どれも良い人生かもね。

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こんにちは皆様。

脳の記憶は移植で移るらしい、これは米の研究者がアメフラシの実験で確認されたらしい。

とすれば、記憶の転移は脳の移植で出来るって話が現実になってゆく、記憶と簡単に言っても、自分の身長や目の見える力によって、左右される。

それを植え付けた所で余り意味は無いのかも知れない、それでも転移すると良い場合もあるのかな。

嫌な思い出を上書きさせたい場合とか、自殺したいくらい苦しかった場合とかは違う記憶で埋めた方が良いのかなとは思う。

この記憶を植え付けるって作業が、一部の神経細胞だけで為されるのなら、上書きと云うよりは記憶を足している筈。

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もし、脳全体の移植だったなら、きっとそれは他の人になるという話で、それが倫理的に良いのか解らない。

昔、漫画で若さを求める女が、娘と自分の脳を入れ替えるって話が有った。

今ならそれも有るのかも知れないけど、脳を入れ替えるって結局自分で無い誰かに成るって話なんだよね。

人生長く生きていると、死にたいほどつらい時期やもういらないって気持ちになる時もある。

だけどそれが有るから、人は楽しい時間や嬉しさを感じるんじゃないのかなと考えて、私だったら人の記憶は嫌だななんて思ってしまった。

悲しさや悔しさや辛さも全部組み合わさって自分が成り立っていて、そのピース一つでも無ければ、私の人生の絵は出来上がらないんだろうな。

今になって見ると、自分の時間をそう思ったりする。

皆さんはどう思いますか?辛さや悲しさが無ければそれも良い人生だし、有ってもそれはそれでいい人生だよね。

いつも、有難う御座います。
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