きっかけ---気持ちを見失っていた時の出来事②-2

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コラム

前回の続きです。

始めて購入した、車の最終章といったところでしょうか。(笑)

もっとも、気持ちを見失っていた時の出来事のワンシーンでしかありませんが…(苦笑)

なんとか車の修理も終わり、手元に車が返ってきました。

そして、数日が過ぎ、高校の卒業式の日でした。

式も無事に終わり、開放感に浸りながら、深夜まで友達の家で寛いでいました。

すると、一人の友達が、「ゼロヨンをやりに行こう!」と、言い始めました。
深夜の2時ころでした。

私は、眠いのと、事故を起こしたばかりだったので、気乗りがしなかったので最初は断っていました。

かなり、断っていた記憶があるのですが、友達がとてもしつこく誘い、挑発してくるもので、最後にはその誘いに乗ってしまいました。

友達の家からゼロヨンが可能な場所までは、少しタイトな山道を通って行かなければなりませんでした。

お互いに車に乗り込むときに、また友達が挑発してきます。

「山道、ついてこれるかな?」と。

その言葉に、カチンときた私は、「絶対ついて行ってやろう!」などとヒートアップしていました。
(もう、この時点で、気持ちの見失い方が暴走状態でしたね。苦笑)

さて、結末を先に言ってしまうと、私の車は「廃車」となります。

大きな大木に真正面からノーブレーキで突っ込み、車フロント部分がⅤの字に凹み、ラジエターはもちろん、エンジンまで終わっていました。

今の私から観れば、原因は「気持ちを見失い続けたこと」とシンプルな答えになるのですが、当時の気持ちを見失っている私からすれば、答えは違ってきます。

まず、「ゼロヨンに誘った友達」が最初に浮かびます。

「俺は最初、断っていたのに、あいつが無理やり誘うからだ」と、思っていました。

それに対して、「でも、最後まで断らなかった自分も悪い」などと考え、自分を納得させようとするのですが、やはり友達に対する恨みは生じ続けます。

この自分の中での、「あいつが悪い!、でも自分も悪い?」の、行ったり来たりはかなり自分を疲れさせました。

他にも、原因として考えられるのは、「自分の運転で山道を走るのが初めて」「山道のいくつもあるコーナーの形状を知らない」「暗闇の中での運転」など、事故を起こしても当たり前と思えるものばかりでした。

ここまで、いくつか原因をあげてみましたが、これは「原因」ではなく「条件」のような気がしますね。

事故につながるまでの条件は、いくつもあり、一見、その条件の重なりが最後事故につながっているわけですから、条件そのものが原因と錯覚しやすいですが、、条件は、あくまでも条件であり、原因ではありません。

条件を原因と勘違いしてしまうと、条件を変えれば事故につながらない気がしますが、条件を変えたところで事故という結果は変わることはありません。

条件は原因ではありませんから、条件を変えても、事故を起こす日時が変わるだけで、事故は起きます。

それはそうですよね。
原因を取り除いていないわけですから。(笑)

では、原因は何かと言いますと、もう皆さんお分かりのように、「気持ちを見失っている」ことが原因であり、「気持ちを見失い続ける」ことで事故を起こしてしまうということです。

今回の最初に購入した車を廃車にする出来事は、車を購入することそのものが「気持ちを見失っている」ことですから、気持ちを見失っていなければ、車を購入していなかったはずです。

もし、今の私(気持ちに気付いている私)が当時の自分として生きるのであれば、車は購入していません。

「車が欲しい」という気持ちはそのままに、日々淡々と過ごすのは間違いありません。(笑)

田舎なので、車がない生活は不自由だとは思いますが、その不自由を十分に楽しんで過ごしていると思います。
(自由が楽しくて、不自由が苦しいは錯覚で、不自由でも楽しく過ごせるのが、気持ちの素敵なところですね。笑)

私の、今の生活も、不自由な部分はたくさんありますが、それを苦しいとは全然感じませんし、とても楽しく過ごしています。(笑)

私が始めて購入した車について書き綴ってみました。

振り返ってみて、しみじみと、気持ちを見失う恐ろしさと、気持ちで過ごす良さを認識しました。

お読みいただく皆様に、少しでもご参考になれば幸いです。

もっとも、気持ちを見失っている時の出来事は、まだまだ続きます。(笑)


かゎら

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