前回の続きです。
始めて購入した、車の最終章といったところでしょうか。(笑)
もっとも、気持ちを見失っていた時の出来事のワンシーンでしかありませんが…(苦笑)
なんとか車の修理も終わり、手元に車が返ってきました。
そして、数日が過ぎ、高校の卒業式の日でした。
式も無事に終わり、開放感に浸りながら、深夜まで友達の家で寛いでいました。
すると、一人の友達が、「ゼロヨンをやりに行こう!」と、言い始めました。
深夜の2時ころでした。
私は、眠いのと、事故を起こしたばかりだったので、気乗りがしなかったので最初は断っていました。
かなり、断っていた記憶があるのですが、友達がとてもしつこく誘い、挑発してくるもので、最後にはその誘いに乗ってしまいました。
友達の家からゼロヨンが可能な場所までは、少しタイトな山道を通って行かなければなりませんでした。
お互いに車に乗り込むときに、また友達が挑発してきます。
「山道、ついてこれるかな?」と。
その言葉に、カチンときた私は、「絶対ついて行ってやろう!」などとヒートアップしていました。
(もう、この時点で、気持ちの見失い方が暴走状態でしたね。苦笑)
さて、結末を先に言ってしまうと、私の車は「廃車」となります。
大きな大木に真正面からノーブレーキで突っ込み、車フロント部分がⅤの字に凹み、ラジエターはもちろん、エンジンまで終わっていました。
今の私から観れば、原因は「気持ちを見失い続けたこと」とシンプルな答えになるのですが、当時の気持ちを見失っている私からすれば、答えは違ってきます。
まず、「ゼロヨンに誘った友達」が最初に浮かびます。
「俺は最初、断っていたのに、あいつが無理やり誘うからだ」と、思っていました。
それに対して、「でも、最後まで断らなかった自分も悪い」などと考え、自分を納得させようとするのですが、やはり友達に対する恨みは生じ続けます。
この自分の中での、「あいつが悪い!、でも自分も悪い?」の、行ったり来たりはかなり自分を疲れさせました。
他にも、原因として考えられるのは、「自分の運転で山道を走るのが初めて」「山道のいくつもあるコーナーの形状を知らない」「暗闇の中での運転」など、事故を起こしても当たり前と思えるものばかりでした。
ここまで、いくつか原因をあげてみましたが、これは「原因」ではなく「条件」のような気がしますね。
事故につながるまでの条件は、いくつもあり、一見、その条件の重なりが最後事故につながっているわけですから、条件そのものが原因と錯覚しやすいですが、、条件は、あくまでも条件であり、原因ではありません。
条件を原因と勘違いしてしまうと、条件を変えれば事故につながらない気がしますが、条件を変えたところで事故という結果は変わることはありません。
条件は原因ではありませんから、条件を変えても、事故を起こす日時が変わるだけで、事故は起きます。
それはそうですよね。
原因を取り除いていないわけですから。(笑)
では、原因は何かと言いますと、もう皆さんお分かりのように、「気持ちを見失っている」ことが原因であり、「気持ちを見失い続ける」ことで事故を起こしてしまうということです。
今回の最初に購入した車を廃車にする出来事は、車を購入することそのものが「気持ちを見失っている」ことですから、気持ちを見失っていなければ、車を購入していなかったはずです。
もし、今の私(気持ちに気付いている私)が当時の自分として生きるのであれば、車は購入していません。
「車が欲しい」という気持ちはそのままに、日々淡々と過ごすのは間違いありません。(笑)
田舎なので、車がない生活は不自由だとは思いますが、その不自由を十分に楽しんで過ごしていると思います。
(自由が楽しくて、不自由が苦しいは錯覚で、不自由でも楽しく過ごせるのが、気持ちの素敵なところですね。笑)
私の、今の生活も、不自由な部分はたくさんありますが、それを苦しいとは全然感じませんし、とても楽しく過ごしています。(笑)
私が始めて購入した車について書き綴ってみました。
振り返ってみて、しみじみと、気持ちを見失う恐ろしさと、気持ちで過ごす良さを認識しました。
お読みいただく皆様に、少しでもご参考になれば幸いです。
もっとも、気持ちを見失っている時の出来事は、まだまだ続きます。(笑)
かゎら