ども~、皆さん元気い~~!
「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。
今日、“近江八幡”に行ってきました。うちからは車で約45分。風情ある町並みが残る“水郷の町”です。
1週間ほど前、NHK「ブラタモリ」で“近江八幡”がなぜ現在のような町になったかをやっていました。
ポイントをちょっとだけ紹介します。
本能寺の変で自害した信長の後、秀吉は安土からここ近江八幡に城を移し、この地を“最先端の商業都市”にしようとしました。信長の政策のもとに集まった商人たちはやむなく、近江八幡に引越さざるを得ませんでした。
子のない秀吉は甥の秀次に後を託そうとしました。そのつもりで秀次は八幡山城城主となります。
ところが諦めていた秀吉になんと、淀君との間に子が生まれました。秀頼です。そうなると秀吉はかわいくてしょうがない我が子のために、策略を巡らして、秀次に切腹をさせてしまいます。そして八幡山城は、わずか10年で廃城となりました。
それほど離れてはいないとはいえ、折角、安土城下から八幡山城下に引越してきた商人たちは、またしても商売の場を失うことになりました。
落胆した商人たちは、将軍(おかみ)のほうばかり見ていてはダメだと悟ります。
そして、商人たちは新たな行動に出ました。
本店を近江の国(滋賀県)に置き、全国に行商をして歩くようになります。そして各地に支店を持つという経営スタイルを始めたのです。
それが、有名な「三方よし」の近江商人の“商いの精神”へとつながったそうです。
「三方よし」は、
・売り手に良し
・買い手に良し
・世間に良し
つまり、「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方ですが、こんな時代から芽生えていたとは驚きです。
現在のSDGsと同じ考えを始めていたとは!
滋賀県に住む者としては、ちょっと誇らしいです。
さてさて、何をしに近江八幡に行ったか?
数年前、近江八幡界隈を散策中にたまたま立ち寄った後、何度か行った佃煮屋さんに行きました。琵琶湖産の湖魚を使う佃煮屋さん織源商店さんです。
みんな美味しいけれど、特に好きだったのは、お母さんが作る“えび豆”です。
既に高齢でしたが、お店に出しているえび豆や小鮎などの佃煮は、全部そのお母さんが煮ていました。
滋賀県内なら百貨店やスーパーにも、“えび豆”は売っていますが、お母さんが作るのとはぜんぜん違います。
しばらく行ってなかったので、お店の名前を忘れてしまっていましたが、場所は正確に覚えていました。
「お店、やってるかな?」と少し不安になりながらお店に着くと、シャッターが半開き。
「みぞれ混じりのこの冬、最高に寒い日だし、もう締めるつもりだろうか?」、「お母さん、寝込んでるかも?」と思ってたら、車から降りる時には店内から、あのお母さんがシャッターを開け始めました。
「やってる!お母さんも元気そうだ!」
そして店内に入る。「お母さん、以前の笑顔のまま」。
ところが台上の商品は、以前に比べ品数がぐっと減っていて、肝心の“えび豆”がない!
と、少し落胆気味になってたら、「えび豆は冷蔵庫にあるよ!」とお母さん。
「ああ、あった!」
せっかく久しぶりに訪れたので、おすすめの佃煮を含めて3点買いました。
琵琶湖産のえび豆、はいじゃこ、うろり
「今もお母さん、作ってはるの?」
「そうだよ、でも作ってる時は、店閉めてるんだ」
きっと接客と火を使う調理を同時にするのを、家族が心配してのことだと思う。
「仕事はボケ防止にはいいから…」
「今、お母さん、おいくつでした?」
「85歳」
「うわぁ、達者だなぁ〜、(女性にだけ歳を聞くのは失礼なので)僕は67歳ですわ」
「まだまだ頑張らにゃ、ねえ!」
「お母さんも頑張って!」
「お釣り、ちゃんと渡したね!」
「もらいましたよ、ありがとう!じゃまた」
観光客向けに娘さんがカフェを始めたらしい。娘さん、昼間は仕事で夕方帰ってくるとのこと。今度はもう少し暖かい時に来よう!
えび豆には、「エビのように腰が曲がるまで、まめにくらせますように」との長寿への願いがこめられているらしい。
お母さん、そんなえび豆を自分で作ってるんだから、まだまだ元気。長寿、間違いなし。
すごくお母さんの笑顔に癒されました。
同じ通り沿いにある滋賀県人なら誰もが知る近江銘菓の“和た与”さんにも寄って、定番の“でっち羊羹”と“ういろう餅”を買いました。
和た与さんのでっち羊羹とういろう餅
本格的な冬到来の中、久しぶりに近江八幡に行って、寒さを上回る暖かさをもらって帰ってきました。
夕飯は、もちろんお母さんのえび豆と備蓄米のご飯。それでも十分、至福。
これからも「四柱推命」を活用しながら、皆さんの幸せのお役に立ちたいと思っています。
次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。