AI活用で差をつける創造力があるとするならば?

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ビジネス・マーケティング
AIとアイデア出しのネタを何度か書いていますが、今回もその話です。

今回は、AIで創発する、つまりAIそのままアイデアではなくて、どうアレンジできるかという視点です。

そのままAI出力は多分全部一緒

AIを活用したアイデア出しをしていますが、そこで思ったのは「これ全部一緒になるな」ということです。具体的には条件やテーマなどを入れてそれを貼り付ける。AIの出力は当然似てきます。

AI活用という意味では本来はそこで「じゃあその一回目のラリー、応答を踏まえて次の一手を人間が打ち込む」前提があるかと思います。そこを前提としているのかどうかは正直分かっていません。僕は前提だと思っていますが、どうも「AI活用」とは、ここで「AIの出力」をそのまま活用するきらいがあるのではないか?と思っています。

ここにおいて駄目ではないが、合理的にはほぼ一緒になると。よって、AIをどんなに使っても同じになるというパラドックスになるというか。違いは人間側の設定や創発です。つまりやりとりで「あーこういうのあったよね」と入れられるか。そこで「こういうので考えてみて」と言えるか。それだけです。

そこがなければ、全て一緒になるというのが僕の考えです。微差はあれど、本質的な違いはない。いわゆる切り口レベルで同様になるという感じです。

細かくいえば、文字の配置が違うとかっていうキャッチコピーのアイデアがあるとしますよね。ABCがBCAとか。それって、それが「かなり面白い」ものならありですが、意味を満たさないのなら駄目ですし、あとそれも「切り口」としてやり尽くされてそうという意味合いです。

逆にいえば、そういうパターンだけを並べるならAIが有利ですからそういうのは使ったほうがいいとすら思うので、ここ道具や手段なのでうまく使いたいですよね。

同じになったAIアイデアに人間があとはどう振る舞えるか

そうです。全部同じになるので、スピードとか価格とか、量みたいな話になる。5日間で10アイデアで1万円というのがあったらい、1日で100アイデアで、1000円でいいと。AIだから。つまり、5倍、10倍、10倍なので、500倍違うと(笑)

そういう世界になると、量産されたただし「似たような」アイデアがでてくるしそこでの勝負となる。これはまあ良くないでしょう。1日が1時間になり、100が1000アイデアになり、100円になるかもしれない。1時間で1000アイデアだして100円ってまあ、しんどいですよね。そうなるかはいおておいて。

そういう世界でのアイデアの質があるとすれば、上のように速い、量が多い、安いです。でもそういうものだっけ?またはそもそもそれはなんだっけ?となったほうがいいというか。こういう世界はまたあるので、それは別として。

ここで、量産から逃れるには、人間が学んで、つまり体験して、ちゃんと休んで、ちゃんと「考えて」、つまり「思考量」を持ってして投下する。思考量とは、気付きの量といっていい。気づきの深さもあるんでしょうが、そこは一旦省くとして。定量化するならそれくらいなので。

人によって、喫茶店に行って気づくことがあるし、そうでない人もいる。散歩していて思わぬ犬に遭遇することもある、あじさいも咲いている、気づく気づかないかはかなり人によって違う。ある1日の過ごし方はかなり人によって違う。抽象化せず具体化して経験を得る、体験をするということがめちゃくちゃ大事になってくる。これが僕が考える「豊かさ」なのですが、AIによって浮いた時間が「豊かさ」にいけるかというと、かなり怪しい気がしています。

なぜか?犯罪とか悪事がやりやすいのでずる賢い小賢しい人はそっちにいくからと、あと出し抜こうとする人もいるので、そうすると謎のノウハウが出回り、上のように量産系になるんでしょうね。って世界の延長でいえば、1日8時間が4時間で終わるけど、残り4時間をさらに効率よくするとかになるんですよね。はい、これが逃れられないからAIも効率化のために使われてしまうというわけなんですね。

多分AIに転用や概念を飛ばすことは難しい

紅茶だから「麦茶」とか「珈琲」とかくらいは出せても、多分「紅茶」から、「恋愛がうまくいったあの紅茶屋さんの香り」とかは無理なんですよね。身体で人間のパターンを全部洗い出してやれば「紅茶」だと「恋愛」もありえるとかって学べばありえますが、ちょっと怖いのと、コストが掛かりすぎて無理だろうと。

転用って面白いんですよね。人間らしいというか。だから間違えるし、誤るというか。そこのおもしろさ、紅茶からどこまで飛べるか。そこは多分AIには難しいのと、やらせても大変なので、人間がやりましょうと。

逆に言えば、人間は豊かさもですが、時間の確保ゆったりするなどもですが、こういう転用とからしさなものをどんどんやると。アナログな、つまり身体的なことをどんどんやると。そういうことが良いのかなと考えています。

AI出力で乗り切ったは美談でもなんでもなく、短所カバーという意味では全然ありです。ですが、それ故に豊かさとか、思考量自体を減らしてしまうと、多分それって人がやることがなくなって、呆けてしまうのではないかと。当然呆けないし、楽しくなったよというのがあればいいですが、まだイメージできないところです。

少なくとも量産アイデアに巻き込まれれば人間が疲弊するし、悪事はしたくないのでそれも豊かではないですよね。そして思考がそもそも古典的趣味になるかもしれない「可能性」は捨てないしそうなるかもしれませんが、どうなるかは正直わかりません。

ですが、シンプルにAIに任せてうまくいくなんて楽観的なことってどうなのかは分からないので、しっかりと使ってこの眼でしっかり見ていきたいなあというところでしょうか。
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