『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。
ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』
国語の力を上げるのに、何が一番大切でしょうか?
…と書き出して、「この問題提起はオカシイ」と我ながら考えさせられた次第。
なぜなら「大切」なことは1つではなく、複数あるからです。
それはさておき、もう一度冒頭の問いに戻りますが、国語の力を上げるには読書も役立てば音読も役立ち、問題演習も漢字練習も知識の暗記も大切です。
しかし多くのみなさんが、意外と見落としていることがあると常々考えています。
それは、ふだんあれこれ考えて、その結果を言葉で伝える作業です。
小学生と言えど、生活していて心にわだかまりを感じることはよくあります。
舞台はおもに学校です。クラスメートあるいは先生との関係で不満や反発、物足りなさやすれ違いを感じることなど日常茶飯事でしょう。
たとえば先生に注意されたとき。
その場はおとなしくお説教に耳を傾けたものの、自分にだって言いぶんはある。たしかに僕も悪いけど、でも…みたいなやつですね。
「今日学校で先生に叱られちゃった。でも先生の言ってること、7割は正しくて僕も反省したけど、あとの3割は違うんだ。どういうことかと言うとね…」
心のわだかまりを解きほぐすには、だれかに話を聞いてもらうのが一番。
しかも「本当はこうなんだ」とわかってもらうには、現場の状況を知らない聞き手に、事情を言葉でわかりやすく説明する必要があります。
それは話す相手が親御さんであっても変わりません。
考えてみれば、物語文の主人公はほとんど常に何らかのトラブルに直面しており、過去の体験によるトラウマを抱えたケースもざらです。
自分から厄介ごとに巻き込まれに行くなど無意味ですが、学校で集団生活をしていれば、大なり小なりうまく行かないことは出てきますよね。
現実の暮らしで出会った衝突、困難、仲違いなど"ややこしいこと"について、「これこれこういうことなんだ」と言葉で説明してわかってもらう。
こうした経験の積み重ねは、たとえば国語の記述問題などを解く際に、陰で支える大きな力になる気がします。
自分の身にリアルに起きた出来事を説明できなくて、文字でつづられた物語の主人公のトラウマをすいすい説明できるとはとても思えません。
教科書、参考書、塾のテキスト、あるいは本。
これらから学ぶことはもちろん大切ですが、そちらにばかり気を取られ、現実から学ぶことを忘れてしまっては本末転倒ではないでしょうか。