アイデアは日常から生まれる
練習のときに、「これどうだろう?」「こうしてみたら?」と試してみる瞬間がある。練習とはスポーツの練習とか、ギターの練習とかなんでもいい。
この仕掛けようとする姿勢こそが、アイデアを持っているかどうかの差になる。
つまり、練習の中で自然にそういう発想が出ているかどうか。
それが出ていないのに、いざ本番になったら出せるというのは、少し無理がある話だ。
発想力があるとは、思いつきをポンと出す才能ではない。
日頃から、何かを考えたり、観察したり、情報を取り入れたりしているからこそ出せるもの。
何もしないで、ある日突然できるようにはならない。
出せる人になるには練習をしていくしかない
だからこそ、普段の生活の中で、どこまで発想できているかがポイントになる。
それができていないなら、できるようにしていくしかない。
変わらなければ、出せる人ではないから、出せる人には一生なれない。
本番で何かを起こす力を持つ人は、日常で仕込んでいる。
積み重ねているから、自然と出てくるだけの話だ。
「今はまだできないけれど、これから学んでいこう」と思える人は変われる。
でも、それができないなら、誰かを頼るしかなくなるのだと思う。
すべては日常に現れている。ごまかしは効かない。
本番は練習の延長線上にある
練習でできないことは、本番でもできない。
たまに「本番で覚醒する人」もいるけれど、それはその人が練習をしっかりやってきた結果としての覚醒だ。
決して、何の準備もしていないところに奇跡が起こるわけではない。
だからこそ、練習をどれだけ大切にできるか。
普段の積み重ねが、自分の「出せる力」になっていく。
毎日の中でどれだけ仕掛けて、どれだけ動けるか。
アイデアを出せるかどうかは、日常の姿勢にすべてが現れている。
アイデア出しも、シゴトを作るのも全てそういった日々の営みの積み重ねでしかない。一発逆転はスカッとするし映えるのだろうが、それはない。結果的に結果論としての逆転劇はある。でもそれはドラマでしかない。確率は低すぎることは留意するのであれば、期待値としてはまずないのだと思う。
練習や日常の動きは自分を裏切ることはないと思う。裏切るとは、結果がでないからやらなくてよかったという後悔みたいなものだ。それはない。やった分だけ上手くなるからだ。それだけで、当然そのために必要な試合で結果を出せないとか、本番で力を出せないなんていくらでもある。
でも、本番で力が出せなかったらその人の全てが人生が決まるのだろうか?いやそれはないと思う。むしろそこでやりきったら次が見えてくるし、またはやりきれてないから後悔をするのだと思う。これは個人的な意見ではあるけれどそう考えてみる。
だからこそ、普段を大事にする、普段の取り組みをしっかりやっていくのが良さそうだと。