香まりあ~幼少期から社会人になるまでのお話①

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コラム
こんにちは、香まりあです。
今日は、私がどのようにして育ってきたのか
簡単に書かせていただこうと思います。
幼稚園の頃
私の家は父の仕事の都合上、引っ越しが多く
幼稚園も二か所行きました。
どの幼稚園でも先生たちはとても優しくて
おっとりしていて周りとあまり溶け込めないでいる私の遊び相手は
たいてい先生たちでした。
懐かしいです。
どんぐり拾って、職員室の窓辺に並べてた頃。
先生が喜んでくれると心から信じていました…。
よく私の相手をしてくれたなぁっと関心しちゃいます(笑)。
周りの子たちに馴染めず、誰かの笑い声に敏感に反応して。
今思えば、HSPの症状だよなぁってわかるんですけどね。
物心ついた時から、ひどい頭痛持ちで。
幼稚園の時に行った病院の先生からは「ストレス」だろうと言われました。
その頭痛とそののちずっと付き合っていくなんて。
小学校
そんな私もなんとか無事に小学校へ。
小学校でも私のマイペースなおっとり具合は変わらず。
それで友達は少しずつできていき、外でも遊べるようになっていきます。
ただ、私は長い時間日光の下で遊ぶと、暑さとかで頭が割れそうになるくらいのひどい頭痛になる体質で。
友達と鬼ごっこなどをしていても、すぐに頭痛になって長くは遊べず。
「香ちゃんすぐ頭痛いっていう~!!」って睨まれたものです。
子どもって怖いですよね…(笑)。
そんな言葉に毎回傷つき、家でこっそり泣いたりしてました。
一人っ子で、家では私に強く言うような人があまりいなかったから、外で友達から言われるちょっとした言葉にも、敏感に反応して、勝手に傷ついておりました。
小学校の2年生の頃はいじめにもあっていました。
ガタイの大きな同学年の女の子から、召使みたいな扱いをうけたりして。
結局は、クラスの正義の味方みたいな女の子が助けてくれたんですよね。
かっこよかったなぁ。
いじめっ子だった子のほうが、そのあと一人ぼっちになってしまいかわいそうなことに。
おバカ?な私はそれが今度はかわいそうに感じて時々声をかけてました(笑)。
でもその頃の担任の先生は本当に立派な人で、カリスマ教師でしたね。
今でも覚えているのは、先生のお話の中の一つですが
「みんなが大人になったら、たくさんの大人の人が、いろんな神様の話をするかもしれない。そのことで、迷うこともあると思う。でも、迷ったときは自分の中の声を信じなさい。みんなの中には、一人一人に神様が住んでいて、たまにふっと浮かんだりした答えは神さまが教えてくれてるんだよ。だから、自分の中の神様を信じているといいよ。」みたいなお話しをしてくださいました。
大人になって、病気になって、
色々な宗教とも出会いましたが、今、どこにも属していないのはその言葉があったからかなと思います。
ちなみに、このころにはすでに文章を書くことが大好きになっていて、作文の時間が私の一番の楽しみになっていました。
夏休みの宿題も、読書感想文の宿題は初日に終わってしまうタイプでしたね。
他の宿題は…ぎりぎりまで終わらないタイプでした(笑)。
小学校3年生も終わろうというときに、
鹿児島の小学校から福岡の小学校へ転校しました。
そこで私は、前の小学校の先生たちがいかに優しく、甘く接してくれていたかを思い知りました。
私は、給食を食べるのがとても遅いし、みんなみたいにたくさんは食べれない体質でした。
それでも、幼稚園の先生も小学校の先生も何も言わないで優しく見守っていてくれました。
だけど、私が転校した福岡の小学校の新しい担任の先生は、まだ先生になりたての人でしたが、怖かった…
給食が遅いと、昼休みになろうが、そのあとの掃除の時間になろうが、私が食べ終わるまで私の前に仁王立ちして睨んできました。
「なんで食べられないの?」とイライラされて。
悲しくて泣きながら食べたのを忘れられません。
今思えば、その先生もなりたてで、一生懸命だったんだと思います。
自分が人より遅い子なんだと自覚したのもそのころでしたね。
やっとかよって感じですが(笑)。
小学校4年生になると、先生が変わったので安心していました。
が…
今度は生徒たちによる先生いじめが始まりました。
それはそれは恐ろしい毎日でした。
暴言だけでなく、暴力もありました。
先生はおじいちゃん先生だったので、小学校4年生の男の子たちでも簡単に暴力をふるえたんです。
気の強い女子のグループは暴言で。
巻き添えを食わないようにと、静かにしているのがやっとだった私でしたが、
夕方、放課後になると嫌な時間が。
そのおじいちゃん先生は、他の生徒たちが帰った後、
気の弱そうな生徒を一人ずつ残して、
タバコを吸いながら、クラスの子たちの悪口を愚痴るんです。
私もその気の弱い生徒に含まれており、
何度か愚痴られました。
本当に嫌な時間でした。
結果、クラスは学級崩壊しました。当然の結果ですよね。
女性の教頭先生が、ある日突然クラスにやってきてすべてが明るみに出て。
そうして悪夢は終わりました。
そのあと何人か臨時で先生が変わり。
問題児だった子たちはいつの間にかいなくなり。
私たちのクラスは、隔離のように他のクラスから離された場所に教室を移動させられました。
そしてやってきた人生2人目のカリスマ教師!(笑)
精神的にも不安定になっていた私たちを癒し、心をほぐし、開いてくれた。
福岡に来て、初めて、学校が楽しくなりました。
ギター片手に、ちょっと熱血気味な、そしておちゃめな先生は、みんなから大人気になり、クラスは平和を取り戻したのでした。
そうしてやっと学校になじめて、親友のような友達もできたころ
次の転校でした。
福岡から鹿児島へ帰ることになったのでした。
結構長くなったので、
今日はこのへんでとめておきます。
次回は再び鹿児島へ戻った私のスタートです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
あなたがハッピーに包まれますように。
香マリアでした。
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