もう終わらせたいと何度も思った、それでも生き抜いている理由。
この期間の記憶は、ほんの少ししか残っていない。
それでも、わたしの中に深く深く染み込んでいる。
ある日、母は突然いなくなった。
生後半年だった妹だけを連れて。
わたしは、残された。言わば、連れて行ってもらえなかった。
そのとき、わたしの中に芽生えていた感情は
「わたしは、母に選ばれなかったんだ」という気持ちだった。
今なら、わかる。
幼い子どもをひとりで連れて行くのも大変なのに
2人連れて行くなんて、きっと無理だったのだと思う。
選ばざるを得なかったとしたら
そのとき乳飲み子だった妹を連れていくのが自然だったのかもしれない。
でも、そんな理屈なんて、当時5歳だったわたしに
理解できるはずもなかった。
ただ、置いていかれたという現実と
「わたしはいらなかった…選ばれなかった…」という感情だけが
小さなこころに深く刻まれてしまった。
父は自営業で、朝早くに家をでたら、夜遅くまで帰ってこない。
わたしは、ずっとひとりで家にいた。
ただただ、ひたすら家にいた。
何をして過ごしていたのか、まったく記憶がない。
ただ、強烈に覚えている、鮮明に思い出せるシチュエーションがある。
「時計の針が一番上で2本そろったら、これを食べなさい」
そう言って、父は毎日おにぎりを2つ置いて出ていった。
今思えば、父ができる “精一杯のやれること” だったんだろうな。
でもあの頃は、それすらわからなかった。
一人の夜の、大雨や雷は、本当に怖かった
テーブルの下にもぐりこんでは、カラダをぎゅっと縮こめて
音が止むのを、ただただじっと待っていた。
不安。恐怖。寂しい。誰かきて!。
でも、誰もいない。
心細さ… 夜の恐怖…
そして「わたしは母に選ばれなかった」という感情。
あの頃の記憶は、たったこれだけしか残っていないけれど
それだけに、強烈に今でも覚えている。
この感覚が、後のわたしの性格や感じ方の “癖” の
ベースになることになる
そして、今になって気づく。
たとえ寂しくても、苦しくても
わたしはずっと、父のことが大好きだった。
あのおにぎりを、安心の印みたいに感じていた。
子どもが親に向ける気持ちって、ほんとうにすごい。
どんな親でも、どんな仕打ちをうけても
子供にとっては、世界中どこを探してもいない親。
子供から親への愛情は、絶対なんです。
何があっても「それでも親が好き」なんです。
この、幼少期の絶対的な気持ちを、知ることができたら…
知って、子育てができたら
わたしの子育ては、もっと違っていたのだろうと思う
この、生育環境で作られていった、わたしの人格で
子育てをしたこと…
どんな子育てになったのか… これは、時系列で話していきます。
わたしの “生きづらさ” の根っこは
こんなふうにして、静かに形成されていきました…
▶︎ Vol.4へつづく
次回は…
母がいなくなって… わたしは、突然祖母の家に連れていかれる
また、わたしだけ、おいていかれた…
父も、わたしを手放した… そう思った。
祖母との生活がはじまる…
父は、2〜3カ月に一度、ほんの1時間だけ会いに来た。
生育環境がどれだけ、人格形成に影響するか
わたしは、沢山学んだ。
学んだからこそ、様々な環境で経験したことが、今は整理できている
絡み合った、紐を綺麗にほどいていけた。