人はなぜ、「正しくありたい」と願うのでしょうか。
間違うことを恐れているようでいて、
本当は——自らしてきたことを否定したくないだけかもしれません。
誰かが自分と違う意見を言うとき、
心の奥でざわめきが起きることはありませんか。
その不安を鎮めるために、人は「正しい」という言葉を使います。
「あなたのためを思って」
「それは間違ってるよ」
やさしい言葉が出るのは、
痛いところを見たくない自分への、ささやかな甘やかしかもしれません。
正しさとは、震える手を隠すために使われることが多いものです。
うまく隠せれば、誰にも触れられない。
自分でさえ触れないことが多いものです。
人は正しくあることで、自分を守り、
同時に、住んでいる世界も守ろうとします。
けれど、何を守りたいのか知らないまま、
正しさを他者を裁くために使ってしまう。
誰かの選択を見て「それは違う」と言いたくなるとき、
本当に違うのでしょうか。
それとも、自分の中の恐れが騒いでいるだけでしょうか。
立ち止まった沈黙の中で、見えてくるもの。
それが、あなたの正しさの正体です。
本来、正しいも間違いもありません。
ただ「正しいと信じたい」だけなのです。
それが崩れたら、何を頼ればいいのかわからなくなる。
正しさにしがみつくのは、安心のためかもしれません。
けれど、しがみつきたい自分を見ないふりをしない。
正しさを疑うことは、自分を責めることではなく、
ただ、もう少し広い世界を見てみるということです。