生きているということ

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コラム

私が20代の頃1990年代

この頃バブル期でテレビでトレンディドラマという恋愛ドラマが流行っていました。

代表的な作品は「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」そして「ロングバケーション」。

毎週ハラハラドキドキときめきながらドラマに感情移入して「あ〜、私もドラマの主人公のような恋愛をしてみたい」なんて想像を巡らし夢見たものです。

ハッピーエンドで終わる恋愛ドラマ。


最終回は結婚式。

夢見がちな20代の私はドラマのような人生を送りたいと、ドラマをお手本にしながら様々な挑戦をし、ITベンチャー企業の社員として日本各地へ出張し営業活動したり、イベント出展担当になって休みの日も企画書を書いたりと多忙な毎日を送っていました。

その中でも、恋愛をして「私もトレンディドラマのような人生だわ!最終回は結婚式!」なんて考えたものです。おバカさんですねwそして迎えた最終回。

そう、26歳で結婚。

しかし、私は何も知らなかったのだ・・・・


人生はこれからだった!

人生のお手本にしていたトレンディドラマの最終回は結婚式で、それから先のことについては「ご想像にお任せします」なので、それ以降の生き方のお手本がなかったのです。

最終回の後はトレンディでもなければ、夢も理想もありゃしません。

厳しい現実。

生活費を計算しながらやりくりして、家事育児に振り回され、
自分はオシャレも趣味の時間なんてものもありませんでした。

願いは「早く独身時代のように自由になりたい」

独身時代は実家暮らしで親からの干渉を嫌い、不器用で鈍臭い私は仕事以外は一切力が入らずできれば「ホテル暮らし」がしたいと考えていたくらい。

大好きな仕事に全集中したいタイプだったので、
身の回りの世話は他人に任せたかったのです。

ところが、現実は違った。

結婚したら人の世話をする役割
毎日が家政婦さんのようです。


忍耐、我慢、忍耐、我慢・・・
毎日が修行、お寺の修行僧のような生活。

その修行が20年以上すぎたところでメンタルを病み
臨床心理士の先生に救われるという事態に。
どうにか寛解して、また元の生活に戻ってしまいました。

現在は忍耐、我慢、はなるべくしないように、なるべく言いたいことは言い
、したいことはする方向で頑張っています。

我慢と忍耐が人生をうまく進める秘訣だと母から教わっていたいので実践したまでなんですけどね、母は我慢のしすぎで病気になり亡くなりました。

こちらの子育てが終わったら、親孝行するつもりだったのですがその前に。
それもこれも占いの勉強を始める随分前の出来事ですがね。

生きていくって何だろう?


忍耐、我慢、の修行の日々はもう充分味わい尽くしたので
そろそろ、違う形で生きていきたいと考えつつも
更年期障害と頚椎ヘルニアを抱えた身体を騙し騙し生活している
ポンコツのおばちゃんに何ができるのだろう?

生きていくって何だろう?

衣食住と健康に恵まれる

これさえ恵まれていれば生きていける
それはとても感謝すべきこと!

やっぱりトレンディでもなければ夢や理想もありません。

やはり現実は厳しい。

しかし、人は夢や理想を追い求めるもの。希望が前に進む力になる。
空想や妄想を巡らすのは自由だし、想像の中では空だって飛べるわけで
その中で、自分の望む姿を描くのも自由である。

けれど現実は厳しい。

生活費のために働いている人は多い。
毎日の精神的、肉体的な疲労によって
夢や希望を思い描く力すら乏しくなっていく

そんな社会で生きている私たちは
生きることに何を見出せばいいのだろう?

生きるって何だろう?

そう思った時・・・
自分が小学校の卒業式で卒業生全員で朗読した詩を思い出しました。


「生きる」谷川俊太郎


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


この詩の感想は人それぞれだと思います。
私はこの詩を朗読した小学6年生の頃はただただ日々平凡にこんな感じで・・生きているから感じることだな〜っとボンヤリと思ったものです。
これはとても客観的に思ったことなのですが・・・

日々、どこに視点を置くかで毎日が変わるということ
日々、当たり前と感じることに感謝の気持ちを向けるということ
日々、感動したり、楽しいと思ったり、笑顔になったりという一瞬を大切に思うこと

そんな、単純そうに見えることを改めて丁寧に見つめることで、生きることについての考え方が変わって行ったりするものです。

私は子供の頃から人生において、終着地点を見つめて生きる癖がありました。
学生時代なら卒業式。

その卒業式まで、どんなに自分の思い通りにならず好きなこともできず、束縛され、嫌なこともやり、周りに合わせ、我慢と忍耐で過ごせば良いと思っていました。

何より・・・私は幼い頃より個性的なタイプでしたので、活動が活発で目立ってしまいとても注意されることが多かったものですから、生きるうえで親や教師といった立場が上の人から怒られずにするが最重要でした。

そうすることで自分の安心、安全、安定な生活が保証されると考えていたからです。

しかしそれは同時に忍耐、我慢、忍耐、我慢の連続の毎日という意味でもありました。この生き方ですと、また数年後にはメンタルの病を患ってしまう。
なので、改善が必要です。

52歳の今は

60歳まで8年、70歳まで18年。

まだまだ、いろんなことにチャレンジできます。
自分主体で、自分が主人公の、自分の心の命ずるままに生きていく!

せっかくの命!
自分のやりたいこと、好きなこと、楽しいことを実行し
笑顔の多い日々を送りたい!

そうすることが私にとって本当の・・・

生きていくということ

だと思うのです。
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