「令和のいじめ」は誰もが加害者になりうる

「令和のいじめ」は誰もが加害者になりうる

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コラム
令和のいじめの怖さは、誰もが加害者になりうるところにあります。

もちろん、意図的に人を傷つける行為は許されません。

しかし、今のいじめは、本人に「いじめている自覚」がないまま広がることがあります。

「いじっただけ」

「ノリだった」

「みんな笑っていた」

「本人も笑っていた」

こうした言葉で片づけられることがあります。

でも、いじめかどうかを決めるうえで大切なのは、加害側のつもりだけではありません。

受けた子が苦痛を感じているかどうかです。

たとえば、友達の失敗を動画に撮ってグループで共有する。

本人のいないところで、あだ名をつけて笑う。

SNSに直接名前は出さず、誰のことかわかるような投稿をする。

冗談のつもりで「空気読めないよね」と言う。

こうした行為は、大人から見ると小さなことに見えるかもしれません。

けれど、受けた子にとっては、自分の居場所を奪われるほどの痛みになることがあります。

特に、SNSでは言葉が残ります。

一度送ったメッセージ、一度拡散された画像、一度作られた空気は、簡単には消えません。

だからこそ、子どもには「自分が楽しいか」だけでなく、「相手は本当に大丈夫か」と考える力を育てる必要があります。

これは、道徳のきれいごとではありません。

これからの社会で必要な、人を傷つけずに関わる力です。

保護者も、子どもが加害側になる可能性をゼロだと考えないことが大切です。

「うちの子に限って」ではなく、「誰でも間違えることがある」と考える。

そのうえで、もし子どもが誰かを傷つけてしまったときには、頭ごなしに責めるのではなく、「何が相手を苦しめたのか」「どうすれば償えるのか」を一緒に考えることが必要です。

子どもは、間違えながら学びます。

大切なのは、間違いを隠すことではなく、傷つけた事実に向き合える大人がそばにいることです。

私は、不登校、ギフテッド、2E、発達特性のあるお子さんの支援を行う中で、子どもたちが安心して人と関わる力を取り戻すことを大切にしています。

ギフテッド食堂では、子どもが一方的に評価されるのではなく、自分のままでいながら、他者とゆるやかにつながれる場を目指しています。

お子さんの居場所は、学校だけではありません。

私が、その子にとって安心できる大人の一人になれるかもしれません。
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