誰かの自由を奪うとき、
良かれと考えて行動するときがあります。
なぜなら、命令も脅しもしないから。
ただ、「相手のためになる」と思って動く。
そんなとき、その行為が誰かの自由を奪うこともあることに気づかない。
たとえば、
「その考えは危ないからやめたほうがいい」と言うとき。
「それは普通じゃない」と笑うとき。
「こういうときは、こうあるべき」と並べるとき。
誰かの中にある選択の余地を、少しずつ削っている。
しかもそれを、「親切」や「常識」という名のもとにです。
自由を奪う力は、権力や暴力だけではありません。
それは、普段の日常の中に紛れています。
「みんなそうしてる」
「それが普通」
「それが幸せ」
命令がなくても「普通」に動く人間。
同調の外にも自由がありますか?
「私は自分で決めている」と思うかもしれません。
けど、その自分の中に、どのくらい他人の声が混じっているかを考えたことはありますか。
奪う。
奪われる。
気づかない。
正しいと思っている。
自由への介入をしないためには、まず自分の中の正しさを疑うこと。
気づかないまま奪っている自由は厄介です。
奪われる方も気付きにくい。
だからこそ、自分の中へ介入する。
その正しさは誰のためなのか。
その積み重ねが、あなたの自由を思い出してきます。