もう終わらせたいと何度も思った、それでも生き抜いている理由
父の優しい記憶は、ほんのわずか。幼稚園までの断片だけ。
それでも、その少しの思い出が、子供だったわたしには全てだった。
破天荒で、浮気相手とのデートにも平気でわたしを連れて行った父。
幼稚園にもならないわたしが、喧嘩に負けて帰ってきたかと思えば、相手の家にわたしを連れて行き、「決着をつけろ」と、目の前でまた喧嘩をさせる。
遊んでくれるときだって、まるで陸上選手にでも育てたいみたいに、マラソンや短距離のタイムを計らされてばかり。
そして車が好きだった父は、いつも運転席にわたしを座らせて、ハンドルを握らせていた。(今じゃ考えられないけれど)
でも、当時のわたしは誇らしくて、楽しくて仕方なかった。
(お陰で?今はチームを作るくらいの車好き)
父との接点はほんの少ししかない。祖母に預けられてからは
せいぜい2~3カ月に一度会えるかどうか。
でも、幼いわたしにとって「親に置いて行かれる恐怖」は
常にこころの中にあったから、その短い時間でさえ嬉しくて
胸がいっぱいになった。
このころから、とにかく嫌われないように、嫌われないように
どの人にも、顔色を伺い、気分を害さないように努める癖がついった。
特に親には…
母はわたしを置いて行き、活発なわたしの面倒を見さされた
祖母は、とても大変そうだった。
だからこそ、破天荒な父でも「わたしに向き合ってくれる」という気配が
何より大きくこころに残っていた。
そのせいで、わたしはずっと父に執着してしまったんだと思う。
けれど、その父は不倫相手と再婚し、その人が継母になった瞬間から
変わってしまった。
幼稚園までの優しい記憶はそこで途切れ、父に会うだけで身体が
硬直するほど、怖い存在になってしまった。
それでも――子供にとって親は唯一無二の存在。
だから、ほんのわずかな優しさを必死に探しては、そこに愛を見ようとする。
小さな子供の純粋なこころで、全身で「好き」「見てほしい」と
必死に表現する。
けれど、幼少期にその根っこの部分、愛されている安心感が
満たされなかったら…。
その現実は、わたしの中に「常に愛情を欲しがる人格」をつくった。
じぶんでも「めんどくさい」と思うくらいに。
いつだってこころの中では叫んでいた。
「ねえお母さん、わたしを見て。ねえお父さん、こっちに向いて。」
その声はずっと声にならないまま、大人になっても消えることはなかった。
そして本当に諦められたのは、ずっとずっと後のこと。
随分大人になってから。
どんな親であっても、子供にとってはたったひとりの「親」。
だからこそ、その少しの優しさを拠り所にしてしまう。
わたしもまさにそうだった。
もしあなたも、こころの奥に「言えなかった声」を
抱えたまま生きてきたなら
その気持ちを、無理に変えようとしなくていい
「こうあるべき」なんてないし、「我慢しなきゃ」もない。
わたしは、もがけばもがくほど、苦しかった…辛かった…
とにかく、まずはただその気持ちを受けとめます。
寂しいなら寂しい、悔しいなら悔しい。
そのままの声を出してって思う。
もしも今、少しでも誰かに聴いてほしいと思えたときは
安心してここに寄りかかってください。
わたしはいつだって、あなたのこころの声に耳を澄ませています。