はじめに
前回までの記事では、
わたしが「物を得ること」「誰かからもらうこと」に強く執着していた理由を振り返りました。
それは、ただ欲しがっていたわけではなく
安心感や愛情がほしかっただけ。
「もらえたときだけ安心できた」
「もらえないと、自分には価値がないと思ってしまう」
そんな感覚の根っこには、幼少期の痛みや条件付きの愛情体験がありました。
では、そんな「もらえないと苦しい」状態から、少しずつ抜け出すにはどうすればいいのか?
今日はそのために役立ったワークを、ここにまとめておこうと思います。
■ どうして私は「もらえない=愛されない」と思ってしまったのか?
この感覚は、わたしが“自分を守るために覚えた思考のクセ”だったのかもしれません。
ここで、その根っこを丁寧に見つめなおしてみます。
1. 「もらえたときだけ安心できた」経験があった
例えば:
親の機嫌がいいときだけ、優しくされた
成績が良かったときだけ、ほしかったものを買ってもらえた
成果を出さないと、存在が認められないと感じていた
→ その結果、「もらえた=愛された」と脳が覚えてしまった。
2. 「自分から求めなければ、何ももらえなかった」
無条件に与えられる経験がなかった
求めても無視されるか、拒絶されるかだった
奪うようにしてでも得ないと、空っぽなままだった
→ 「もらうこと=生きるための必須条件」になっていった。
3. 「孤独や不安を埋めるために、物を得る」という習慣
「寂しい」「悲しい」と言葉で表現できなかった
代わりに何かを得ることで、心を麻痺させていた
一時的でも満たされる感覚が快感になり、くせになった
■ 今の私は「もらわなくても大丈夫な自分」に近づいている
過去のわたしは、もらうことで心の穴を埋めていた。
でも今は、違う選択もできるようになってきました。
ここからは、「もらわなくても愛される」「満たされる」感覚を少しずつ取り戻すために、実際に役に立った3つの方法をシェアします。
① 「もらえなくても愛されている」と感じる練習
「もらえない=愛がない」と思ってしまうのは、
愛の形を「物」や「言葉」など、目に見えるものに限定してしまっているからかもしれません。
でも、愛にはさまざまな形があります。
誰かが話を聞いてくれた
気遣ってくれた
一緒にいてくれた
ありがとうと言ってくれた
それはすべて、「目に見えにくい愛の証」です。
「もらわなくても愛はあるかもしれない」
そんなふうに、少しずつ「愛の見え方」を広げていく練習をしています。
② 「もらう」ではなく「与える」ことで満たす
愛を「もらうもの」と決めつけていると、常に足りない感覚がつきまといます。
でも、実は「与えること」で、心が満たされることもあると気づきました。
例えば:
優しい言葉を誰かにかけてみる
友達の話をただ黙って聞いてみる
小さなありがとうを自分から伝えてみる
「与えたぶん、何か返ってくる」という期待ではなく、
自分からやさしさを循環させることそのものが、心のあたたかさにつながっていきます。
“もらわないと安心できない”から、“与えることで心が満ちる”へ。
この感覚が少しずつ育ってきています。
③ 物ではなく、感情や経験で満たす
かつての私は、物を得ることでしか満たされないと思っていました。
でも、今ではこうした小さな“安心できる行動”が、心を落ち着けてくれるようになっています。
お気に入りの場所で深呼吸する
心が落ち着く音楽を聴く
ゆっくりお茶を飲んで味わう
やさしい毛布にくるまる
「よく頑張ってるね」と自分に声をかける
こうした体感を通じた「満たされる経験」を積み重ねることで、
「物じゃなくても大丈夫」と、少しずつ実感できるようになりました。
【今日の結論】
「もらえないと愛されない」と思っていたのは、過去の私を守るための生き方だった。
そして今の私は、
愛は、もらうだけじゃない
自分の中にも、愛や安心を感じる力がある
小さな満たされる瞬間を、自分でつくっていける
そう少しずつ信じられるようになってきました。
「もらわなくても、私はここにいていい」
この感覚を、今日もまた、静かに育てていきたいと思います。