もらうことでしか、愛されたと感じられなかった私 「もらいたい」と思っていた心の奥にあったもの

記事
占い
はじめに
前回のブログでは、「物を得たときだけ安心できた自分」について書きました。今回は、そこからさらに深く、
「人から何かを“もらいたくてたまらなかった”私の心」について、
正直に、そして丁寧に綴っていきたいと思います。

それはわたしが長い間、ひとりで抱えてきた感覚で、
誰にも言えなかった「小さな本音」のようなものでした。

「もらえると嬉しい」
「でももらえないと、ものすごくつらい」
「なんでこんなに“欲しい”って思ってしまうんだろう?」
自分でもわからずに、苦しくなってしまうことがよくありました。

この記事は、
同じように「誰かからもらうこと」に強く反応してしまう方へ、
「わたしもそうだったよ」とそっと伝えたくて書いています。

もらえた瞬間だけ、あたたかくなれた
子どものころ、誰かから物をもらえると、心の奥がふっと軽くなった気がしました。

ちょっとしたプレゼントでも、
おすそ分けでも、
「私の存在を認めてもらえた」「見てもらえた」と感じるだけで、
一瞬だけ安心できたんです。

でもその反動で、もらえなかったときの孤独感はとても大きくて。
胸の奥がスーッと冷たくなるような、そんな感覚がありました。
まるで、「もらえない私は、ここにいてはいけない」と感じるほどに。

条件付きの愛を“愛”だと錯覚していた私
わたしが「もらうこと」に執着するようになった理由には、
幼いころに受けた“条件付きの愛情”が深く関係しています。

母からの虐待の中心にあったのは、勉強や習い事でした。
ピアノ、公文、宿題、テスト、
とにかく「母の思い通りにできない」と、私は人として扱われませんでした。

ピアノでは、思うように弾けないとボコボコにされました。
公文の問題で一問でも間違えると、
服を脱がされて裸のまま、殴られ、蹴られ、髪を引っ張られました。
「なんでできないの!」と怒鳴られながら、私はいつも「ここにいたくない」と思っていました。

でも逃げる場所なんてなかった。

そんな中で、唯一母がやさしくなる瞬間がありました。
テストで良い点を取ったとき。
ピアノの発表会でうまく弾けたとき。
そのときだけ、母は笑ってくれて、物をくれることがありました。

その一瞬だけは、怒られない。
その一瞬だけは、私の存在が「認められた」気がした。

だから私は、
「物をもらえた=愛された」と錯覚するようになっていったんです。

・「条件を満たせば、愛される」
・「成果を出せば、物をもらえる」
・「物をもらえたら、ここにいてもいい」

そんな感覚が、心の奥深くに染みついてしまいました。
それは本当の愛じゃなかったけれど、
あのころの私にとっては、それだけが“生き延びるための愛”だったと思います。

もらえないと、存在ごと否定されたような気がした
大人になってからも、わたしの中には
「もらえないと、拗ねてしまう」「自分には価値がない気がする」
という感覚がずっと残っていました。

「どうせ私なんか大切じゃないんでしょ」
「くれないってことは、どうでもいいってことだよね」
と、心の中でひとり傷つきながら、
そんな自分を責めて、また苦しくなる…。

でも、本当はただ、
「大切にされたかった」
「見てほしかった」
「わかってほしかった」
だけだったんです。

怒っていたのは、ほんとうは愛されたかったから
「もらいたい」と思っていた気持ちを深く見つめてみると、
その奥には、強くて激しい怒りの感情がありました。

「どうして私は、こんなに“欲しい”って思ってしまうの?」
「もらえないなら、いらない!愛せ!」
「なんで私だけ、こんなに与えられなかったの?」
その怒りの正体は、悲しみでした。
ずっと愛されたくて、
でもそれが叶わなかった悲しみが、怒りに変わっていたんです。

「もう優しい言葉だけでは足りない」
「ちゃんと行動で示して、物でも示してほしい」
そう叫んでいるような、飢えたような愛の欲求が、わたしの中にはありました。

それでも、少しずつ風向きが変わった
「欲しい、もらいたい、苦しい」
その感情の奥には、
「私は本当は、何を求めていたんだろう?」という問いが浮かんできました。

愛されたかった。
見てもらいたかった。
無条件に、大丈夫だよって言ってほしかった。

もらえない私を責めるのではなく、
「愛されたくて、必死だったんだね」と、小さな自分に声をかけてあげること。

それだけで、ほんの少しですが、
わたしの中の風向きが変わった気がしました。

【ワーク】もらいたい気持ちが湧いたときのやさしい問いかけ
今わたしがやっている、小さなセルフワークをご紹介します。
もらいたい気持ちが強くなったとき、自分を責める前に、こうしてみてください。

①「今、もらいたくなってるんだね」と自分に声をかける

まずは気づくこと。
否定しない、責めない。ただそのままの気持ちを認める。

②「ほんとうは、なにがほしかったの?」と問いかけてみる

見てほしかった?
認められたかった?
安心したかった?
ひとりになりたくなかった?
物ではなく、心がほしかったものに気づいてあげる。

③ それを、少しでも自分で満たしてあげる

・温かいお茶を淹れて、自分の手で包む
・「わかってるよ、寂しかったんだよね」と心でつぶやく
・安心できる音楽を流す
・ぬいぐるみに「いてくれてありがとう」と言う
これだけでも、「もらわなきゃいけない」という必死さが、ほんの少しだけやわらぎます。

【今日の結論】
「もらいたい」と思ってしまう自分は、悪くない。
それは、ずっと満たされなかった心が、
「わたしのことも見てほしい」って叫んでいた証なんです。

だから、まずはその声を聞いてあげてほしい。
責めるのではなく、「そう思って当然だった」と認めてあげるだけで、
心の中に少しスペースが生まれます。

そして、
「もらえなくても、私はここにいていい」と思える瞬間を、
ひとつずつ積み重ねていけたらいいなと思っています。
わたしも今、その練習をしています。

次回予告
次回は、「衝動が起きたとき、どうやってそれに気づき、安心に変えていくか」について書きます。
“感情の換金”という考え方と出会い、
自分の心の声を少しずつ理解できるようになってきた記録をお話しします。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら