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お釈迦様みたい

おはようございます*^^*人は人と繋がり合って生きてるんですね。人だけではなく、全てとだけれど、昨日、友人が身体を気遣ってマッサージに来てくださいました。なんて優しいんだ・・・( ;∀;)不調が皆との絆も教えてくださいました。みんな大好きって湧いてきます。ありがとう。お陰様で、不調は随分和らいできています*^^*その友人仕事は仕事場で、お釈迦様みたいって言われるみたい。お釈迦様って特別な存在というよりも分別や判断のない、自分という観念から解放された命だと感じています。自然そのものというのか。全体からみれば、この命の動きがただ淡々と起きていて小さな粒だと表現されるのだとしたら、個人の視点では私という周りに小、中、高、大、社会人になってからの知識で何重にも囲まれた感じで・・・重く、制限がかけられた状態。特別感がある感じ。円が多いほど、緊張状態ともいえそうですね。全体に還るってただの小さな粒に戻る感じなのかもしれません。分別も、判断も無く緊張のない緩んだ状態でしょうか・・・全体の中の一粒として、そのまんまの動きで在るというか。全体と個人を行ったり来たりという感じなのでしょうけれど、一日の朝と夜だけでも、全ての円から解放された安らいだ状態に戻れたら、楽になれるかもしれませんね。そしてその起きてくる、ご縁を大事にしていきたいなあと感じます。今日という一日も、良き一日になりますように。みんなありがとう☆
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幸せに生きるためって! 教えて!           

人間には、どうしても避けて通ることができない苦しみがあります。たとえば、だんだん年をとって若さが失われていく苦しみ、 病気の苦しみ、そして最後には死んでしまう苦しみもあります。お釈迦様は、この世には8種類の苦しみがあることに気がつきました。「生」「老」「病」「死」(しょうろうびょうし)の四苦(しく)です。 4つの苦しみです。・愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ・怨憎会苦(おんぞうえく):憎しみを感じる人と会う苦しみ・求不得苦(ぐふとくく) :欲しいものが手に入らない苦しみ・五蘊盛苦(ごうんじょうく):心身の欲望が満たされない苦しみはじめの四苦とあわせた8つを「四苦八苦(しくはっく)」と言います。お釈迦様は‘‘そんな苦しみが多い世の中でも、幸せに生きることができる”と教えてくれたのが「仏教」です。お釈迦様は‘‘そもそも生きることは苦しいことである”という結論を出し、‘‘なぜ苦しいのか”を考えたところ‘‘思い通りにしたいのに、思い通りにならないから苦しい”ということに気がつきました。思い通りにしたいという心を「煩悩(ぼんのう)」と言い、苦しみの原因は煩悩であることがわかったのです。そして、煩悩をやっつけることで幸せに生きられると考えました。 お釈迦さまは「そんな苦しみが多い世の中でも、幸せに生きることができますよ」と 教えてくれました。   それが、仏教です。お釈迦さまは、「そもそも、生きることは苦しいことである」という結論をだしました。そして、「なぜ苦しいのか」を考えたのです。仏教がおしえていること!「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」というお経の言葉です。お釈迦さ
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悩みとの付き合い方「1つなら大丈夫」

招きネコ占い師の結希乃です。早速ですが「ゴータマ・シッダールタ」という名前をご存じですか?今から2500年ほど前の人物で、後に私たちがよく知るお釈迦さまとなった人物です。お釈迦さまになる前のゴータマ・シッダールタはシャカ族の王子さまでした。生まれながらにして何不自由ない生活を送るシッダールタ王子でしたが、ある日、老いや病、死といった世の中の苦しみを目の当たりにし、深い悩みを抱えます。誰よりも裕福で恵まれた暮らしを送っていたはずのシッダールタ王子でも生きることに悩んだ末に、妻子を置いて出家します。この話を聞いた時、私は思いました。王子さまでも人生に悩みすべてを捨てて修行に入るくらいなら、世界中の誰しもが必ず悩みや苦しみを抱えて生きているんだな、と。私も人生の中で様々な悩みを抱えてきました。子供の頃の毒親・いじめ・孤立・暴力・不登校成人後も詐欺・ブラック会社・人間不信・別離・お金や将来への不安...今だって悩みが尽きることはありません。ただ、今は悩みよりも希望を強く持てています。人間はどんなに大きな悩みでも1つだと意外と平気なのですよね。耐えられてしまうし、背負ったまま生きていけます。でもそれが2つ、3つと重なってくると、もう動けなくなってしまう。どうしようも無くなってしまう。だからこそ、まずは簡単な問題から取り組み、焦らずに1つずつ解決していくのがいいのです。たった1つ解決しただけで、気持ちが軽くなり次の一歩を踏み出す勇気が湧いてきます。1つなくなる、見通しが立つだけで、動き出せるようになります。立ち上がる気力が湧いてきます。悩みの根本に向き合って、分解し、大元の原因を探ってみる
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守るべき「国」とは何か。

先日、とある洋画を見ていました。中世の時代をテーマにした作品ですが、そこではとある男性が、国のために空軍に入隊するというシーンが描かれております。国を守るために青年はそれまで大好きだった彼女とも別れ、また大好きな「写真」という趣味をも投げ打って、国のために入隊する決意をするわけです。結果はやむなく「戦死」。そのようなコテコテの戦争映画を観たわけですが、その時に私はそこまでする必要があるのだろうか、国ってなんだろうなー、祖国ってなんだろうなー、と改めて思わされたのです。昔は確かにそういう時代だったのかもしれません。個人の意見など何一ついうことができず、ただ言われるがままになすべきことをする。お国のために入隊し、命を投げうつ。お国こそが絶対的存在だったわけです。しかし今はそうではありません。昔のような時代でもないし、宇宙船から実際に見てみるとわかるようですが、事実として国境なんてものはどこにもないわけです。それが目に見えやすい形で今は確認できるわけです。多様性が大いに認められるありがたい時代となりました。国や祖国というのは単なる人間が作り出した「枠決め」でしかないわけです。単なる概念なのです。なのに我々人間は今こうして戦争を始めてしまいます。事実はそうであると知っているはずなのに、その事実を顧みず、個人の概念、本来存在しない頭の中の支配によって、このような戦争を巻き起こしてしまうわけです。無惨な戦争映画と一才変わらない状況、それがしかも現実に巻き起こっているわけです。大変嘆かわしい事態です。我々人間が生きているのは国境のない真実の世界です。我々は日本人であって、同時に地球人であるわ
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100%支持できる人を探したい私

「この人は正しいのか?」「善なのか、悪なのか?」そう問い続ける人は少なくありません。けど、その問いの立て方自体が、一定の枠の中にいる証かもしれません。それは、「教祖を探すスタイル」です。■ 正しさに全部乗っかりたいかつて宗教の世界では、教祖の言葉が絶対とされてきました。たとえば仏教なら、お釈迦さまの言葉はすべて正しいと信じられていた。迷ったときは「お釈迦さまならどう言ったか?」を基準に考える。それは一見、安心できる構造です。けれどよく考えれば──何億人もの人々が、たった一人の言葉を完全に正しいと見なすのは、極めて不自然です。しかも、その言葉が本当に本人のものだったかどうかも、検証されないままに。実際、お釈迦さまが亡くなってから作られた経典は数多くあります。そこで、何が正解か選ぶのはあなたの自由です。■ 学問の世界にもある「教祖構造」宗教だけではありません。学問の世界でも似たような構図が見られます。「○○学派の創始者がこう言ったから正しい」「この理論は、偉大なあの学者が唱えたから間違いない」でも、その人が前提にした最初の理論自体がもし歪められていたとしたら?そのあとに続く「正しさ」は、全部崩れます。正しいとされることにすがりたくなるのは人間の性ですが、思考停止の温床にもなります。■ ファン心理と同じ構造これは、音楽やアートにも似ています。たとえば、あなたが大好きなミュージシャンがいたとして──全部の曲が好きなわけではない、ということもありますよね。この絵は素晴らしい、でもあの絵はちょっと合わない。それでも「ファンであること」には変わりないし、だからこそ、自分なりの感性で向き合えて
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動物、飼う?飼わない?

今日、ある方とこんなことを話しました。「〇〇さん家ってお寺ですよね?犬とか猫とか飼っているんです?」「いいえ。」「なんかお寺っていうと、猫とか犬とかそういう何かしらの動物を飼ってそうなイメージがあります!だって、ほら!福井にある「御誕生寺」みたいに、猫寺で有名なお寺もあるじゃないですか!」「確かに。でもウチは住職(父)が決して許してくれなかったんです。そういう動物を飼うということを。お釈迦さまがかつて言ったことで「いきとしいける動物は全て同じ命の重さである」、それにちなんでなのか、我々人間が他の動物を飼うという行為に抵抗があったんだと思います。そしてお釈迦さまの教えをきちんと守っていたんだと思います。だから私の実家ではこれまでに一度も動物を飼ったことがありません。」このような返答すると、その方はひどく感激されたようで、そのような考え方、またその考え方をきちんと守ってきた我々を称賛してくれました。私はでもそこで、「確かにそうした考え方って、普通じゃないんだよな〜」とかと思いつつ、でもやはり我々にとってはそれがひどく当たり前のことでもありました。今回のことを通して在家の方、出家の身である我々の生活態度に改めてギャップがあることに気付かされました。我々としては実に当たり前のことです、なのでいまだに人間が動物を飼うということに抵抗がありますし、人間がリードを引いてワンちゃんをひっぱている姿をみると少し戸惑いを覚えます。実に不自由な生き方をしてるんです、出家のものは。特に仕切りに面倒だと思ってしまうのは、「今の私をお釈迦さまはどのように思われるだろうか?」そう言った思いに常に縛られるとい
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神の声✨お釈迦さま

今必要な貴方へのメッセージ 『自らの光、その中で遊べ』  彷徨う意識は、肉体が有る無しに関わらず、 自分の帰る場所をしらない。 自分への帰り方をしらない。 自分の内にある源との繋がりを知らない。   自らがその繋がりを遮断しているために、必要な循環が行われずに、安住の地を探し彷徨い、他の中に住み着こうとする意識が依存になり、執着になり、生霊や憑依になり、苦しみになる。   まずは溺れる自分、他に拠り所を探す自分を救い出すこと。   自らが『宝』だと、知らないものは、 光を反射させる事ができない。 全てを光らせる事ができない。  自らの魂の故郷へとかえれ。  自らの光、その中で遊べ。
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神の声✨お釈迦さま 弥勒菩薩さま

今必要などなたかへのメッセージ 『信じなさい。信じなさい。自らを頼り信頼しなさい。自らの持ち合わせた未知の可能性の内に在り、ただ信じていなさい。』  『信じる』とは、永遠不滅の真理を自分の真実とする事を指し示しています。「永遠普遍不滅の法則を、真理を生き、それを反映する現実という流れ」を信じるという事です。法則を見ずに『現実』という揺れ動く、現れては消えるものを追いかける中に絶対はありません。永遠に変わることなく、全ての存在に精通している法則だからこそ『絶対信頼』があり、自分自身の内にすでにその法則が流れている事に気づく事こそが、揺るぎない信頼への第一歩です。
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神の声✨お釈迦さま(文殊菩薩さまと普賢菩薩さまと共に)

今必要などなたかへのメッセージ 『追いかけるのをやめなさい。 自分以外を身にまとい、いつわりを生きるのを やめなさい。 得たいと握りしめるのをやめ、 すでにあるものに気づきなさい。』  純度100の自分を生きる。究極の個性を生きる。それは、全てを脱ぎ捨てたと思った時、それでもそこにあり続ける『自分』という意識体である。
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