自由への介入

自由への介入

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コラム
誰かの自由を奪うとき、

良かれと考えて行動するときがあります。

なぜなら、命令も脅しもしないから。

ただ、「相手のためになる」と思って動く。

そんなとき、その行為が誰かの自由を奪うこともあることに気づかない。





たとえば、

「その考えは危ないからやめたほうがいい」と言うとき。

「それは普通じゃない」と笑うとき。

「こういうときは、こうあるべき」と並べるとき。



誰かの中にある選択の余地を、少しずつ削っている。

しかもそれを、「親切」や「常識」という名のもとにです。





自由を奪う力は、権力や暴力だけではありません。

それは、普段の日常の中に紛れています。



「みんなそうしてる」

「それが普通」

「それが幸せ」

命令がなくても「普通」に動く人間。

同調の外にも自由がありますか?





「私は自分で決めている」と思うかもしれません。

けど、その自分の中に、どのくらい他人の声が混じっているかを考えたことはありますか。



奪う。

奪われる。

気づかない。

正しいと思っている。



自由への介入をしないためには、まず自分の中の正しさを疑うこと。







気づかないまま奪っている自由は厄介です。

奪われる方も気付きにくい。





だからこそ、自分の中へ介入する。

その正しさは誰のためなのか。

その積み重ねが、あなたの自由を思い出してきます。
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