きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事②-1

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前回の続きからですね。

私自身、お金は持っていませんでしたし、親も私の車を購入するようなお金は持っていませんでしたから、車購入に必要な諸経費代金もすべてローンに組み入れてもらいました。

私が欲しい車種の車を購入したのではなく、私が何とか購入できる車までダウングレードし、自分を何とか納得させた車でした。

それでも、購入できたことの喜びはとても大きかったと記憶しています。(笑)

今思えば、ローンの審査が通ったのは、車屋さんの裏技だったと思います。
4月からは収入が入ってくるとは言え、まだ収入のない状態の私が、60万円ほどのオートローンを組めたのですから、裏技でしかないと思えるのです。
そう言えば、当時は利率も高く、年利15%ほどだった気がします。
毎月2万円強のローンを3年程支払った記憶があります。

月収7万円くらい(月給ではなく、日給だったので、夏の閑散期には給料は5万円ほどしかなかった記憶があります。苦笑)の中で、車のローンを支払い、車の保険や維持費を支払うと…などとは、気持ちを見失っているので、頭をよぎることはあっても完全に無視です。(汗)

「欲しい!」の一点勝負ですから。(大汗)

気持ちを見失っているからこそ、できる芸当ですね。(苦笑)

さて、車が手に入れば、当然、走らせたくなりますよね。
車が手に入ったときには、もう学校も卒業式までは休みになっていましたので、母親の仕事の手伝い(アルバイト)をすることにして、そのアルバイト先の現場に行くのに、私の車で行くことを提案し、了承を得て車で行くことになりました。

車が納車されてから、数日のことでした。
その日は、私の地元でも年に数回しか降らない雪が夜の間に降り積もり、20センチほど雪が積もっていました。

車のタイヤは、中古のツルツルに近いノーマルタイヤで、タイヤチェーンなども持っていなかったのですが、「車を走らせたい!」がとても強く、私は車でアルバイトに向かうことにしました。(母親たちはとても心配していましたが、当然気持ちを見失っていますから無視です。汗)

雪道での車の運転は、もちろん初めてのことでしたので、本当に慎重に慎重に車を運転しました。
アルバイト先までの道中、道に迷い、車の幅より少し広いくらいの細い道の運転を余儀なくされたのですが、何とか国道の側道までたどり着きました。

そこで、安心し緊張が緩み、あろうことかアクセルを踏み込み、スピードを上げてしまいました。

ほんの数秒の出来事ですが、車のスピードを速めてすぐに車が横滑りをはじめ道路上をクルクルと回り始めました。

次の瞬間、「ガッシャーン!」と、大きな音とともに、車は止まりました。(?!)

自分では、何が起こったのかわからず、呆然としていました。

恐る恐る、車のドアを開け、外に出てみると、車の前方部分がガードレールにめり込み凹んでいるのが見えました。
頭は、真っ白でした。(苦笑)

なんとか気を取り直し、事故の処理をするのですが、不幸中の幸いだったのは、国道の側道で、それも側道の始まり部分だったので、ほかの車がいなかったので自損事故で済んだことでした。

とはいえ、納車されて数日で車は自動車屋さんに戻っていくことになりました。(涙)

さて、私の車は修理のために自動車屋さんに運び込まれるのですが、自動車屋さんもあきれていました。(汗)

何とか手に入れた車を早くも壊しているのですから。(汗)

自動車屋さんからは、もう車は手放し、スクーターにすることをすすめられるのですが、そんなことには私は聞く耳は持ちません。

なんせ、気持ちを見失っているのですから、「絶対修理で!」と言い続けます。

修理賃もないのに、修理の依頼をしているのですから、めちゃくちゃですよね。(汗)

でも、無理も通るのが、この世界のある意味恐ろしいところです。

自動車屋さんが「じゃあ、分割払いでいいよ。」と言ってくれました。
ちなみに修理代は、15万円ほどだったと記憶しています。

毎月2万円ほど支払い続けた記憶があります。
車のローンが毎月2万円強、それにプラス修理代が毎月2万円。(大汗)

この時点で、結構悲惨なのですが、これはまだ序の口で、本当の悲惨はここから2週間後くらいにやってきます。

気持ちを見失っている限り、この手の悲惨は軽いものから始まり、徐々にエスカレートしていきます。

では、私が気持ちを見失い続けることで引き寄せた、車(最初に購入した)の結末と私の暴走ぶりを次回、書き綴ってみたいと思います。

かゎら

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