようだね。王宮や国教会でさらに高等な教育を受けたからには、被害を受けた当人の証言だけで人を裁く危険性について殿下に助言して差し上げてもいいはずだが」
これまた随分と手厳しい発言だが、しずしずとミハイルのそばに歩んできたカティアには当然届かない。夕焼けにも似た明るい茶色の髪、もう一段明るく鮮やかなオレンジ色の瞳、まだあどけなさが残る愛らしい顔立ち。白いドレスの裾をなびかせて歩む彼女の姿に、まだ若い令息が何人か蕩けた顔で見とれている。一方、令嬢たちは一様に冷ややかな目を向けている。
編入してきた当初こそ慎み深く勉強家だと評判だったカティアだが、翌年ジルダたちが入学してきた頃にはすっかりメッキが剥げていた。課題はろくに提出しない、補習にも出ない、叱責されれば頬を膨らませて不貞腐れる。自由時間も買い物やお気に召した殿方とのお茶会などにばかり費やして、読書をしたり祈ったり奉仕活動に参加したりダンスなどのレッスンに励んだりといった姿は終ぞ見なかった。同学年の女生徒たちの不興も相当買っていたようだが、王太子殿下や一部の男性陣の様子を見るに最低限の体裁を取り繕う能力はあったらしい。
「……うう」
「辛いことを思い出させてすまない。しかし真実を明らかにするために君の言葉で語ってくれないか」
涙を浮かべて俯くカティアの肩に手を置き、優しい言葉をかけるミハイル。カティアは頷き、涙を拭ってバッと前を向いた。なるほど、それだけ見れば健気な聖女に見えないこともない仕草だ。
「最高学年に上がってすぐの頃……リリアン様に呼び出され、図書館の隅に向かいました。そこで、色々と……わたくしの生まれを持ち出して『お前のような汚い女に光の乙女は務まらない』『下賤な孤児の頭ではこの先の学問など理解出来ない』などと言われてしまって……」
「よく言ってくれた。今彼女が話してくれたのはごく一部です。他にも成績のことで執拗にカティアを詰ったり容姿を中傷したり、リリアンは隙あらば光の乙女の心を踏みにじり続けてきました。証人も複数おります!」
今や水を打ったように静まり返ったホールに、ミハイル殿下の声だけが響く。
「王太子として、これだけの罪を犯した女を伴侶に迎えることは出来ません! 僕はリリアン・ソフィー・グランバルトとの婚約を破棄します!」