よく生きた英語と学校英語、というのは問題になりますが、
生きた英語とテスト英語、というのは問題になりませんね。
ここでいうテスト英語、というのは、TOEFLやIELTS、英検などについてお話をしています。
昔のブログでも書きましたが、高度な英語力という話になると、なぜかほとんどの場合、「高度に学術的な英語」に目が向く気がするのですね。
そんなに学術的なものをやりたいのですか?と思うんです。
受験英語を目標に散々努力すればそうなるのは仕方ないのですが、
それにしても感性が無視され過ぎではないでしょうかね。
なぜ高度に修辞的、小説的な英語だったり
高度な脚本的、洗練された口語に目が向かないのでしょうか。
色々と理由はあると思います。
高度な英語力が高収入な仕事に結びつきやすいことも事実ですし、
豊かな文章を嗜む余裕がない、というのもあるでしょう。
なぜこうしたことを考えるかというと、
僕はずっと自分で英語で小説を書いたり、手記を書いてもカッコのつく英語使用者になりたいと思っていたからなんですね。
マシンガントークや知的武装に抜かりない英語話者の英語も沢山取り入れようとはしていますが、それらはあくまで取り入れるだけで。
最終的には、自然体で語って、草原を散歩しつつ、素敵な喫茶店に立ち寄るような、そんな文章を書く人間になっていたいわけなんです。(わかりにくいですね笑)
テストスコアを書き並べることができるのはそれで一つの特技なのですけど、日本生まれ日本育ちで、英語で小説を書いたりする人がもっともっと現れないものかと思ってるわけです。
僕は小説は書けそうにないですけど、英語で何か思想的な小冊子を物書きとして残してみたい気はあります。。。