無理に白黒つけない。善悪で物事を考えない。そして、あるがままを生きる

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唐突ですが「折り合いをつける」ってどういう事だと皆さんは思いますか?
真っ先に思いつくことは『白黒はっきりとつける』って事ではないでしょうか。でも、『白か黒か』にこだわってしまうと、『灰色』の美しさを忘れてしまいます。
仏教というのは大変寛容なものです。白か黒かで考えない。白もあれば黒もある。もちろん灰色だってあるし、そのグラデーションも一色ではない。
そんな大らかな心が根本にあります。
そもそも、日本の仏教というのは、その成り立ちからして大らかです。
太古から日本には神道があり、あるとき中国から仏教が入ってきました。
そこで日本人は『神道か仏教か』と争うのではなく、何とか共存できないものかと考えました。
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『本地垂迹説』(ほんちすいじゃくせつ)
という言葉があります。
神道と仏教を共存させるために、神様と仏様の中間みたいなものをつくってしまったというお話です。
それがあちこちの神社に祭られている権現で、その正体は仏様の化身で神様の姿になったというものです。
なんとも適当と言えば適当ですが、これこそが日本人の知恵だと思います。
互いにうまく折り合いをつけて、争いごとを避けながら共存していく。
物事には白黒つけられないこともあります。
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ならば無理してはっきりさせるのではなく、中庸で良いのではないでしょうか。
だから?
日本の政治は玉虫色なのかもしれませんね・・・。
『白黒つける』
ということは、物事を『善悪』で分けることと言い換える事も出来ると思います。
では、物事を『善悪』で分ける必要はあるのでしょうか?
例えば、「呼吸をするのに好き嫌い」はありませんよね。
ひとつの道を究めるということは、特殊な事でもドラマチックなものでもありません。毎日同じことを繰り返す。地味で地道な事を当たり前に続けていく。そんな繰り返しを経て、ある時ふと気づくのです。
『ああ、これが私が探していた答えだったんだなあ~』
てな具合に・・・。
高名な僧侶だって、自分の宝物に気づくために修行を重ねています。オリンピック選手だって、ひたすら泳いだり、走ったり、練習を重ねています。
そうして、あるとき道を究める。そういうものです。
着地点ばかりに気を取られていると、道程がおろそかになってしまいます。
結果を出すことにとらわれていては、
『いま』
『この瞬間』
に、全力を出すことが出来ない。
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『善を思わず、悪をも思わず』
今、やっていることを善悪で判断しないという意味です。
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例えにだした、「呼吸をするのに好き嫌い」、『好き』とか『嫌い』で分けないのと同じです。
呼吸をするのと同じように、『当たり前のことを当たり前にやっていく。』物事に善悪をつけようとするから、『悩み』や『ストレス』が生まれるのではないでしょうか・・・
では、私達は、どうやって物事をとらえ、考えて生きてゆけばよいのでしょうか。
結論からいってしまうと、『あるがまま』を見て、『好き嫌い』で悩まない。
これも例えるなら、仕事をしている方であれば経験があると思いますが、「部下のせいで」とか「あの上司さえいなければ」とか、とかく人間関係は悩ましいものです。
最初から付き合わなければいいのだけれど、仕事などではそうもいきません。
『人間関係の悩み』
これは、永遠のテーマと言えるでしょう。
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「禅の庭の父」と称される夢窓国師(むそうこくし)は、次のように述べています。
『便(すなわ)ち見る物、否を終へずして、悪事転じて善事となり、法定相なし。逆縁却って順縁と為ることを。此れ其の禍福同源(かふくどうげん)、冤親一体(おんしんいったい)の所以(ゆえん)なるものなり。』
ん~、何を説いているのか私にも理解できません (^_^.)
この言葉は、これまでは憎しみをもってきた敵を手厚く供養し、自らの行いを懺悔(ざんげ)することにより、逆縁が順縁に転じるという意味だそうです。
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つまり?
災いも福も、その源は同じところから来ているもの。憎しみも親しみも、実は全く同一のものであるということらしいです。
では、その正体は何か・・・。
ずばり、
『あなたの心』
です。
好きか嫌いかは、全部自分の心が決めている。
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『悟無好悪』(さとればこうおなし)
あるがままを見られるようになったら、好きも嫌いもなくなるようです・・・
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いま、私を含め、思い悩み苦しんでいる皆さんにお伝えしたいのは、
『自分にないものを求めない』
ということです。
『結果』を出すこと(私達の場合、病気を治す)に焦りは禁物であると言う事。
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『夏炉冬扇』(かろとうせん)
夏の炉と冬の扇子、その時には必要のないものです。
今すぐには必要がなく役に立たなくても、必ず役に立つ時が来る。
じっと時機を待つことの大切さを意味している言葉です。
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一口に仕事といっても、華やかで周囲から羨ましがられるようなものもあれば、地味で目立たない仕事もあります。
同じやるなら、目立つ仕事をやりたいと思うのが人情でしょう。でも、華やかな仕事をしている人も、はじめからそうだったわけではありません。
地味な仕事をコツコツと積み重ねた結果として『いま』があるのです。
一見、役に立たないことが、巡りめぐってひとつの結果に結びつく。いま頑張っていることはひとつも無駄にはならない。
今の自分に自信がなくても、
『自分の心にあるもの』
だから皆さん、『のんびり』『じっくり』『焦らず』病気と向き合って、やれる事を『今』やっていきましょうよ (*^_^*)
焦ったって、なんも良い事なんかありゃはしないんですから・・・。
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