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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事⑤

今回のお話は、屋根施工職人をしていた時の出来事です。 当時、私が主に屋根施工の仕事を頂いていた瓦工事店(A社)は、経営が少し傾いていました。 私も、そのままA社専属で仕事をしていたのでは、「やばい」と思い、専属をやめることをA社社長に伝えました。 すると、A社社長から、瓦工事店の改革を会社内部からやってもらえないかと打診されました。 それまでも、瓦工事店と職人さんたちの間に入り、結構意見など伝えていましたので、外部(職人側)からではなく、内部から意見を出し実際に変えていってもらえないかということでした。 このまま職人をしていても、先は暗く感じていたのと、少し「面白いかも」と思い、受けることにしました。 この時は、気持ちのままに選択したものと、気持ちを見失ったまま選択したものがかなり入り乱れました。(あくまでも、気持ちに気付いている今から観た判断です。) その時に、一番ポイントになる場面で、私は気持ちを見失っていましたので、A社社長の依頼を承諾し、後々、ひどい目にあいます。(苦笑) 一つ目に遭遇したのは、「はしご外し」でした。 私は、社長の後押しがあると思っていたから、従業員さんや職人さん達と真正面から向き合い、従業員さんや職人さんが聞きたくないことも伝え続けて前に改革を前に進めていました。 よく「なんで自分がここまで嫌われ者にならなければならないのか…」と、思っていましたが、やり始めたことなので最後までやり通さなければと踏ん張っていました。 そして、一つ目の重要ポイントとなる場面がやってきました。 従業員全員から私に対しての不満が頂点に達し、社長に直談判が行われました。 私は、
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心の鎧?

受講者の方から、質問というか、私の意見を求められた時のお話です。 受講者の方をAさんとします。 Aさんが、ある時、ラジオを聞いていました。 あるお医者さんがパーソナリティをしていて、リスナーの方の質問などに答える15分程度の番組だったそうです。 その中で、以前、パーソナリティの方が「子供のころにいじめにあって、自分を守るために『心に鎧』をまとっていた。そして、その鎧で自分を守っていた」というような感じのことをリスナーの方が聞き、自分の子供(幼稚園生)にその「心の鎧」の話をし、子供にも心の鎧を着させてあげたいのですが、どのように伝えればよいのかアドバイスをお願いします。というような内容だったそうです。 Aさんは、パーソナリティ方が答えている内容を聞いても、よくわからなかったので、私に質問というか、意見を求めてこられました。 そこで私は以下のようにお答えしました。 そもそも、心に鎧を着せるのは、いじめなどに遭遇した時に自分が傷つかないようにするためです。 ということは、いじめられることが前提での「心の鎧」ですから、私でしたら「心の鎧」の話を子供にはしません。 いじめられることを前提ということは、日常生活の中で「いじめ」を意識して過ごすようになります。 意識して過ごすということは、「いじめ」を引き寄せる可能性が格段高くなります。 私は、子供に「いじめ」を引き寄せて欲しくはないのでそういうことはしません。 でも、「いじめ」にあう可能性はやはりあります。 ですから、子供には、「嫌なこと」「悲しかったこと」「辛かったこと」などがあれば、いつでもお話をしてほしいと伝え続けると思います。 そし
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事④-1

前回のブログ記事を書き終わってから少し思い出した感覚を今回はサクッと書き綴ってみたいと思います。 気持ちを見失っていた時期でも、そこそこ仕事は上手くいっていた時が多くありました。 もちろん、力業で強引に上手くいかせていた時が多かったのですが…(苦笑) そんな中で、力尽きて上手くいかなくなるのではなく、まだ余力があるのに上手くいっている仕事を辞めることが何度かありました。 この時の感覚を思い出しました。 例えば、製麺会社で自分の希望通りの条件で働けるようになったのに、辞めてしまった時がそうでした。 希望が叶うと同時に、心に何かポッカリと「穴」のようなものが空くのです。 すると、その「穴」から言いようのない「不安」なようなものを感じます。 そうなると、希望がかなった現実が、本当は間違っているのではないかと思え始めます。 この「穴」は、なぜか日に日に大きくなり続けますので、「不安」も大きく感じるようになります。 あまりにも不安が大きくなるので、「ここに居るのは、間違っている」と思え、「辞めます」となります。 このパターンを、何度か体験をしました。 希望通りの現実なのに、その現実から背を背ける。 「自分はいったい何をしたいのだろう?」と、幾度となく思い悩みましたね。(苦笑) 若い時はまだ、時間があるからまだ良いと思えるのですが、年を重ねると良いとは思えなくなります。 すると、焦りが生じ始め、さらに思い悩むようになり、それを忘れたいがために、気を紛らわせるためにいろいろな事に手を出します。 そういえば、スキーにスキューバダイビング、ジェットスキー、ウィンドサーフィン、マウンテンバイク、バ
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事④

今回は、仕事での出来事です。 私は、アルバイトも含めると、本当に多くの仕事に就きました。 この多くの転職も、気持ちを見失っているからこそなせる業でしたね。(苦笑) そんなたくさん就いた仕事のうちの一つ、「製麺会社」での出来事です。 今回お話しする「製麺会社」とは、主にスーパーなどで販売されている「うどん」「そば」などを製造している会社となります。 「うどん」「どば」意外にも、ラーメンの麺も製造していました。ラーメン専門店の要望に応えた麵を製造したり、新規にオープンするラーメン店のオリジナル麺のアドバイスや製造もおこなっていました。他にも、スーパーの総菜コーナーの一角を借り受け、中華の総菜を製造販売、小中学校へのソフト麺の製造納入も行っていました。 私は、友人の紹介で、時給がそこそこ良かったこともあり、働くことにしました。 最初は、スーパーやラーメン店、ファミレスなどに、麺などを配送することを担当していました。 配送の仕事は、朝5時から始まります。 配送する商品を確認し、配送車に積み込み各お店に決められた時間通りに配達していきます。 初めての職種なので、わからないことが多くありましたので、よく質問をしていました。 すると、少し働いていると、常務や専務、社長に気に入られるようになりました。 小さな会社でしたので、社長に専務、常務、経理一人と、10数名ほどのパートアルバイトの方で仕事は回されていました。 気に入られるようになることで、おいしいことがありました。(笑) まず、早朝に会社に行くと、釜揚げうどん食べ放題! これは、たまりませんでした。(笑) スーパーなどに納入する麺をゆでる
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事③

今回は、恋愛がらみの出来事を書き綴ってみたいと思います。 24歳くらいの時に付き合っていた彼女との出来事です。 もちろん、気持ちを見失っていた時の出来事なので、結末はうまくいかなかったお話です。(苦笑)彼女とは、付き合い始めの頃は、楽しく良好な関係でした。 当時、私は女性と付き合い始めると、すぐに将来のこと(主に結婚)を考えてしまいました。 すると、結婚するためにお金が必要、家族が増えればお金がさらに必要、万が一のためにお金が必要などと考え、今の仕事ではそんなに稼げないからもっとしっかり稼げる仕事に就かなければと、考え転職をしていました。 仕事の話は、また別の機会に書き綴りますが、今回の女性と付き合っている時も転職をしました。 (この時は、転職というよりも、独立でした。) その時の、私の頭の中は、「彼女のために、彼女の幸せのために、もっと良い仕事を、もっと良い稼ぎを」でいっぱいでした。 転職する前は、休日などは、彼女とデートなどをし楽しく過ごしていたのですが、転職をしてからは、休日なしの働きづめでした。 彼女は、働きづめの私を見て、最初は何も言わずに理解してくれようとしましたが、仕事がなかなかうまくいかなかったので少しずつ、私の仕事に対する姿勢に対して、コミュニケーションを取ろうとしてくれていたのですが、私は彼女の伝えようとすることに耳を貸すことはありませんでした。 それどころか、「なぜ、俺がこんなに頑張っているのをわかってくれないのか」「誰のためにこんなに頑張っていると思っているのか」と内心憤りを感じていました。 そんな生活が半年ほど続き、仕事も何とか目処がつき始めようとして
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事②-2

前回の続きです。 始めて購入した、車の最終章といったところでしょうか。(笑) もっとも、気持ちを見失っていた時の出来事のワンシーンでしかありませんが…(苦笑) なんとか車の修理も終わり、手元に車が返ってきました。 そして、数日が過ぎ、高校の卒業式の日でした。 式も無事に終わり、開放感に浸りながら、深夜まで友達の家で寛いでいました。 すると、一人の友達が、「ゼロヨンをやりに行こう!」と、言い始めました。 深夜の2時ころでした。 私は、眠いのと、事故を起こしたばかりだったので、気乗りがしなかったので最初は断っていました。 かなり、断っていた記憶があるのですが、友達がとてもしつこく誘い、挑発してくるもので、最後にはその誘いに乗ってしまいました。 友達の家からゼロヨンが可能な場所までは、少しタイトな山道を通って行かなければなりませんでした。 お互いに車に乗り込むときに、また友達が挑発してきます。 「山道、ついてこれるかな?」と。 その言葉に、カチンときた私は、「絶対ついて行ってやろう!」などとヒートアップしていました。(もう、この時点で、気持ちの見失い方が暴走状態でしたね。苦笑) さて、結末を先に言ってしまうと、私の車は「廃車」となります。 大きな大木に真正面からノーブレーキで突っ込み、車フロント部分がⅤの字に凹み、ラジエターはもちろん、エンジンまで終わっていました。 今の私から観れば、原因は「気持ちを見失い続けたこと」とシンプルな答えになるのですが、当時の気持ちを見失っている私からすれば、答えは違ってきます。 まず、「ゼロヨンに誘った友達」が最初に浮かびます。 「俺は最初、断っていた
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事②-1

前回の続きからですね。 私自身、お金は持っていませんでしたし、親も私の車を購入するようなお金は持っていませんでしたから、車購入に必要な諸経費代金もすべてローンに組み入れてもらいました。 私が欲しい車種の車を購入したのではなく、私が何とか購入できる車までダウングレードし、自分を何とか納得させた車でした。 それでも、購入できたことの喜びはとても大きかったと記憶しています。(笑) 今思えば、ローンの審査が通ったのは、車屋さんの裏技だったと思います。 4月からは収入が入ってくるとは言え、まだ収入のない状態の私が、60万円ほどのオートローンを組めたのですから、裏技でしかないと思えるのです。 そう言えば、当時は利率も高く、年利15%ほどだった気がします。 毎月2万円強のローンを3年程支払った記憶があります。 月収7万円くらい(月給ではなく、日給だったので、夏の閑散期には給料は5万円ほどしかなかった記憶があります。苦笑)の中で、車のローンを支払い、車の保険や維持費を支払うと…などとは、気持ちを見失っているので、頭をよぎることはあっても完全に無視です。(汗) 「欲しい!」の一点勝負ですから。(大汗) 気持ちを見失っているからこそ、できる芸当ですね。(苦笑) さて、車が手に入れば、当然、走らせたくなりますよね。 車が手に入ったときには、もう学校も卒業式までは休みになっていましたので、母親の仕事の手伝い(アルバイト)をすることにして、そのアルバイト先の現場に行くのに、私の車で行くことを提案し、了承を得て車で行くことになりました。 車が納車されてから、数日のことでした。 その日は、私の地元でも年に数
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きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事②

気持ちを見失っていた時の出来事として、前回は、15年間ほどで30数台買い替えたことを書き綴りました。 今回は、最初に購入した車のことを書き綴りたいと思います。 もちろん、気持ちを見失い続けていた時なので、結末は悲惨でした。(苦笑) では、気持ちに気付いた今だからこそ良く理解できる当時のことを書き綴りたいと思います。 最初の車を購入したのは、高校を卒業する前でした。 (もうこの時点で、気持ちをとても見失っています。汗) 車を購入しよと思うまでに至る前の経緯は省略しますが、もちろん、省略期間も気持ちは見失っていました。(笑) 4月から地元の被服会社(主に学生服を製造販売していました。)で働くことは2月の初めには決まっていました。 給料は、月に7万円程度だったと記憶しています。 中学を卒業して働き始めていた仲の良い友達たちは、すでに車も購入していて私に自慢げに見せつけられていたので、私も車が欲しくて欲しくてどうしようもなかったのを記憶しています。 小さな子供が、友達の持っているおもちゃを見せられると、自分も欲しくたまらなくなるのと同じ感覚ですね。(苦笑) 購入資金もないのに、車を欲しがるのですから、オートローンを組むしか方法が見つからないのですが、まだ会社にも就職していない(定期収入のない)私が、普通ならオートローンなど組めるはずもないのですが、私は欲しくて欲しくてたまらなかったので、知り合いの人に相談をしまくっていました。(この時点で気持ちを見失っているだけでなく、見失った暴走は始まっていました。汗) すると、母親の知り合いの知り合いの人だったかなぁ、その方が懇意にしている車屋さん
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