【学べることに使命がある】

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学び

日常的スピリチュアル、安田です。

私たちはどんなに学んでも
全ての分野を学ぶことは
絶対にできません。
学べることを選んで
学べることしか
学べないのです。
何を学んだらいいのかが
分からない人がいますが
しっくり来ること
何となくでも必要性を
感じることを学べばいいのです。
何にしっくりくるか
必要性を感じるかは
人それぞれで違います。
そして、時と場合によって
しっくり来る時もあれば
しっくり来ない場合もあるし
必要性を感じる時もあれば
来ない場合もあるのです。
色々なことを
学んでいくことで
学ぶべきことを
悟ることができるのですが
どんなことを学ぶにしても
無駄な学びはありません。
私たちが学べることは
ほんのごく一部のことしか
学ぶことはできません。
どんなに勉強熱心な人でも
1%も学ぶことはできないのです。
なので
知っていることよりも
知らないことの方が
圧倒的に多いのですが
知らないことが多いことが
問題なのではなく
学び続けられているかが
問題なのです。
学びというのは
一朝一夕で知識が
身につくのではないし
学んだことを悟るまでに
時間がかかるのです。
学習力は学び続けることで
身についていくのです。
今は生涯学習時代なので
生涯学び続ける時代なのです。
学び続けることで
使命を悟ることができ
学び続けることで
投入する歩みが
できるのです。
実行ができない
投入ができないというのは
学ぶことが
不足しているから
できないのです。
徹底的に学んでいる人は
徹底的な歩みができるのです。
学んでばかりでは
頭でっかちになる
と言う人がいますが
頭でっかちになるほど
学んでいないのです。
どんなに学んでも
頭でっかちになることは
できません。
それこそ
朝から晩まで
学び続けても
頭でっかちに
なることはできないのです。
なので
頭でっかちになる心配は
無駄な心配なのです。
使命を悟れない人は
学ぶことが不足しています。
学び続けていれば
使命を悟ることができるのです。
実行力、投入力を
身につけるには
学習力の土台が
必要なのです。
可能であれば、ある時期は
ひたすら学び続けて
学習力の土台を
つくってください。
それこそ
最低1年くらいは
ひたすら学び続けることで
学習力の土台ができます。
1年が難しいのであれば
半年でも、3ヶ月でもいいし
あるいは、1ヶ月でもいいのです。
どこかで
「徹底的に学んだ」という
基準を立てることで
学習力の土台を
つくることができるのです。
学びというのは
最も贅沢なことであり
学べる環境というのは
最も恵まれているのです。
知識の質、基準は
それぞれにありますが
学べることには
何らかの使命があり
その使命を全うするために
学べるように導かれているのです。
これから多くの人が
学びに目覚めてきます。
暇と孤独な環境が
必然的に与えられるので
学ぶことに
目覚めてくるのです。
学ぶことで
学び切ることで
成長欲求が満たされ
学ぶことで
自己満足を感じることが
できるようになり
充実した歩みが
できるようになります。
今は使命を悟って
使命に生きる時代でもあるので
学びの土台が必要なのです。
自己満足を感じるくらいに
学び続けていくことで
与えられた使命を
悟ることができ
結果として
より大きな目的のために
歩むことができ
使命を全うすることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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