「努力しなければ」ではなく「努力できるもの」を見つける

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学び
勉強できたり成功したりする人をみると、
「努力できるっていうのは才能だよな」
と思ってしまうことありませんか?

そのように思うと、自分ができない人間だと劣等感を持つかもしれません。
例えば学校教育であれば一般的には「5教科の成績が良い」生徒は優秀とされ、先生の言うことを聞く子供は良い生徒だと判断されます。

そこで成績が悪かったりすると、「自分は勉強が苦手だ」という思い込みが発生します。そうすると、大人になっても「勉強会」とか「研修」とか「会議」という言葉を聞く度に嫌だなぁと思ってしまうものです。

でも、実はみんなが何かしらに「努力できるもの」があるのです。
それが学校教育の中になかっただけという話。

人が興味を持つものや程度はそれぞれに違うので、自分の興味ある分野であれば他人から「努力」とみえても本人はそう思ってない、もしくは努力が他の人より苦にならない場合があります。

例えば、わたしは先日、阿闍梨の1000日修行の動画を見ました。
1000日修行とは、往復48キロの山道を1000日間歩き続けるという凄まじい修行です。身を清め、午前0時にお寺を出て、標高1500mの寒い中、鎖を伝って崖をのぼったりする険しい道のりを歩き、夕方に帰ってくる。
それから、掃除や食事、次の日の準備をして、睡眠時間もあまり取れないというものです。更に、体調がどんなに悪くても1日も休むことは許されません。

普通に考えたらやろうと思うことすら無謀なことです。
努力、という言葉では片づけられないほど厳しい修行ですが、わたしはそれをみて「羨ましいな」と思いました。

他の人にとっては「努力」だけど、修行が好きな人にはそうではないこともあるのです。
わたしの場合は「座禅を1日18時間」とか「マントラを10000回唱える」という修行は過去にやったのですが、努力したつもりはありません。
逆に滝に打たれる修行と言われると「努力でどうこうできるものじゃない」と思ってしまいます。

人によってこの「好きだな」と思うことは違うはずです。
走るのが好きな人、座ってずっとトレードの画面を見ているのが好きな人、
書くのが好きな人、勉強の中でもクイズの問題が好きな人、
それぞれ好きで他の人が「努力しなければできない」と思えることをできちゃうことがあるはずです。

自分がやっているものの中で「これはいくらでも続けられるな」と思うものがあったらそれが才能といえるでしょう。

琥珀流












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