なんらかの作業の際、説明を受けた後。「わかりますか?」と聞かれ、理解できてないのに「はい、大丈夫です!」と即答する。しかし、その直後、頭の中は「うぁーどうしようー『大丈夫』って言っちゃったー」という後悔で渦巻いている。
そんなことはないですか? 僕はそこそこあります。
「わからなかったら、その場で聞き直せばいいじゃない?」と、周囲の人は思うでしょう。しかし、それができないから苦しいのです。もう一度聞いたとしても、次で理解できる自信が持てない。
これは単に「しっかりと聞いていない」といった姿勢の問題ではなく、説明を聞いても内容が頭の中に入りにくいという、ADHDの障害特性に根ざした切実な問題なのです。
ADHDの人の脳は、情報を一時的に保持して操作する「ワーキングメモリ」の処理が、一般の人たちとは異なっています。一生懸命話を聞いていても、脳内では「何もインプットできていない」という空白の状態に陥りやすいのです。
そんな不確かな状態のまま、とっさに「大丈夫?」と問われると、反射的に「大丈夫です」と言ってしまう。相手が安心したような顔になる一方で、自分の気持ちはどんよりと重くなる。そんな経験を繰り返して、自分を責めてきた人も多いのではないでしょうか。
なぜそうなるのか——ADHD特性としての『わかりにくさ』
僕自身もADHD当事者であり、同時に相談を受けたり支援にまわる、いわゆるピアカウンセリング的な立場にいます。当事者として、そして支援側の視点も持つ立場から、ADHDの人と仕事やコミュニケーションをはかる上で起こりがちな「ズレ」について考えてみたいと思います。
当事者が「大丈夫です」「わかります」と即答してしまう背景には、実は、その場の緊張感やプレッシャーから一刻も早く逃れたいという、脳の切実な防衛本能があります。
もし正直に「わからない」と答えて、もう一度説明をしてもらったとしても、やはり理解できない可能性が高い。何度聞いてもわかるという自信が持てない。これは本人の努力不足ではなく、ADHD特性から来る『わかりにくさ』の問題なのです。
脳科学的には、ADHDの人が新しい情報を処理する際、タスクの要求量と脳活動の効率性の間に「ズレ」が生じていると言われます。説明を一度に処理することが難しく、複数の情報が同時に入ってくると、どれが重要で、どう結びつくのか、判断がつきにくくなる。その結果、理解したつもりでも、実は曖昧なまま物事が進んでしまうのです。
「相手をイライラさせるのが怖い」「自分の無理解を何度も認めるのが苦しい」。そうした複数の緊張が同時に押し寄せてくる中で、反射的に放たれる「大丈夫」という言葉。その瞬間だけは、目の前の圧力から逃れることができたような感覚になります。
しかし、その直後から本当の不安が襲ってきます。「本当に理解できていたのか」「自分にできるのか」という問いが自分の中で渦巻く。そして時間が経ち、作業ができなかったとき、最初の「わかりました」が実は何もわかっていなかったことが露呈してしまう。
相手の信頼が崩れるのも辛いですが、何より自分自身を「なぜあの時、正直に答えなかったのか」と責め、自責の念が深く沈着してしまうことが一番苦しいのだと、僕は思います。
「正直に答えるべき」では済まない理由
ここまで読んで「だからこそ、その場で正直に答えるべきだ」と思う人もいるかもしれません。でも、それができれば苦労はしません。
反射的な「大丈夫です」という返答は、いわば脳の「自動防御メカニズム」です。意志力や努力だけで簡単に変えられるものではありません。これはADHD特性が生み出す、必然的な反応なのです。
だから、まずは自分を責めるのをやめてみませんか。あなたが不誠実だから嘘をついたのではなく、あなたの脳が必死に自分を守ろうとした結果なのだから。
では、当事者にできることは何でしょうか。 「すぐにわかる」ようになるのは難しい。でも、「大丈夫です」と答えてしまうその反応の直前に、ほんの少しだけ別の言葉を挟む「余地」を作ることなら、練習次第でできるかもしれません。
当事者ができる「やり過ごす」ための小さな工夫
反応そのものを消すことはできません。ですが、その反応が飛び出す前に、ひと呼吸おいて、別の言葉を投げるように心がけてみる。
こうした対応策は、障害雇用枠で働いて特性を「自己開示(オープン)」しているか、あるいは「一般雇用(クローズ)」で働いているかによっても異なりますが、両方のケースに共通して有効な工夫があります。
すべての当事者に有効:言葉のバリエーションを自分の中に用意しておく
「大丈夫です」の代わりに、以下のようなフレーズを「お守り」として持っておくのです。
「自分なりに一度確認してから、改めてお伝えします」
「まずは一度やってみて、困ったことがあればその時に報告します」
「実際にやってみないと確認できない部分があるので、後で改めてお伝えします」
「今の段階では、はっきりとは把握できていないかもしれません」
これらは完璧な解決策ではありませんし、いつも使えるわけでもないでしょう。でも、何度か繰り返すうちに、その「別の言葉」が、反射的な返答と肩を並べて選べるようになっていきます。
障害を公表している(オープンの)場合
周囲の社員や仲間に、あらかじめADHDの特性を伝えておく「根回し」が有効です。自分は「いい加減に話を聞いているわけではない」ということを伝えておくのです。
「ADHDの特性で、一度に全部を理解するのが難しいことがあります。後でわからなくなることがあるので、その時は相談させてください」
自分の反応パターンを理解し、それを言語化して共有する。完全に解決しなくても、背景を共有すること自体が、周囲との関係性を変えてくれます。
障害を公表していない(クローズの)場合
キャリアのリスクなどを考え、無理に開示する必要はありません。代わりに、用意した「別の言葉」を意識的に使い、説明を受けた後は必ず自分で確認する習慣を「慎重な仕事のスタイル」として定着させましょう。
「確認してから返答します」という言い方は、相手に「この人は丁寧に確認する人だ」というポジティブな印象を与えることもあります。その繰り返しの中で、相手もまた「この人には確認の時間が必要なんだ」と学習していきます。完全な解決には至らなくても、少しずつ信頼と理解が積み重なる余地は作れます。
『わかりにくさ』を前提に、やり過ごしていく
当事者ができることは、そのくらいかもしれません。反応を完全に変えることを目指すのではなく、その反応を前提にしながら、小さな工夫によって、後のダメージを少しでも減らしていくこと。
簡単ではありません。僕もいまだに、やってしまうことがあります。 でも、あの場面で「確認してから返答します」という言葉が自分の中に用意されていることで、その言葉を発することができました。
すべてではありません。でも、何度かに一度でもできたことで、その後に来る不安と後悔を、少しだけ減らすことができました。
解決しなくてもいい。難しいかもしれないけれど、なんとかやり過ごしていく方法はある。僕もそうして、少しずつ乗り越えてきました。
一歩進んで、また二歩下がってしまうような毎日でも、その「少しずつ」の歩みを止めないこと。 それで十分なのだと、僕は思います。