スカっとするような単純明快で作為のない答えを求めて、刺激的でわかりやすい真実を求めて、その時その時の事実を”真実“として一生分の答えにしてしまいやすい。でも、本当のことは最後の最後までわからないのです。だから、僕達は遠回りをしながら、虚構の中を移ろいながら遠くにある真実を見据えようとしているのではないでしょうか?
そう考えると、真実は嘘の中に存在し、真実の中に入れば何も見えなくなってしまうものなのかもしれません。たとえ自分の人生が“虚構”でも、みんな嘘っぱちでインチキだらけの邪悪だと感じる世の中だからからこそ、僕達は夢・希望を語る力を持っているのだとは思いませんか?
人は退屈でないものにはすぐ飽きてしまうけれど、
飽きないものはいつでも退屈なものなんだ。
退屈でも良いですよね?