『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。言いにくいワケは、生徒さんは1人1人状況が異なり、一般論のアドバイスがつねに当てはまるとは限らないからです。
ですのでタイトルも「ひとり言」。本コラムの内容に有効性があるかと問われれば、私自身の中学受験や長年の指導で実践を心がけ、結果を出してきた事実を挙げるのみです。』
みなさん、どうしますか?
いや、コラムのタイトルの質問の話です(笑)。
物語文の問1の選択肢問題の答えがイ、続く問2の慣用句問題もイ、ぬき出しの問3を挟んで問4の主人公の気持ちを選ばせる問題がまたイ、記述の問5の次の「適切でない」選択肢を選ぶ問題もイ…。
──うーん、これはさすがにオカシイ。
そう思うでしょうか?
テストの終了間際に解答用紙を見返して、そこで初めてイの連続に気づいたとしましょう。
残りあと1分。解き直しをして確認する時間はもうないとしたら…。
──えーい、どれか1つアにしちゃえ!
もしそう判断したとしたなら、残念ですがあなたは受験向きではないと言わざるを得ません。
なぜでしょうか?
イが4つ並んだのは、あくまでも合理的な判断の結果。
1つずつ真剣に問題に向き合い、1つずつ答えを出した結果なのです。
しかし「イが4つ並ぶのはオカシイ」とする受け止めにこれといった根拠はありません。
変だという印象にすぎないものを、合理的な判断に優先させるのですか?
中学入試の問題はすべて、合理性に裏打ちされた内容です。
まやかしや迷信、当て推量に思い込み、運や偶然、まぐれ当たりなどとはそもそも無縁の世界になります。
イが4つ並ぼうが、ウが3つ並ぼうが、自分が下した判断を重んじる姿勢を固守しましょう。
ただし、通常テスト問題の多くは、あてずっぽうで書かれた答案を排除すべく、同じ記号が連続するような形では作られていません。
イが4つも並んだら、たいていどれか間違っています。
それでも「並ぶのがオカシイ」というそれこそオカシナ理由で、適当に3つ目だけアに変えるといったことは、合理主義の名にかけて金輪際やめましょう。