守るものがなくなった後

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ニュースで事件を見て、思わず「なんでこんなことするんだ」と批判が出る。

相手の事情も知らないのに、自分が正しいと信じて疑わず、報道が正しいかどうかさえ忘れる。

与えられた情報をもとに物語をつくり、その物語に便乗して相手を糾弾する。

そして、自信を持って断定する。



その裏にあるのは「防衛」です。



思い込みが固定されるのは、自分を守ろうとするから。

ただし、多くの場合、人は自分が防衛していることに気づかない。

声が大きくなったり、「絶対間違いない」と強く考えることで、それを隠そうとする。

それは後になって振り返れば気づけるかもしれないことです。







例えば、多額の寄付をした人に向かって「偽善だ」とつぶやく人がいる。

確かにそう見えるかもしれない。

けれど「偽善だ」と感じるのは、自分が寄付するときに「誰かに賞賛されたい」と心の奥で思っている。

自分の影が、相手を通じて見えているだけでは?



同じように「自分には価値がない」と心のどこかで思っている人は、

他人を下げることでバランスをとろうとする。



知らない誰かのことを無理に下げてでも、自分を守ろうとする。

それは、自分を価値ある存在として保つための苦しいくて不要な努力。





けど、自分がそうしていると気づいた時、出しかけた手は止まり、大声も出せなくなる。

なぜなら、それが自分の執着や防衛だったと分かるからだ。



そしてやがて気づく。

自分に「無価値観」を与えていたのは、他の誰でもなく、自分自身だと。

たとえ誰かに「お前は価値がない」と言われても、それは言った相手が自分の無価値観に怯えているだけだ。





そう理解できたとき、肩の力が抜け、心の底からリラックスできる。

見えてくるのは、ただ出来事が起きているというシンプルな現実。

「大変だ」と意味づけて騒いでいたのは、自分の思考だったと知る。



子どもが騒いでいても「子どもだから仕方ない」と思えるように。

同じように、人生の出来事もただ「そういうもの」と受け止めればいい。



その時できることを、ただやる。

そこには、悩みも葛藤もない。





守るものがなくなった後、ただ「今を生きる」感覚に近づいていきます。
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