ある発想ネタの記事を読んでいたんですね。切り口大事だってことでその通りだなと。一方でその記事では取り扱ってないところで、「じゃあなんで切り口に目がいかないのか?」ということが気になりました。
アイデア出しに慣れてないと「アイデア」を出すを見がち
例えば、新しいゲームアプリを考えてください、考えましょう。というお題があるとします。
この時、おそらくアイデアを出すことに慣れてない人はいきなり考えるはずです。
お題:「新しいゲームアプリを考える」
アイデア:「なんか面白そうなアプリ、絶対やってみたくなるやつ」
お世辞にもこれはアイデアではないので、でも、こういうのが出てくると。これはよくわかります。
頑張っても一発芸?瞬間芸みたいになっていて、その場で当意即妙的に答えないといけないとかって感じですかね。
アイデア:「死にゲーみたいなのが好きなので、逆に生きゲーみたいなのできないかな」
これが良いアイデアかはおいておいて、「何か面白そう」という具体性のない最初のアイデアはより全然良いのかなと。
一方でこのアイデアが良い点は「この人の考え」が入っているからなんですよね。「死にゲーが好き」(死にゲーとは、すぐプレイヤーが死んでしまうような、つまり難易度が高いゲームをここでは指します)という体験や経験を元にしているからです。
ただ、「生きゲー」というのは、死なない、難易度が低いだけなら普通ですから、そこの切り口をもっと磨く必要があると。
そういう意味で、普通にやると「アイデア」を「当意即妙」で「うまいこと言う」みたいな、お笑い芸人のトークが面白いみたいな、そういうプロの技を瞬時にできるみたいな。それを「センス(先天的なもの)」として扱ってしまうのはものすごくわかります。魔法とか手品とかに見えますからね。
なんですけどそうではないですよというわけですね。
そこに思考はあるかどうか?
仮説ですが、そもそもゲームアイデアと言われて瞬時にアイデアが出せる人はプロか、相当普段から考えている人かなと。ゲームについて考えるということでもいいのですが、別に違う領域(例えば化粧品についてでも)を考えている人なら、ある程度出せるはずです。
そこに共通するのは?僕は思考かなと思います。
先回も示した通りで「思考量」があるかどうか。
思考量とは、気づくこと、考えること、視点を得ること、学びがあることなどです。映画を見て「あーおもしろかった」といっても面白さは伝わらないので、「ここがよかった、あのセリフがいい、状況から自分のことを思い出した・・・」とかって言いますよね。こういう気付きが僕は思考だと思っています。
もっといえば「頭が動いている、脳が回っている」感覚です。感覚的ですが、そうすると言葉でもいいし、何か考えが出てくる。「こうだ、ああだ」と主張というよりも、自然に出てくる、自然に脳が動く、そういう感じですかね。これはもう感覚でしかない。なので、結果として見えるのは、考えがこれです、とかそういう説明、別にビジュアルでもいいのですが伝えられるかってことになる。(伝え方が上手いとかはここではおいておきます)
先でいえば、「ゲームアイデア」を考えてと言われて「こんなゲームアイデア」というと。それはいいのですが、実際には、
やりがち:お題→アイデア
あるべき:お題→思考→アイデア
なのかなと。
つまり、お題に対して反射でアイデアを出すのは否定しないし、思いつきってきっかけでは大事だし。コミュニケーションも雑談でもあるなあと。でも、それって「浅い」のですね。浅いから駄目でなく、深いアイデアを求めるならですよね。一応ここでは便宜的に深いアイデア=質が高いアイデアとしてます。
思考とは、切り口です、気付いたことです。
だから、先の「死にゲーが好きだから」というのは、一つの切り口になり得るかなと思っていて、なんでそれが面白いのか、どういうゲームなのか。そうやって考えると「思考」になるんですね。
ってことはさんざん書いているので、今回はなんでそこの思考に目がいかないのか?ってことです。
普段から考えようと当たり前の話になってしまいますが
元も子もないのですが、普段から考えないといけないというか。それだけなんですよね。強制でもなくて。楽しいとか面白いとかがあると。僕は好きでやってるだけなので。
例えばですが、
・普段から考えているなら、Aってことが起きたならBなんて断定はできない。Bかもしれない、Cかもしれない。
・いや、実は知らない前提Dがあるかもしれない。
・現状ではEくらいしかいえないなあ。わからないな
って感じで生きています。僕は。
なので、正解がないのが普通だし、正解のように見えたらそれは「誰かの作為」(例えば僕の主張も意見なので、正しいってことはないので、もう検証してもらうしかないですよね・・・、嘘をつこうとはしてないですよ(笑))かもしれないと。
あとは、
・正解はなくても、正解とか正しいが好きな人は結構いる(迷いたくない、不安があるのの反動かなと)
・話も言葉も、皆得意なわけではない。考えがあっても述べられない人もいる
なども入れると、結構反射でオラオラできるなんて稀なんですよね。ありえるのは、相当訓練してかつやり続けていてそれでなおというところですかね。ほぼいないかもしれないくらいで。
それで、そうやって普段から考える癖みたいなのがあれば、
「アイデア」ということを考える時でも「あれなんで、死にゲーなんだろう」って考えて、そこで問いを立て直せる。切り口だけでなく、メタというか、思考に対してツッコミできる。冷静に振り返られる。違う観点で入れられる。
それこそ「生きゲーってなんだよ、普通生きるよね?」みたいなところで「あ、ならば、難易度でなく、放置すると死ぬので、回復し続けるゲームとかはどうだろうか」みたいになっていくと、ありそうですけど、面白いかどうかはおいておいて。
そういう普段の思考が出てくるのではないかって僕は考えてます。
普段から切り口とか思考とかそれらを実践するには?
なので、対策としては、これもそのままですが、
・普段から考えましょう
・正解がないところでもこれかなーといってやってみましょう
・人の考えとか、正解がないもの(のほうが多いはずですが)に触れてみましょう
みたいな感じですよね。考えてない人はいないと思うんですが(笑)それを意識したり、発言したり実践する機会を作る方が大事かなと。SNSとかまさにそうですよね。ただ人を攻撃するとかだとあれなので、うまく使いたいですよね・・・。
これも正解とかこれをやるといいとかっていうのも、意見やネタに過ぎないんですよね。具体例を示すとそれが正解みたいなのが怖いですね(笑)
ただ、「解釈を遊ぶとか、考えを楽しむ」みたいなのがないと、苦行ですよね。我慢というか。「あー興味考えないといけない」なんて僕はやってませんよ(笑)楽しいから、好きだからやっている。少なくとも僕は我慢はなくて、忍耐くらいはあれど(あーこれ掘っていくと面白そうだぞくらいのやつ)。
例えば今回も、疑問に思ったことをこうかなということで書いている。考えているわけです。それが役に立つ人がいればいいなくらいです。実際は僕が頭の整理ができて、より深まるので、僕がまず役立っているんですけどね。受けがいいならまた擦るし、駄目なら違うかもと。ただ受けが悪くてもこれは良いなと思えば保持するし、そこはかなり勝手にやってます。コミュニケーションだと、自分の伝え方でなく、相手がわかるようにリソース割かないとって感じですけどね。
遊ぶとか、面白がる、楽しい、好きっていうのはそういう意味では宝ですよね。ここで、考えるのが楽しいとかって人がいれば、アイデアを出すとか企画とかは向いているはずです。ただ、改善するのが楽しいとかだと少し違うので、新規性があるものを好むかもありそうです。当然それは慣れもあるし、改善も新規も好きとかもあるし、これも楽しめるかどうかだけなんですよね。
で、惜しむらくはということで、小学校で読書感想文を書かせられて国語が嫌いににあるように、アイデアを求められて出せないからアイデアが苦手となるってなんか嫌だなあと。そこ僕は求めてない世界観だし社会なので、そこって多分避けられることはできるかなと。
今回のような考えがあれば、「あーアイデアだけでなく、その手前で考えるとか、考えることを入れるとちがうのだな」と思ってもらえれば、多分何か変化は出せるんじゃないかなと。当然聴いてすぐこれが実践できるほど甘くはないんですが、ないよりマシではないかと。言語や可視化されることで共通の考える土台が出来るとなんか嬉しい、ってのに近いんですけどね。
今回はこんな感じで。考えたくない人とか、それは苦手すぎるって人は無理してやらないほうがいいです。ただそういうのをやりたい人はぜひ、日常から考えるをやっていくと、いいんじゃないかって話にもなりますね。
このあたりもまた書いてみたいと思います。アイデアを楽しめる社会ってところには通じそうですしね(笑)
タイトルを回収が最後なのでよくないですが、
「反射」になりがちなのって、そのまま反射でやりがちってことだからですね。
「大丈夫ですか?」「大丈夫です」の間に、「あー今日ちょっと朝嫌なことあったから駄目だけど」みたいなのをちゃんと入れるかって感じに近い。伝わりますかね?言うかどうかはおいておいて。言ったら「大丈夫です」ってことは立ち直ってるし、「大丈夫です」といっても実は「引きずっててちょっと」ってなる(笑)
このあたりを、反射でなく、全部考えて処理だと死ねますが、一部でも一個でもいいので考えるといいんじゃないかってところです。これは多分楽ではないんでしょ。反射でやったほうが楽だからそれでやろうとする。けど、反射って思考飛ばしているので、思考して返すとは別かなと。直観と反射は似ていますが、直観は考えも総合的に入ったものかなと。大丈夫ですか?大丈夫ですが反射なら、直観なら「大丈夫かもしれないです」とかになるというか。まあこのあたりは気が向いたら書いてみます。
少なくとも、
アイデアを反射で出す:楽ちん、スピードはあるが浅くなる
アイデアを思考で出す:疲れる、時間はかかるが深くなる
という感じですね。
ただ、今回もですが、思考とか切り口とか、視点がないと、同じところを反射で「死にゲー、生きゲー、難易度ゲー」みたいなことをずっといっても、深まらないってことです。それは切り口が一緒だからってことです。
思いつきの反射を否定はしないのですが、それだけでは深まらないよねというところになります。
思考をしていれば自然、おのずからな感じですが、このあたりは別に哲学しようとかってことではないけど、洞察とか、何か物事を見るという意味ではやはり必須になってくるかなと。
一朝一夕でできないので、踏ん張っていくしかないところですかね、やはり。
疲れる思考はメリットがないのでなく、楽しいかどうかが大事ですね。僕はた楽しいですよ。人によってはやりたくないものでしょう。
そして、そういう意味では、慣れてない人は、楽をしたがるし、すぐ結果が欲しい、だから、反射で出すのかなと。そこに思考を入れてしっかり考えるとなると、結構選ぶというか。テーマでもいいし、時間を割きたいのか、それを好きか楽しめるか。ってなってくので、ぱっと反射で選べないのかなと。となると、勝手に反射でできたもので処理しちゃうと。
なので、人間の機能っぽいんですよ。感覚というか、処理しちゃうのは。と考えていくと、素朴に野良?だとみんな反射かもしれないので、そこに思考というところで一段階入れられるか、本当に些細なことでいいのでツッコミを入れられるか。結局これも、不満からアイデア出しとか、違和感発想とかも同じ事を違うように言ってるだけで、一緒のことなんですけどね。