【自分が持つ宝物ってなに?】何を目指していいか分からない?!

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「社会人11年目のりょうすけ君!将来は一体何を目指していますか〜?」

今回の投げかけは、これだ。
え?将来目指す先って急に言われても分からない?考えていなかった?!って…。

なんで?なんで?なんで?

朝、家から出て向かうのは、「勤務先(会社)」=目指す先
昼、ランチで向かうのは、「いつもの定食屋」=目指す先
日中、取引先廻りで向かうのは、今日は「ABC商事」=目指す先
途中、休憩でお茶する先で行くのは、「いつものドトール」=目指す先
夜、業務終了してまっすぐ家に帰るときに向かうのは、「自宅」=目指す先

常に、自分が向かう先、目指す先って、決めてそれに向かって歩いたり、電車乗ったり
車運転したりしているよね?
それなのに、自分の人生だと、向かう先、目指す先が普段見えてないの〜?それって、今迄もそうだったのかな?

そう投げかけてはいるけど、1日単位で見るとオレもその日1日のうちで目指す先が見えてない日がいまでも正直ある。それでも普通に日常生活が成り立ってしまう日があることも事実。人生をトータル30,000日だとすると、貴重な1/30,000日をムダに使ってしまったのかぁというネガティブな見方もできなくはない。

それにしても、どうして自動操縦みたいな日々の生活ができちゃうのかね?何も考えなくても無難に過ごせちゃうのだろうか?

オレ自身でもふと考えてみた。
すると見えてきたのが、朝起きて会社へ行ってから、夜帰宅する一連の行動って、いつもの単純なルーチンワークになってしまっていて、その通りにしていれば、それなりに日々を過ごすことができてしまう便利で安住な世の中だからなのかもね。
道に迷うこともないし、悩む心配ものない、ましてや行く先が変わることもないので何かを考えたり決断することもない。らく〜な日常生活を日々送ることを望むのであれば、これほど理想的な生活習慣はないだろうね。

オレ自身も実は20代の前半のとき、楽な日常生活をこの先送るよう、あるインプットをされた経験があったんだ。

あれは、22歳の夏の頃だったと思う。
当時は大学生の遊び盛り。真っ黒に日焼けしていて元気な男子だと思っていたんだけど、あるとき身体の異変に気づいて、近くの病院にいったら即検査を受けるように言われ、そのまま入院となった。あれよあれよという間の出来事だった。

そんな重大な病気だとは正直思っていなかったんだけど、検査の結果は違った。
病名は、国が難病指定をしている病気で、特効薬はなく、今後も一生付き合うことになるとのこと。そのときは相当なショックだったのは、言うまでもないよね。なんでオレが?なにが悪かったの?いつのどの行いが原因なんだよ?と、結構悩んだよ。
それで、そのときの主治医が、30代男性でインテリ系の先生だったんだけど、言われた一言が、「けんくんはね、この先ストレスが掛からない様なノホホンとした生活を送っていればいいんだからね。そんな仕事を探すんだよ!」だった。

これは、22歳の当時としては、かなりの衝撃だったし、それに従うものだという頭が働いてしまうよね。これがこの先の社会人人生で、何かの頑張りどきや踏ん張りどきに対して、「心のブレーキ」になってしまうということには、当時のオレ自身はまだ何も気づいていなかった。いまでもその言葉を誰からどのように受けたのかをしっかり記憶しているということは、確かなインプットをされたんだと思う。

これが「波風を立てない、穏やかなのほほんとした日々の生活を過ごす」人生を選ぶきっかけとなったオレ自身の体験例。

この場合のオレの目指す先は、「決められたいつもの行く先」。それを日々、刻々と行き先、目指す先を変えることなどもってのほかという人生選択の一例。

これはこれでいいんだと思うよ。そういう人生を選ぼうと本人が決めたんだったらね。オレは、途中でその生き方に疑問を感じたときから、方向転換することにしたんだけどね。

朝起きてから、夜帰宅して寝るまで、いつも同じ行く先で、同じルートで向かうというのは、習慣化された結果だけど、それを選んだ人、望んだ人にとっては理に適っているよね。なんの苦労もないし、問題も起こることは少ないだろうし、単純作業繰り返せばいいだけだから。そこに大変革は必要ないかもしれない。ただ、「それで得られるものは単調でいつも同じもの」ということを自分自身が受け入れさえすればね。

同じ生活をしていて、違ったものを得ようなんて、それは虫が良すぎる話。同じ実験をして違った結果が出てしまうというおかしな現象、超常現象を望んでいるようなもの。

実は、このことがとっても重要だと思うんだ。これに気づけるとその先の人生選択への影響度は、かなり大きいよね。変わらない日常に飽き飽きしているんだったら、その逆をやったらどうだろうかと…?

日々どこか変えてみる生活→変化を受け入れる日常
これってちょっと刺激的な日常になると思わない? 試しにやってみたらどうだろうか?

変えることっていっても、簡単なことでも構わないと思う。

・家から会社までの道をちょっと変えてみる。脇道に入ってみる。
・ランチに行く店を変えてみる。普段入らなそうだけどちょっと気になってた店にしてみる。
・いつもの取引先訪問の他に、近くの取引先へもアポ無しで訪問してみる。
・コーヒーブレイクのとき、いつもはドトールだけど、今日はホテルのラウンジでお茶してみるとか。
・帰宅の途中もいつもとは違う道でかえってみる。家族にお土産を買ってみる。

やってみると分かると思うけど、結構、違和感を感じることになると思うよ。
こんなたいしたことでもないことを変えるだけなのに、こんな気持ちがザワザワする感覚。

それだけ、単調な日々の生活に慣れてたんだということ。また、それらはいつの間にか意識せずに設定されていたんだということに気づけると思う。

さてさて、「何を目指したらいいか?」の話だけど、ここらで一度、自分が何を目指しているのかを見直す、いいタイミングなのかもしれないよね。

目指す方向=目標って言い替えられるかもしれないけど、会社に入社したての頃立てた目標が、この先も自分が目指す目標で良いのか?それとも何年も経って志向変わってきたので、軌道修正したほうが良さそうなのか?

向かう先の目標が設定されていないとなると、昨日までの自分と同じところに向かうことになるよ。昨日と同じ自分で良いならいいけど、日々一歩づつでも成長したいよね。それなら、向かう先をもう一度見つめ直して、設定し直す方が自分のためになるんじゃないかな。

自分自身を船だと例えると、どっちに向かうかを決めるのは、その船長であるりょうすけ君、自分自身だよ。

向かう先を決めるのも君自身、決めないで行き当たりバッタリの生活をおくることを選ぶのも君自身。さてどっちを選ぶ?

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