僕の感覚ということですが、例えばコミュニケーションや情報の伝え方みたいなのがあります。
基本的な型があったかもしれない
実はこれは2009年頃に起業した頃から大きく変わっておらず、そういう意味では型としては大きく変わってないです。細かい枝葉的なことは、それこそAIを使う、ネットを使う、SNSを使う、伝え方を変えるとかはありますが、それは時代に合ったものであって、基本は変わらないです。
という意味ではブログがかなり古典的なツールというか、伝え方かもしれませんね。一方で、SNSの文字、または動画の便利さもありますが、難しさもあり、伝わっているのも、深く理解するとなると、抽象化が求められるので、どれが最適化は都度変わるのだろうと考えています。
僕の伝え方の感覚は「おすそ分け」であり、「シェア」です。共有ということですけど、拡散というよりも、こんなのあったのだけどどうですか?
ということをやっている「だけ」です。本当にそれだけなので、あとは相手にとってどこまで必要か、期待値があるかだけの調整です。こちらも、コミュニケーションで調整できるわけですね。
おすそ分けでご褒美がもらえる感覚
ですので、日々の活動はこの面白いネタがないか、これは使えそうか、あの人は喜ぶかもな。これはどうだろうかということをやっている「だけ」となります。
傍目からみて、大変そうか面白そうかはおいておいて、ただ見たものが全部受けるわけでも採用されるわけでもない。むしろ、多くは「捨てられる」というか、「違う」という世界なので、そっちは見なくていい。むしろ、「これいいね」というものを見ていく感覚になるわけです。
あなたが同じようなことをすれば多分似たような感覚になると思うのでスキルとかってことでなく、慣れれば誰でも出来ると思っています。
そうやってこれどうかなということを永遠にやっている「だけ」なので、多分そういう「だけ」がそろそろイラっとする人もいるはずなので(笑)このあたりで辞めますが、だけでなく普通になると簡単と感じるんですよね。でもそうではないかもしれないですしね。
おすそ分けをするとご褒美がもらえる。それは仕事での報酬でもいいし、評価でもいいし。なんでもいいのですが、感謝してもらえるでもいい。そういうことが起きてきます。くどいですが、全部ではなく、たまにですよね。活動量におけるご褒美授与率(笑)みたいな測ってませんが、低いんじゃないかと。
でも、ご褒美目的というよりも、順序はおすそ分けをしたい、またはどうかなとすすめたいのがあって、その上でたまたまご褒美になる。というのが大事です。当然、仕事的だとやや異なりますが、少なくとも譲れないのは「これは喜ばれそうか」というところです。
それが見えない状況ならやらなければいいので、また見えてもずれることもあります。それはもうしょうがないです。昔はもっとツンツン(笑)していた気がしますが、流石に明らめたというか、自分がコントロール出来る範囲を超えているわけですからね。
こんなことやっていて意味あるのかな?
たまにそういうことを思う人は多分健全です(笑)全く思わない人はまた問題かもしれない(笑)それくらい人ってメンタル弱いですからね。鋼メンタルなんていないとおもっていて、ただ適宜鍛えるか回復しているだけかなと。
意味があるとは、自分の感覚のことです。人とは違えばより信じられないですよね。ただ、意味って自分が見出すので、それが受けるかどうかは出してみたり他人に伝えないと分からないんですよ。
という意味で世界は、アウトプットするまでは何も分からないんですよね。出してみて初めてそこから反応が見える。ないということが分かることがおおいですが(笑)
アウトプットを通じてそれをやっていくと、いつか慣れます。慣れない人もいるのでそこはやり方とかペースとか色々なんでしょうが、このあたりが面白いですよね。
アウトプットを見た人をコントロールするわけではないですから、自分のメッセージやアウトプットを伝えていくことはめちゃくちゃ大事なんですよね。当然これも全部良いとかって反応でもない。賛否があるのが普通かもしれない。それだけですよね。
クリエイターという人しかやっていけない行為でもなくて、単にそういう感じたことを出す、ここでは僕ならおすそ分けする感覚がもしかしてクリエイティブそのものかもしれないという気付きでした。
という意味では、ココナラというのは最高のクリエイティブプラットフォームかもしれませんね。