モチベーションの根源にあるもの
結局のところ、人が求めているのは「人」それ自体かもしれない。プログラミングでも何でもいいけれど、それを続けるためのモチベーションが必要なのはよくある。でも、それは単に技術を学ぶことそのものではなく、「なぜやるのか?」という問いに対する答えを得るためのものだろう。
まあこれはやってみないと分からないし、やることでやる気が出たりするので、やるを侮っていると話は進まないのだけど。
たとえば、プラットフォーム的なサービスをを利用して、誰かと話しながら学ぶ人がいる。月に1万円払ってでも、対話を通じて前に進みたいというニーズがあるのは、その証拠ではないかと思う。対話というと「おしゃべり」みたいだけど、「おしゃべり」でも価値はあるし、結局人次第だと思う。
AIでは満たされない何か
AIと話すこともできるし、実際に僕も試している。でも、それで十分満足できるかというと、そうでもない気がする。AIは確かに情報を整理し、言葉を返してくれる。しかし、そこには「自分の思考を整理する過程」が含まれていない。(推論がそうじゃないかというけど、それもやや強引に推論風にしているので、人と比べるのはナンセンスだけど違うのだと思う)
結局、AIと話すということは、自分の中にある漠然とした考えを明確に言語化しなければならない作業(少なくとも自分がだ)になる。つまり、自分の中で「言葉にならないもの」を整理し、形にして初めてAIはそれを処理できる。でも、それができるなら、そもそもAIは必要ないのではないか? 逆に言語化できないからこそ、人と話すことが必要なのではないか?
ここにおいて明確に「言語化」をサポートはしてくれるが、「言語」の元であり「何か」を出さない人には全く役立たずなのだ。これはある分野の初心者が聴けないことに陥ったら途端に感じるし、そのような無力感はさわった事がある人なら分かるはずだと思いたい。
求めるのは壁打ちではなく、対話かもしれない
人で「壁打ちをしたい」という人はいるしそこそこ多い。でも、本当に求めているのは、ただ自分の考えをぶつける場ではなく、そこに対する反応なのかもしれない。つまり、相手がいることで初めて、自分の思考が整理されるということだ。ここにAIが壁打ちとして躍動していく世界はわりとあるのだけど、意外にハマらないのだ。言語化できる人はそれで役立つが、問題は言語化できないから「壁役」が人で欲しくてAIではないのだ。
このあたりの話はわりとここでも書いているので参照頂くとも面白いかもしれない。
そう考えると、学習の場やコミュニティは、単なる知識の交換の場ではなく、「言語化を助けてもらう場」としての役割を果たしているのだろう。AIに話しても満たされないものがあるのは、まさにそこなのかもしれない。
だから、人感みたいなものはやはり大きな価値だし、それはとても小さくても価値がある。ぜひコミュニティ立ち上げなどは立ち上げる人が思っているよりも価値があると思って試してもらいたいし、自分も大いにやっていきたいと考えている。