あたり前ですがこれには実は罠があるんじゃないかと。そんな話です。
アウトプットを設定する、決める「だけ」では流石に何も起こらない
よくあるのが手帳に「書いただけ」で願いが叶う系です。
これが嘘ではないのは、書いた人が「見えない努力」(正確には人からみえないのであって本人は努力かどうか分からないけど色々とやっている)が積もって「形になった」ということですね。
批判というよりも、「だけ」という言葉が危険なんじゃないか説です。
アウトプットとしてこれやりたいと言えば叶う。それは流石に嘘だと思いますが、書いて手帳なら「見る」ので、意識する。それこそ1日でやれることをやってみる。本を書きたいなら「本を書く」ためにやることをやる。
本屋で憧れの本を読んでもいいですし、一歩をとにかく踏み出す。そういうことですよね。
ここで間違えていけないのは、楽してできる出版術みたいなものを読むのはいいし、セミナーもいいですが、「それだけ」聞いて見てだけはいけないってことですね。そうでなく、実際に本を書く、ネタを出す、経験者に話を聴くという行動ができているかどうかですね。
インプットしないとアウトプットできない
構造として、アウトプットは何か得たり、見たり、体験したからできます。
逆にアウトプットができない、文字化、言語化、表現手法の困難さ、未熟で出来ないこともありますが、それを無視すると、インプットしてないとなります。
アウトプットするとは、インプットをしてそれなりに解釈したからできるというわけですね。ここがかなりポイントです。
だからアウトプットしている人は、インプットしている。それが見えないだけでしょう。ここで見えないからやってないは、乱暴ですし、見えないから「その人のスキル」だもかなり乱暴ですよね。
アウトプットするとインプットできる
面白いのは、アウトプットすると、学びになる。まさにインプットができるんですね。
よって、インプットをしてアウトプットをするぞ!という意気込みは多分多くは失敗します。というか僕はできないかもです。
よって、「アウトプットを何か小さいことをやる」ことで、まずやれますよね?となると、次がまた見えるかつインプットができると。これがアウトプットベースのインプット術(笑)となり、ややこしいですが、そっちのほうが多分楽なんじゃないか説です。
それくらい、アウトプットで行動をしている前提というか。
イメージでは、忙しいとか動いている人のほうが「これやっといて」で秒でやってくれると。忙しくない人が駄目ではないですが「これやっといて」だと、その人が歩き始めて走り始めるのを見る必要がある。という意味で、専門家とかやっている人は強いんじゃないかということも言えます。これはかなり真実じゃないかなと。
だからめちゃくちゃレベルが高いことをやろうとか、ものすごいことを社会が驚くことをやらなくてもいいんですよね。ただ手を抜くとかそういうことではない。その匙加減が伝わらないか、学べないとなかなかですが、これもやっていって学ぶしかないのかなと。
というわけで、ちょっとだけ動くとその前提ができるので楽です。泳ぎ続ける方が実は止まっているより楽みたいな(楽しいとかもありますよね)感じかもしれません。
まとめ
簡単にまとめると、
・アウトプットを小さくしてみる
・その小さいアウトプットでインプットして学べる
・それを繰り返すことでやり続けられる
という気がしています。
逆に失敗するというか止まりやすいのは、
・インプットをしっかりやろうとか、大きく構えすぎて動けない
・アウトプット小さいものを過小評価しがち、見栄をはるなど。
・1mmでも失敗がある、うまくいかないことを恐れる完璧主義である場合
・バーンアウトで、やりきって回復せず逃避へ
みたいな感じです。
こう書くと頭では難しいのですが、実際はちょっと散歩へ行ってくる。または顔を洗うくらいの感じでさくっとやる。そういうイメージができているかどうかと、そのイメージを地でやる感じですかね。