僕が人の文章を見る、添削する際に気をつけていることを書いておきます。
大前提
まず自分が書いたものではないので、他人がどう書いたかを推し量ることをしていきます。自分ではないので、どう考えて書いているかはすぐにはわからないからですね。
そう考えると、「これはだめ」という指摘はしないというか、できなくなります。「これ」をめちゃくちゃ考えた上でしているかもしれないからですね。
よって、添削方針は以下に集約されます。
1.良いところを褒める→より伸ばすには?
2.明らかにまずいものは指摘する
たまにスパルタでビシバシ言って欲しいという人がいらっしゃいますが、全く合わないのでその方はお控えください。
2については、論理構成がおかしいとか、意見なのに事実として認識されるように書いているとか、表現がおかしいとかそういったことです。ただこれらの「おかしさ」もあくまで僕から見たらということになる点はご留意ください。
基本的に、良い点を伸ばしていく「1」がメインで、「2」をそこに入れていくのが大前提となります。
文章が書けるとは?良い文章とは?
これは正直なところ様々なケースがあります。ただ、文章とは伝えることなので、とても良いことが書かれていても、伝わらないなら文章としては成立していないこととなります(ビジネスでいえば、良いビジネスアイデアだが実行できないみたいなものですかね)。
文章は、それを書くまで、書いた後で分かれる気がします。
例えば、書くまでであれば、アウトプットとして「1000字」書いたということを重視する方もいると思いますが、書いたは伝わるかどうかまでいってないので、これでは書いただけとなりやすいです。そういう方もいるかなと思います。
一方で、書いた後とは、それが読まれて伝わることです。意図したいことが伝わったことが良いですが、意図しないことを汲んで理解してくれるケースもあります。また全く意図しないことも出てくるのですが、法律文章でない限り如何様にも読めることもありますから、ここは難しいですよね。そんな文章は無理かなと思っています(誰にとっても一意で伝わるもの)。
少なくとも、良い文章というのは、書き手が伝えたいことがあり、それが読み手に伝わったといえます。それ以上は色々いえそうですが、気付きがあるとか、でもそれって書き手だけでできなくて、読み手と一緒に生まれる気がします。
文章が書けるとは、ただ書き連ねるだけでなく、それを伝えたい人に伝えることが出来て「書ける」という感覚が僕にはあります。
文章が苦手な人が陥りやすいこととは?
1.書き手の立場で書いてしまう(読み手が消えている)
まず書き手自身の前提で書いてしまうことが多いことです。つまり読み手がそこに介在しない、いないという感じですね。こうなると、結構しんどいです。意識付けからやっていくこととなります。
ラブレターでもいいのですが、誰か特定の人に何かを書くとき、その人の事を考えませんか?その感覚です。例えば僕が今書いている文章は、「文章がめちゃくちゃ得意な人向け」でなく、「苦手な人向け」だったり「添削してほしいという人向け」を意識しています。
読み手を考えるのは、念じて頭に浮かんでくるということでなく、その人が読むとどう思うか?どう感じるか?ということでしょうか。これを書きながらやると大変なので、書いた、書ききった後に修正する方が良いですよね。慣れないと大変ですが、こういうのも慣れていくしかなさそうです。
2.自分でも書けているかが把握できていない
いわゆる道具を使えていないということです。例えば新しい言葉を知って使いたいと。そういうのは分かるのですが、把握していない道具を使うのってリスクじゃないですか?
または、自分が言いたいことを言えているか分からないけど、具体的、または状況を説明せず「相手に任せる」という感じです。これは相手に依存しすぎているかもしれません。
どちらも、自分が把握して書いている、ここまでは書いているということが出来てない状況です。
相手に任せるというのはどういうことかというと、読み手の理解力や補足を期待して、書き手側が説明を怠るということです。ここまでひどくはないでしょうが、「これやっといて」で「これ」で「何をやるか」が分かる人は極めてまれです。
しかし、それが通じることもあるので、これが駄目ではなく、相手が「これ」「あれ」を知らないなら、それを説明しないといけないですよね。この説明を、語彙や表現と思われる方もいますが、多くはそれを説明していないと考えています。
語彙や表現がないので言えないこともありますが、特殊な語彙やトリッキーな表現で「一発で伝わる何か」があるわけではないということですね。
語彙力を増やすーとか、表現を工夫するという意識は良いと思うのですが、それで伝わるとか、伝わったということは別問題だと考えています。
むしろ、その前に、自分の文章を書いて、どこまで伝えているかの評価というか、書いたことをどこまで握れているか、自分が書いた言葉と合致しているというか、伝えたいこととどこまで合致しているか。
それは読んでもらってフィードバックを受けるということが有効なことはいうまでもありません。
3.言葉が出てこない
具体的な書きたいが出てこない。こういうことはあるので、その場合は、書けるところまで書いたほうがいいですね。ではどうすると、言いたいことが言えるのか?何かうまい言い回しがあるのでしょうか?
おそらくそういうものはなくて、言いたいこと→言ってみる、みたいな繰り返しでしかないかなと考えています。
つまり、書いて訓練するしかなくて、ではその書くための最初がないのだ!となるとき、さらに書けるところまで書いて(笑)ということに他なりません。
言葉は慣れている人なら勝手に出てきています。僕自身も勝手に出てきます。が、それは意図しているからであり、慣れているからです。浮かんだ言葉を浮かぶ前に書いている感じです。書きながら考えるとはそういうことに近いですね。
言葉自体は色々学んで試していけば自ずと増えるので、それこそ本を読む、誰かの面白い表現を見つけてみる、誰かの癖をちょっと真似る(真似て書き続けろということでなく)、楽しんで行くのが近道ですね。
文章自体はとても書くと楽しいし、ワクワクする。自己整理から、コミュニケーションまで使えます。素晴らしい技術だと考えています。
書くことに関して高い解像度で相手の考えやロジックを把握します
では、僕がどう相手の文章や言葉を理解しているかですが、シンプルに、色々なものを読み書きしているので、それがある程度分かるわけです。当然知らないことは分からないですよ(笑)
解像度とは、より細かい点まで見えるということです。
書くのが苦手な人:「ここでつまづいてしまうのですが」
僕:「こことは、XXXということで、◯◯ということを考えているからですか?つまづくとは何もアイデアが出ないということですか、それとも?」
みたいな感じでコミュニケーションができるというわけです。
苦手な人の思考を読み取り、または推測するわけですね。もちろん違うこともありますが、それを繰り返すことで、コメントしたり添削することで、追っていく感じですね。
「思う」という言葉がありますが、思うのは自由です。難しいと思う、簡単と思う。でも、難しいと考える、簡単と考える。この「考える」場合は、根拠や何かしらそう感じた理由を述べる必要があります。それが「思う」と「考える」の違いです。
説明できなくても、使い分けできる人もいるでしょう。理由を入れて思えば考えるとなりますし、理由がない考えるは思うとも言えます。面白いですね。厳密に「思う警察」「考える警察」をしているわけではないですが、少なくとも書き手が「思っている」のに「考えた」と言うと不一致です。不一致が連続すると、全く意図しないことになるかもしれないですよね?
とはいえ完全一致できることも稀ですから、大筋や大まかなところを抑えているか。そこは間違っていなくて、細かい点で違うのかなどと話ができるわけですね。
以上、簡単ですが、僕が文章や言葉について考えていることを書いてみました。
添削系はこのあたりのサービスで受けています。気になるのがあればお気軽にご相談くださいませ!