「他者」との出会いは意図のエネルギー共鳴
こんにちは。光の翼 木村 心美です。いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます♪分離世界の領域では、「難しい」が存在するなら「簡単」も存在する。「生きる」が存在するなら「死ぬ」も存在する。「与える」が存在するなら「もらう」も存在する。「できる」が存在するなら「できない」も存在する。「ホンモノ」が存在するなら「ニセモノ」も存在する。「自分軸」が存在するなら「他人軸」も存在する。「委ねる」が存在するなら「コントロール」も存在する。「騒がしい」が存在するなら「静か」も存在する。「従う」が存在するなら「断る」も存在する。「支配」が存在するなら「服従」も存在する。「支払う」が存在するなら「滞納する」も存在する。キリがないのでこのくらいにしておきます…笑二元性のどちらか一方の極だけでは、存在できません。一方の極が存在することで、もう一方の極も存在することができます。ある人物の「闇」の一部分だけを見て邪魔だ…。不要だ…。利益を生み出さない…。使えない…。めんどくさい…。「私」とは相対的な「他者」を切り捨てて排除してしまえば、その「他者」が備え持つ「光」の側面までも切り捨てられてしまいます。「闇」だけを切り捨てることはできません。「闇」を切り捨てれば、「光」も切り捨てられます。光と闇は一体で、「私」や「他者」は「光」でもあり同時に「闇」でもあるからです。最近では立て続けに無意識の私が、二元性の受け入れがたい闇の部分を映し出しているもう一方の現象ばかりを日常的に見せつけられてすっかり参っています…汗例えば、「豊かさ」VS道端で沢山の空き缶を拾い集めているオジサン。「自立」VS本心では離婚
0