前回の投稿では、さとりに関心があるけどさとれない、と言う話を書きました。
今回は、その続編として、「ゆるし」を考えます。なんでゆるしか、っていうと、悟るには「執着を手放せ」、そのためには「自分を許せ」と言われるからです。
ゆるし 色々
一口に「ゆるし」と言っても、実は複数の漢字があります。手元にある、角川「新字源」で主だったのを拾うと・・・・
赦す:放免する、刑罰・罪過を許す
許す:聞き入れる、認める、承知する、同意する、あてにする
こう見ると、興味深いですね。「ごめん、やっちゃった、ゆるして」の場合は、「許して」でなく「赦して」ってのが正確なようです。
また、「許す」は認めて受け入れるってことのようです。別に罪でも悪でも無いけど、「僕のわがままを許して」ってのは「認めてOKして」ってことなんですね。
「許せない」って何だろう
上記を踏まえると、「ゆるし」を考える前に、「ゆるせない」を考えてみたいと思います。
罪を犯したものを「赦せない」はまぁいいとして、「お父さん、こんな僕を許せないよね」の「許せない」ってのは、何なんでしょう。漢和辞典の意味をベースに考えれば、「許せない」は以下になるでしょう。
聞き入れられない、認められない、承知できない、同意できない、あてにできない
なるほど。「ワシは認めんぞ!」って感じですかね。考えたら、許嫁(いいなずけ)なんて言いますが、「親が認めた将来の嫁」って感じなんですかね。
で、「許せん」というのは、何らか「こうあるべし」という自分の基準があって、その基準に照らして認め難い・同意し難いということなのでしょう。
許しと執着
で、「自分を許せ」ってのは何なのか考えると、「こんな自分を認めて、承知して、あてにしてやれ」ってことなんでしょうね。
ということは、「今は、自分を許せない」ってのが先にあって、だから「自分を許せ」となりますね。つまり、「自分を許せ」という投げかけが響くってのは、「自分で自分を裁いてNGにしている、自分の持ってる基準へのこだわり(執着)を手放せ」ということに等しいのだろう、と。
「自分を許す」と覚悟する
こんな無職中年でも、自分を許せない瞬間がたくさんあります。
それは、過去の自分に対する物語(俺は昔はこんな凄いこともやった、とか、あの頃はこんな輝いてた、的な)が土台にあって、そこから来る「俺はこれくらいの見栄え・行動・有りさまでなければおかしいだろう」みたいな自画像・自己像みたいなものです。また、「普通、40代も後半にもなれば、これくらいの地位・年収くらいあるもんだ」と言った自分なりに信じてきた「あるべきイメージ」なんかも持ってますし。それらを今の自分に当てると、どう考えても不十分・不足になるんですね。
でも、自分に当てると苦しむだけの物差しは、捨てざるを得ない。どう考えても現状が基準値を満たしてない物差しを毎日当てて、「こんなに足りてない、酷い有りさまだ」などと思い悩んでいては、害多くして益無し。
もはや、良い・悪いとか、カッコいい・カッコ悪いとか言ってる場合じゃなくて。僕の握りしめてたその物差しを捨てないと、今から、僕が前を向いて明朗に行動することができなくなってしまう。
だから、世間様がなんと言おうと、僕が生命力を失わないために、自分で持ってた物差しを自分に当てるのをやめることにしています。良い悪いじゃなく、しようがない。捨てざるを得ない。
誰が見捨てても、僕は僕を見捨てるわけにはいかないですしね。