無理に白黒つけない。善悪で物事を考えない。そして、あるがままを生きる
唐突ですが「折り合いをつける」ってどういう事だと皆さんは思いますか?
真っ先に思いつくことは『白黒はっきりとつける』って事ではないでしょうか。でも、『白か黒か』にこだわってしまうと、『灰色』の美しさを忘れてしまいます。仏教というのは大変寛容なものです。白か黒かで考えない。白もあれば黒もある。もちろん灰色だってあるし、そのグラデーションも一色ではない。そんな大らかな心が根本にあります。
そもそも、日本の仏教というのは、その成り立ちからして大らかです。
太古から日本には神道があり、あるとき中国から仏教が入ってきました。
そこで日本人は『神道か仏教か』と争うのではなく、何とか共存できないものかと考えました。***********『本地垂迹説』(ほんちすいじゃくせつ)
という言葉があります。
神道と仏教を共存させるために、神様と仏様の中間みたいなものをつくってしまったというお話です。
それがあちこちの神社に祭られている権現で、その正体は仏様の化身で神様の姿になったというものです。なんとも適当と言えば適当ですが、これこそが日本人の知恵だと思います。互いにうまく折り合いをつけて、争いごとを避けながら共存していく。
物事には白黒つけられないこともあります。
***********ならば無理してはっきりさせるのではなく、中庸で良いのではないでしょうか。
だから?
日本の政治は玉虫色なのかもしれませんね・・・。
『白黒つける』
ということは、物事を『善悪』で分けることと言い換える事も出来ると思います。
では、物事を『善悪』で分ける必要はあるのでしょうか?
例えば、「呼吸をするのに好き嫌い」はあり
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