アウトプット量の10倍をインプットする

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学び
それができるかはおいておいて、実際にアウトプットすることができる状態とは、ある程度の密度、濃さがいるのかなと。

そう考えると、インプット自体は量が全てとは思わないですがある程度の密度、濃さがないと、薄いなら10倍くらい、濃いなら3倍とか(なんかめんつゆみたいで面白いですね(笑))そういう感覚があります。

だからといって、日々のインプット量を「量」だけ増やしたらアウトプットに転化できるかは結構疑問です。ここが言語化できてないか、しづらいところですが、何かひねり出してみます(笑)

量を見たら量出るわけではない

毎日新聞1紙を読んでる人が、もう1紙追加して、2紙としたとします。2倍になるインプットでアウトプットが2倍になりそうか?多分NOだと思います。

これって多分ですが、逓減というか、次第に時間が経つと効き目が減る。つまり、インプット量を増やしてもアウトプット(ここでは学びとしたほうが分かりやすいですかね)が増えるわけではない。むしろ減る。

だから最初は1紙でオラオラアウトプットがあったのも知らなかった、未知が多いからであったと。それが学んでいくと「それは概ね知っている」ことが多くなり、新鮮さがなくなる。学びがなくなる。だから、さらに深い問いかけであったり、違う視点が必要になる。というのがなければ学びにならないという感じですかね。

アウトプット自体の機会の有無があるかどうか

人に話す、書いてみる、発表する。そういう手段としてまとめてしまうと、特異なこと、特殊なことはあまりない気がします。その上で、そういう機会自体があるか。作れているか。ないなら作るしかない。自分でやれる範囲でということですね。

アウトプットしたいことや学習したことがあるのに、それを出せないというのはストレスですし、学習も定着しないのかなと感じています。

質にこだわる状態や状況やメタ的といえるので見直しのチャンスかも

たまにインプットの質とか、アウトプットの質なんて言葉が見られるのですがこの質もですが(量も)何を基準とするか、ものさしはバラバラですよね。比較して意味があるのは、自分比くらいではないかと。人と比べてどうかはかなり筋が悪いというか。自分を動機付けるとかって意味ではいいですが、AさんみたいになりたいといってAさんになれることはないという意味ですね。

だからそこから切り出してAさんがやっていることでも切り出して学べることをやる。それが真似るとか、学ぶとか、そういうことなんだと思ったりします。

そこで、質がーという感じが出てきて、それが自分の内省としてあるという健全な「質」(笑)というのがある場合は、メタっぽいなと。つまり、何かしら学びとしてインプット→アウトプットの中で、違和感や違いを感じたんじゃないですか?と。身体性みたいなものです。何かあるんじゃないかと。

それは大事にしたほうがいいので、学び方を見直したりやり方を変えるってのは手です。僕は意識的に変えたりしてます。そういうのはフラグとか、感覚を優先しています。当然それだけではないですが、メタチャンス(メタ的に見直すチャンス)は今回で言えば一番大事かもしれません。

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